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2008年7月29日 (火)

夏の夜の想い

   夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを

          雲のいづこに 月やどるらむ

                   (清原深養父、古今和歌集、百人一首第三十六)

激しい雷雨の後、夕方、外に出て様子を見る。涼しくて気持ちがよい。ふと見ると、黒いトンボが木の葉に留っていた。羽根を広げたり縮めたりして、少し優雅さを感じさせる。多分、ハグロトンボと言われるものだろう。

最初見た時は、少し戸惑ったが、じっくり見ると、細い身体に、細い羽。夜会服を纏った貴婦人というところか。優雅なステップで、葉から葉へ。そのようにして、随分、男を迷わすのだろうか(笑)。

さて、夏の夜は、本当に短い。雷雨のお陰で、少し涼しいが、暑くてなかなか眠れないなあと、思っていると、いつの間にか、夜が明けている。

どうも清原深養父の心境とは程遠い。昔の人は、こんな状況でも歌を詠んで偉いなあ。でも、夏の月を詠った歌は少ないそうだから、この時期の月に感慨を覚えるのは珍しかったかもしれない。

ちなみに清原深養父は、あの清少納言の曽祖父にあたる。彼は、『土佐日記』を書いた紀貫之とも交流があったようだ。ところで、清少納言は多少、鼻に付くが、清原氏が天武天皇の流れとすると、祖先に誇りを持ったのも致し方ないのかもしれない。でも、当時でも、嫌われただろう。曽祖父の感性を見習えばよかったのに。

さて、この歌をどのような状況で詠んだのだろうか。一般には、恋歌とは思われていない様だが、彼が見たかった月は一体何だったのだろうか。それとも、誰かを思い出したかったのだろうか。

案外、逆説的に、彼が気になったのは、月ではなくて、どこからともなく現れて去っていた雲のように、ある貴婦人のことを思い出したのかもしれない。偲ぶ恋で、自分の心は、あの人という雲に覆われていると。解釈にちょっと無理があるかな(笑)。

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