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2008年7月16日 (水)

夏を告げる雨

夏を告げる雷雨が降った。暑い日々が続くので、この雨は有り難い。梅雨の雨と違って、豪快にあっさりした雨で、一応大好きだ。「一応」が付くのは、あのゴロゴロビカッという鳴り物が、子供時代から苦手だったからだ。

落ちるぞ、落ちるぞと、さんざん脅かされ、逃げまくった、ある夏の思い出。実際、落ちて、命を落とされた人がいると母から聞いてからは、雷の中を出かけるのは非常に嫌だった覚えがある。それでも、雨の中を買い物に行けと言われて困ったものだ。でも、少し時間が経つと、雷もおさまり、打って変わって太陽の光が出て来た時は、ああよかったと一安心。

そういうことから、詠ったかどうかは不明だが、山崎闇斎の漢詩に『有感』というものがある。彼は江戸時代の儒学者であり神学者でもあった。儒教と神道の合一を主張し、人の心は天心と同じと主張している。詩の内容は次のようなものだ。

  坐(そぞ)ろに憶(おも)う天公世塵を洗うを

  雨過て四望更に清新

  光風霽月今猶在り

  唯缺(か)く胸中灑落の人

意味は次のようだろうか。

「天の神が、雷と共に一雨降らせると、止んだあとは、世の中の全ての塵埃を洗い流したかのようで、周囲全体が何もかも大変すがすがしい思いになる。

その後の、風は清く月は明々と気持ちよく照っている。ただ残念なのは、このような心の清い人がほとんどいないことは残念なことだ」

山崎闇斎の嘆きはわからぬでもないが、あまり清い人ばかりでも、清流に魚棲まず、の如く、世の中は回らない。清濁のバランスは、いつの時代でも求められる(濁があるから清があるとも言える)。彼は理想主義者だったのだろう。学者や哲学者には求められることではあるが。

それにしても、晴れ渡った空を見ていると、本格的に暑い夏がやってきそうだ。明日からは、打ち水が必要だろう。時々、雷雨も頼みますよ(笑)。

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