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2008年7月19日 (土)

愛欲に限りはあるのか

流風が、まだ小さい時、母が、人間の性欲は、死んで灰になるまでなんて、よく言っていた。当時は、何のことかさっぱりわからなかったが、人間の性欲は食欲と共に死ぬまで衰えることはない。食欲についても、母は食べられなくなったら死ぬだけのこと、とも語っていた。

河鍋暁斎の作とされる『七福神図屏風』には、仮に七福神が混浴すれば、どうなるかというのを描いているそうだ。七福神に、女性の神は弁天さんだけだから、他の男神たちから視線が集まるだろうというところから描いているのだ。人間だけでなく、神の世界も男女の関心は変わらない。ナベさんの見識に一票(笑)。

さて、ある婆さんが、若い僧を長い間、世話していた。そして身の回りの世話は、なぜか常に若い娘にさせていた。それは婆さんの娘のようであった。そして、二十年一日の如し。ある日、老婆は、若い娘に言い含めて、僧を誘惑させた。さて、あなたが僧だったらどうするか。実は、この話は禅の公案にある。

民間では、据え膳食わぬは男の恥なんて言うけれども、昔の禅僧は、女性と交わることは戒められていた。不犯のしきたりがあった。

この話には続きがあって、この若い僧は、娘の申し出を強く拒否し、禅僧としての立場を貫こうとします。しかし、老婆は、二十年も仕えてきたのに、こんな僧を世話してきたとは情けないと、庵を焼き払い去っていきます。さて、この僧の行いは正しかったのか。

逆に、彼が若い娘を抱いたとしても、それは禅の修行者としては問題がある。だが、何を優先すべきなのか。禅僧の前にどのような人間であるべきなのか。そういう問題を、この公案は暗に示している。

こういうことは、別に禅僧でなくても起こりうる。昔の小説にも、下宿屋の奥さんが、娘と優秀な学生と、結び付けようとする話である。このような相手の思惑でいろんなケースがあるかもしれない。そこでどう対応するか。婆の立場の人と絶縁するか、関係を強めるか。絶縁するのは簡単だ。もし老婆の思惑に嵌ったらどうなるか。

禅僧でなくても、人との付き合い方は、その関係性も含めて、修業であると言えないこともない。人と付き合うには、それなりの覚悟が必要ということだろう。すなわち、それなりの後々の制約を抱え込むわけだし、ある意味、人間性が試されるということだから。

それを運命と考えるか、宿縁と考えるべきか。愛欲は、生きるということと関連している。それを無視して生きることは、この世の中では難しいということだろう。そういった中で、愛欲にはまらず、生きる方法はあるのだろうか。

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