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2008年7月26日 (土)

大器晩成はあるのか

よく何かに失敗したか、自信をなくした若い人を慰めるために、「お前は大器晩成だ」と言うことがある。これを単に慰めととるか、励ましととるかで、その人の人生は変わってくる。

ところで、この「大器晩成」は『老子』41章(「大方無隅 大器晩成」)に見える。もっともきちんとしたものはかえって、何の輪郭もないように見える、という意味だ(*注)。別の訳では、古代中国は、地球を四角いものと考えていたので、その隅が見えないことを例えているとする。

確かに大器の人はいるのかもしれない。妙に世間ズレしているのとは違い、物事を大きく見ることができる人が、それに相当するのかもしれない。

ただ、そういう人でも、何もせずして、「晩成」するということはない。そして、「晩成」は「大成」でなくてはならない。そのためには、「小成」を繰り返して、自信をつける必要がある。

「大成」は「小成」の積み重ねだ。一発逆転を意味しない。若い時は、いきなり「大成」を求めようとするが、それは宝くじを当てる行為に等しい。

よって、大器晩成は、小さな目標の達成を繰り返して、なされるものと考えられる。安易な「大器晩成」思考は戒めたいものである。

*注

王明訳『老子(全)』より

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