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2008年7月 4日 (金)

五箇条のご誓文 その四

今回は、前回に引き続き、五箇条のご誓文 の三番目の文言を取り上げる。その文言は次のようだ。

一、官武一途庶民に至るまで、各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す。

由利案では、「官武一途」はなく、庶民のあり方として述べている。それを福岡が書換えた。それは政治がらみの主張に転換している。

今から考えれば、それはおかしいと言えなくもないが、当時は、お上中心主義(今でも名残はあるが)。国が指導的役割を果たさなかったら、どうにもならなかったのも事実だろう。由利案は、多分に海外の文化の移植を急ぎすぎた感がある。

さて、その内容としては、中央政府と地方が一体となって、一般庶民も含めて、その志を遂げ、人心が倦まないようにしなければならない、という意だ。この中で、「倦む」という意味の解釈であるが、いろいろ捉え方があるだろうが、だらけ腐るという意味にも聞こえてくる。

人間も、生鮮食料品のように、何もしなければ腐ってくる。将来に対する何の展望もなく、だらだらと時を過ごしては、その精神も頼りなくなる。人が腐れば、国家も腐る。そうならないようにするためには、一人一人が、明るい未来を夢見つつ、将来を展望できるようにするのが、国の役目だ。

また、この「倦まざらしめんこと」については、父は大好きな言葉だったようで、よく独り言を言っていた。自分自身の役割をしっかり認識して、日々の生活を怠らない努力をしていたように思う。それは別に大層なことではなく、朝起きて、顔を洗うことから始めて、日常のありふれた生活を確実に過ごすことだった。

流風は、若い時、父のそのような生き方に面白みを感じなかった(母も同様だったようだ)が、今から考えると、常在戦場の精神があったのだろうと察することができる。明日という不確実に、いかに用意と準備を怠りなくするか。

結局、国家とは、それを構成する人たちに、いかに日常において意識させ目配りすることが大切なのかもしれない。もちろん、そういうことをできない人たちも、守ってやる必要もあるのだが。

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