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2008年7月14日 (月)

足るを知る

よく「足るを知る」ということが言われる。人の満足には限りがないし、上を見ていてはキリがない。もちろん、今のままで満足してしまうのも、成長の妨げになる。さらに下を見て、自己満足してしまったら、それは落ちてしまう。

ということで、人間は魚のように泳ぎ続けることが求められるのであろうが、時には上を見、時には下を見、そして、時には休息し、バランスをとっていくことが大切だ。もちろん、いつも環境に流されていっても、苦痛が伴うだけだ。自己を確立し、自分は自分、他人は他人という境地をもつことも求められる。

あの良寛和尚も、『吾唯知足』(*注)という詩で、次のように詠んでおられる。詩吟などでは、『可意(意に可なり)』という題で詠われている。

  欲なければ一切足り

  求むるあれば万事窮す

  淡菜餓を癒すべく

  衲衣いささか躬に纏う

  独り往きて麋鹿(びろく)をともとし

  高歌して村童と和す

  耳を洗う岩下の水

  意に可なり嶺上の松

まあ、良寛の領域に達するには、ある程度の修業と年齢が必要かもしれない。若い人があまりにも早く老成してしまっても問題だ。ただ、自分を見失わないために、心の片隅に少し残してもらえばいい。

*注   『吾唯知足』の解釈

基本的に、「足るを知る」の意で、解釈の必要はないと思うが、念のために記すと次のようになるだろうか。

「欲を出さなければ、全てのことに満足できる。しかし、欲を少しでも出すと、それはキリがない。

粗末な野菜があれば、それは空腹を癒してくれるし、僧衣があれば、それで結構間に合う。

(寂しくなれば、)一人で出かけていって、鹿と戯れ、村の子供と一緒に歌を歌う。

岩下の水は、俗声で汚れた耳を洗うのに適しており、見慣れた岩の上の松は、私の心を表しており、お気に入りだ」

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