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2008年7月 8日 (火)

百貨店の行方

若い時、薄給でお金がなかったので、百貨店に行っても、ウィンドーショッピンクが主体だった。もちろん、女性のように買いたいものがたくさんあるわけではない。どちらかというと、気分転換を兼ねてのもので、百貨店の雰囲気が好きだった。

子供時代も、休日の楽しみは、両親と百貨店の大食堂で、昼食をとることだった。両親はなぜか正装し、お出かけしたものだ。別に堅苦しい服装などする必要もないと思うのだが、父の方針で、皆、そのようにした。当時、百貨店はそういう雰囲気を持っていたのだろう。

途中、知り合いに会って、「どちらに」と声をかけられても、いつもは「ちょっと」と言うところを「どこどこの百貨店へ」と少し誇らしげに親が応えていたように思う。それほどに百貨店というイメージは当時、両親の中では高かったのだろう。今だと、少し笑えてしまうが。

現在の百貨店は、ホテル同様、気軽な服装で、皆、出かけているので、気楽な場所になったかもしれない。それでも、女性たちは、若干オシャレに気を配り、頑張っているように思える。若い人たちや男はそれほどてもないが、女性の同伴者がいる場合は、それなりの服装をしている場合も見受けられる。

さて、百貨店の価値が落ちているという人々もいるようだが、それは百貨店次第だろう。確かにモノは溢れ、ネットなどで簡単に安く入手できる時代ではある。そういう環境下、ビジネスは難しくなるという指摘も無視はできないかもしれない。

しかし、百貨店の持つ信用力は捨てがたい。新しい商品を売り込む場合、百貨店の評価は一定の重みを持つのは現在でも変わらない。そういう意味では、百貨店は時代をリードする新商品やサービスの取り扱いに常に気を配る必要はある。そして、今まで以上に取り扱い品目が変わるものも確かにあるだろう。

だが、長期的に見直すモノ、中期的に見直すモノ、短期的に見直すモノ、そして流行りモノをいかに組み合わせて、タイミングよく提供していくかということは、今も昔も変わるものではないだろう。要するにマーケティングさえ、しっかりしておけば、百貨店の価値は保たれる。

そう考えれば、百貨店の価値は下がるものではないだろう。現在、業界の再編成が行われているのは、大名商売をして、新しいモノや仕組みを取り入れるのを怠った百貨店があったからだろう。店があるという長年の信用、ブランドという安心感、マーケティング力、ネットとの連携などを考えると、その可能性はまだまだ大きい。そういうことで、百貨店の存在価値は、やり方で、ますます高めていくことは可能だろう。

*追記

また、将来の百貨店は、ショールーム化の強化のため、出展料と入場料を取る可能性を否定できない。全てをそのようにするわけではないが、ネットのための全館ショールーム化はありうると考えている。

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