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2008年7月15日 (火)

大阪の二つの飲食店の廃業を考える

道頓堀の「くいだおれ」が廃業して話題になっているが、少し前には、「船場吉兆」が問題を起こして廃業している。この大阪を代表する二つの料理屋が同じ時期に廃業したのは、妙な巡り合わせだ。

しかし、その廃業の内容は「一応」大きく異なる。世間から信用を失って止む無く廃業した料理屋と、世間から惜しまれて、やめた料理屋。

一方は、賞味期限切れの販売、偽装、使い回しが発覚し、信用を失って廃業。もう一方は、周辺環境の変化で、将来の経営に見通しがつかないためとされる。しかし、実際のところはわからない。船場吉兆と同様のことがあり、早めに手を打って店を畳んだとも受け取れる。タイミングがよすぎるのだ。

もちろん、当事者は強く否定するだろう。しかし、残念ながら、船場吉兆のようなことは、飲食業では、長くどこでもあったことを踏まえれば、可能性はある。しかし、廃業された現在、それを追及してもどうにもなるものでもない。

それでは、この二つの飲食業は、一体何が違ったのか。まず指摘されるのが、広く顧客に愛されたかということ。片方は、高級料理で、庶民には程遠い所に位置し、もう一方は、庶民的な店だった。

一般人は、滅多に利用できない「船場吉兆」は、高い山のように、厳しい環境条件下にあったことを経営者は理解していなかったのだろう。高いお金を取る飲食店の経営としては、非常にまずかったと言える。そういうところは、針の一穴で世間から批判にさらされるというリスク管理が甘かったのだろう。

もう一方の、「くいだおれ」は、流風も若い時に利用したが、名前こそ有名だが、普通の食堂である。特別美味しいわけではない。どこにでもある食堂なのだ。だから、提供されるものもほどほど、価格もほどほどだった。そういうことで、親しみやすい存在だったことが指摘される。そういうところに対しては、庶民の批判は若干甘いかもしれない。

次に指摘されるのが、女将の差だろう。顧客対応が根本的に違う。「船場吉兆」の女将は、顧客になりうる一部の特別の顧客にのみしか対応したことがないので、ある意味、世間ズレしていない。

それに会見時のあの不遜な態度は、多くの人を敵にまわした。独裁的なイメージは、あまり宜しくない。そして、実際も、そうであったようだ。それで世間から、とことん叩かれた。あの時、身を引いておれば、助かったかもしれないのに、そういうセンスはなかったようだ。

これに対して、「くいだおれ」の女将は、ある意味、したたかで、いろんな層の顧客に対応慣れしている。その対応能力の差が、マスコミ対応に如実に出ている。それは、あの女将の笑顔から察することができる。

あの笑顔の裏には、明らかに強かさを感じる。ある意味、大阪を代表する女将かもしれない。彼女なら、「きたなく儲けて、きれいに使う」ことができるのではと思わせるのだ。正面から喧嘩はしない。相手が仕掛けても巧みにかわす。表面は笑顔でも、心の中では、舌を出しているかもしれない。そういうものを感じさせる。

飲食業は、接客業でもあるわけだが、結局、その差がマスコミ対応でも出たわけだ。もちろん、経営姿勢も大きく影響しているかもしれない。ただ、私達の反応は、その表面的な接客対応術で大きく違ってくるのも事実だ。今後の大阪の飲食業がどのように変わるのか、わからないが、一つのヒントを提供してくれた二つの飲食店の廃業だった。

*追記

ちなみに、「くいだおれ太郎」には、関西のロボット業界の表看板になって欲しい。

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