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2008年8月 3日 (日)

今年も、「昨日・今日・明日」

  昨日といひ けふとくらして あすか川

          流れて速き 月日なりけり

                  (古今和歌集 第三百四十一番、春道列樹)

お盆が近くなると、こういうテーマを取り上げたくなる。流風も、歳がいったかな。実は、昨年も、「昨日・今日・明日」というテーマで、拙ブログにて取り上げた。ただ簡単に触れたので、今年は、もう少し詳しく、違う角度から取り上げてみよう。

前回にも示したように、昔のイタリア映画で、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の『昨日・今日・明日』というのがあった。三つの話からなるオムニバスのコメディーで、男女の悲喜劇を描いていた。子供時代に視たので、あまり覚えていないが、父が割りと熱心に視ていた。

後から聞いた話では、一つ目は妊娠中は女性が罪に問われない話、二つ目が女性国会議員とその愛人の話。そして、三つ目が、神学生がストリップ娘に恋をして、てんやわんやの話だったらしい。でも、はっきり覚えていない。やたらソフィア・ローレンが叫んでいたような気がするだけだ。

イタリアの情話と言えば、そうなんだろうけれど、日本人の感覚とは当時ずれていただろう。まあ、今の日本だと受け入れられるかもしれない。しかし、現在でも、日本人は、同じ様に「昨日・今日・明日」と言っても、全く捉え方が違うだろう。国民性の違いと言えようか。

さて、上記の歌は、春道列樹(はるみちのつらき。*注)が年末晦日近くに詠んだようだが、もののあわれを示している。無常観と言えるかもしれない。過去・現在・未来と時間軸での推移をわが身に感じて、そのように感じるのは、自然と一体の感性が導くのかもしれない。

さらに、彼は、別の歌を詠っている。それも掲げてみよう。

  山川に 風のかけたる しがらみは

       流れもあへぬ もみぢなりけり

                  (古今和歌集 第三百三番、百人一首 第三十二番)

一般的な解釈は、次のようなものだろう。

「志賀の山を越えていると、山間の川に、風がかけた“しがらみ”は、流れきれずにいる紅葉であったことよ」。

これは何を語ろうとしているのだろうか。人生の山を越えていると、いろいろ困難なことがある。時代の流れに押し流され、何とかその流れを食い止めようと、「しがらみ」に、身を任せることになってしまった。生きるためとは言え、自分の意思とは関係なく、人生とは思い通りにはならないものだ。

こうしてみていくと、春道列樹には、厭世観が見られる。彼の経歴は不詳だが、多分、亡命帰化人か、逼塞した家系と考えられる。自分の力では、どうしようもない諦めの境地の無常観から生まれた歌なのかもしれない。

*注

春道列樹とは、珍しい名前だ。貞観六年に、物部門起に姓として与えられたようだが、彼の出生は不明だ。帰化人の可能性もあるのではないか。

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