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2008年8月11日 (月)

パーティーの意味

企業には、かつて“宴会部長”なる人物がいた。仕事はあまりできないのだが、各種催しとか宴会では、盛り上げ役となって、それなりの役割を果たすのだ。彼らの役割は、ある意味、潤滑油的なものかもしれないが、陰では、“宴会部長”と揶揄されることになる。

それでも、各種宴会は、非正規の情報交換の場所になって、それなりに役割を果たしている時は、有効で、彼らの存在も必要悪だった。こういうことは、いかにスマートな経営体制になっていても、ある程度は求められる。

さて、外国人や女性を中心にパーティー好きな人種がいる。だが、パーティーは、そもそも孤独な人の集まりで、知り合いを増やし、その孤独を癒したい気持ちがあると云う。男も、いろんな研修や会議で、その後の立食パーティーもその類のものと言えなくもない。

しかし、海外では、私的なものを除けば、パーティーは、本来、会議等で、喧嘩腰で喧々諤々やった後で、それを修復するものと云われている。

だが、その点、日本人は海外の会議では、国内で偉そうにしている政治家、官僚達も、借りてきた猫みたいに何も発言しないと言われている。基本的には、用意してきたペーパーを読んだら、その役割は終了したと思っているらしい。

そして、海外の人たちがいろんな意見を言うのに、沈黙を守るものだから、日本は全てに賛意していると受け取られ、後日、誤解を招くということを度々やってきた。

だから、その後で、パーティーに参加しても、参加者はパーティーの意味を理解していない。自分の見識を持っている者だけが、本来、国際会議などに参加できる資格があるのだから、積極的に論議に参加しなかった日本人は、ある意味、パーティーに参加しても、興味を持たれないことになる。

そのように、国内的には、通用しても、海外では通用しないことがある。ところが、未だに、そのことを学習していない人たちがいる。若い人たちは、国内と海外を使い分ける強かさを持って欲しい。

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