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2008年8月18日 (月)

肝試しを考える

子供の頃は、大体暗くなると、怖くなるものだった。最近の子供は、夜、うろうろしているので気持ち悪い。事件も起こるはずだ。流風の子供の頃は、夜、子供が出歩くのは、祭りの時ぐらいだった。親に脅かされ、夜の外出は当時考えられなかった。

夜の暗さがなぜ怖いかと言えば、ある意味、刷り込みかもしれない。怖いお化けや幽霊の話を母から聞かされ、暗いところは、怖いものだと思わされる。だから、いたずらをして、父から押入れに入れられたことさえ怖かった。

しかし、夜の外出は許されないとは言うものの、夏に、近所の子供が集まってやる「肝試し」は親公認だった。親に連れられていった「お化け屋敷」も怖かったが、近くに親がいるので、何とか耐えられる。

だが、「肝試し」は、子供だけで行くので、あの暗さは結構怖いものだった。近所の墓地に行って、指令されたものを取って戻るのだが、はじめは元気にしている近所の友達も、お墓の近く辺りに行くと、灯りがないので、不気味に感じ、もう帰ろうとうるさいこと。さっきまで、人魂など怖くないと強がり言っていたのに。

お墓近くに行くと、不思議に何か光っているように見えて、怖かったものだ。恐る恐る近づき、目標のものをゲットし、冷や汗かきながら戻ったものだ。確かに、暑い夏に、少しひゃっとする。

最近になってよく思うのだが、人間、怖い物の存在は一つぐらいあった方がいいかもしれないということ。確かに、肝の据わった人は、少々のことには動じない。その人たちは、「あると思えばあるし、ないと思えばない」と言って、その逞しさを見せ付ける。

しかしながら、人間は絶対ではないだろう。何かを怖れることで、心のブレーキは働く。子供の時に、そういう教育も必要だろう。そう考えると、肝試しも捨てたものではない。

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