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2008年8月20日 (水)

美しい老人

演劇の分野では、老人の真似をすることは難しいそうだ。『花伝書』でも世阿弥は、老人の真似は能の芸の実力が、そのまま出ると言っている。老人の身体イメージそのままに演じれば、汚くなるから、老木に花が咲くような感じにする必要があるとしている。能の老人と現実の老人は違うだろうけど、世阿弥は老人の理想を描きたかったのかもしれない。

さて、母は、常々美しく老いたいと言っていた。それでは、老人の美しさとは一体何なのか。母は、「女は、歳が行くと、どうも品がなくなる。しかし、恩師は、いつまでも凛として年と共に、さらに美しさに磨きがかかった。あの先生を見習いたい」と思い出しながら、深いため息をついていた。

確かに、街を歩くと、男女共に品のよい老人はいる。ただ(他の地区は知らないが、関西に関しては)段々少なくなっている感じだ。昔よく見た品のある老人は確かに、男女共に頑固な人が多かったが、一本筋が通っていた。それが心身ともに姿勢をよくし、美しく見えていたのかもしれない。

最近は、どうも、がさつな老人が増えているような気がする。そして女性の60代の老人に特に多い。特に、いい物を身に付け、一見、品がよく見えても、話せば、がっかりという老人は多い。仕草の美しさや話に中身がないのだ。彼女らは、老人と言われるのを嫌うが、外見は老人でなくても、中身は既に老いている。

なぜ女性の方が歳とともに、品がなくなるかというと、これまた母の言だが、「女は現実に執着すると貧しい顔や風体になる」とのこと。

それでは母はどうだったのだろう。確かに恥ずかしがり屋で、始末な生活を通し、贅沢とは縁遠かったが、読書好きで、夢想気味の人生だったかもしれない。また他者を頼ることを嫌い、自立心が旺盛だった。それが惨めな雰囲気を出さなかった可能性もある。美しかったとまでは言えないが。

そう考えると、信念を持ち、いつまでも何か理想を追いかけ、活き活きとした生活を送ることが、美しさを保つと言えるかもしれない。男女を問わず、何か理想を持ち続ける意識が大切なのだろう。サミュエル・ウルマンの『青春』を再確認したいものだ。

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