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2008年9月30日 (火)

創業者の遺訓に学ぶこと

一般人の眼で見ても、三井グループは衰退しているように感じる。かつてのような勢いは無い。もちろん戦後、財閥解体されたので、戦前のようなものがそのまま残ったわけではないだろう。しかし、企業グループは、戦後も形成されていた。企業文化としては、三菱が、「組織の三菱」と言われるのに対して、三井は、「個人の三井」と言われてきた。

ところが、三井の声はあまり聞かれなくなってしまった。その理由は核となるべき銀行が住友と合併し、実質、主導権は住友が握っていることもあるのだろうか。そんなことを言うと、かつての三井銀行も、グループで主導的役割を果たしていなかったと指摘する向きもある。それでも、両替商として、伸してきた歴史を見れば、そういうことも言えないのでなかろうか。

最近では、三越の不振が言われている。伊勢丹に統合され、実質吸収された。伊勢丹と言えば、三菱系だ。時代が変わったとは言え、少し情けない気がする。暖簾によりかかった経営が、経営革新できなかったのだろう。創業者は地下で嘆いていることだろう。

さて、三井と言えば、もとは藤原道長の流れである。右馬之助信正が京に出て、近江国三井に住まいを定めて、その土地の名をとって、三井と称したという。それから何代も続いたが、世継ぎがいなくなって、源氏の流れの佐々木六郎高久を養子に迎えた。代々、当主は「高」を名前につけているということだ。

それから戦国時代だから、いろいろあって各地に流れ、高久の子、高俊が三重の松阪で酒屋を始めた。その四男が優秀で、実質、三井の創業者である高利だ。彼は、まず京都に呉服店をオープンし、やがて江戸・大阪に支店を作る。それを更に発展させて両替商を始めた。ここに三井財閥の礎が築かれる。

子供がたくさんおり、その中の男子六人から、長男を総本家とし、他の五人の子供は各事業の本家とした。今で言えば、総本家が持株会社、本家が子会社と言うことだろうか。この時、総本家は家憲「宗竺居士遺訓」(*参考)を定めている。

流風は、三井とは何の関係もないが(笑)、三井グループには、もう少し頑張ってもらいたいものだ。それには、三井グループの歴史を改めて学ぶことだろう。結構、ヒントは、自社の歴史にあるものだから。このことは、全ての企業に当てはまることだろう。業績が頭打ちになったら、過去の歴史や創業者の志を再確認してみるのもいい。

*参考  家憲「宗竺居士遺訓」  

        http://www.mitsuipr.com/history/kaken.html

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2008年9月29日 (月)

サービス社会は地域中心社会

現代はサービス社会ということに異論を挟む人はいないだろう。サービス社会というのは、サービス提供者とサービスを受ける顧客の距離が近いことである。

ところが、公共サービスについては、依然、国が一律のサービスを提供しようとしている。しかし、それでは、地域ニーズと異なるものを押し付ける結果になりがちだ。それは無駄が多いし、地域住民の満足も得られない。

ということは、国は大半の予算の裁量権を地方に委ねる時代だと言える。そうしないと、きめ細かいサービスの提供は不可能だ。

すなわち、外交、防衛、教育は国が担当するにしても、その他の大半の予算を地方に渡す必要がある。それが国力を充実させる。

官僚は自己防衛に走るべきでない。むしろ官僚は地方で腕を振るう時代に入っていると認識すべきだろう。

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2008年9月27日 (土)

年金は大丈夫か

年金不信は、何も若い人に限ったことではないだろう。次々と発覚する社会保険庁の不正。年金は社会の安定を担っているという自覚がないのだろう。もちろん、裏には評価システムの問題がある。これは単に末端の個人レベルの問題ではなく、組織犯罪と言える。

ところで、先日、升添要一厚生労働省大臣の大きなサイン入りの説明書つきの「ねんきん特別便」が社会保険庁から送られてきた。流風の加入記録はシンプルだから、誤りはないと思うが、問題は、年金がきちんと支給されるかということ。流風の年金は僅かだが、それでも、大変不安だ、

最近の報道では、厚生労働省が、年金の運用に失敗しているという話も聞く。それは、最近、既に5,6兆円損失を出しており、米国の金融破綻により、10兆円~20兆円ぐらいの損失になる可能性があるとのことだ。

大体、運用の素人官僚・公務員が年金を運用しているというだから驚きだ。また年金をリスクマネーで運用すること自体に問題があるのかもしれない。また、それには政治家も一枚かんでいる噂もある。

よく株価が低迷すると、年金資産を運用しようという企みが政治家より提案されるが、迷惑なことだ。政治家も、お金の運用については、官僚と同様に素人だろう。それに他人のお金に、そんなに神経質になるとも思えない。

そのような状態で、年金支給に支障は出ないのか。最近は、支給年齢をさらに引き上げる可能性も指摘されている。年金支給額が既にカットされた上のことである。こうなってくると、もう国家犯罪ではないか。

仮に支給年齢が70歳に引き上げられると、平均寿命が男では、大体80歳、女性で、大体88歳とすると、男は、年金が10年間、女性で18年しか支給されないことになる。女性はともかく、男はたった10年のために、年金を積み立てるのかと思いたくなる。何か、空しい感じがする。

流風の年代でそのように感じるのだから、若い世代だったら、なおのこと不安であろう。年金を積み立てても戻ってくるかわからないからだ。おおよそ、数十年後のことを予測することは難しいのはわかる。それに、いくら順繰りと言っても、人口構成のアンバランスは、年金体系を狂わせる。

でも、そういうことは、ずっと前にわかっていたはず。それを国民に告げなかったことは、国や政府の怠慢であろう。国民に長期的なリスク情報は事前に情報提供する制度が求められる。そうしないと、国民は国に不信感が募るだけである。

しかし、年金は本当に大丈夫なのか。今から、人生設計のやり直しをするのは、少し辛い感じだ。ちょっと、やるせないなあ。しかし、若い世代は、もっと心配かもしれない。彼らの心配を取り除く施政を望みたい。それにしても、食と同様、国民は何を信頼すればいいのだろうか。

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2008年9月26日 (金)

謡曲『土蜘蛛』と頼光の許されぬ恋

先日、あまり好きでない掃除を少し規模を大きくしてやっていたら、首筋に何か止まるものがある。手を背中に回して、掴んでみると、直径15センチくらいの土蜘蛛(正確には、そういう名称の蜘蛛はいないようだが、目がくりっとして、あしが長く、土色のため、母がそのように呼んでいた)だった。女性だったら、絶対大きな声で叫んでいたと思う。まあ、流風もびっくりはしたが。

昨年は、直径20センチくらいの土蜘蛛に遭遇したが、あれは床を這っていて正面から見たものだった。今回は、手で掴んだものが土蜘蛛だったので、正直驚いた。声を上げる訳にもいかず、一瞬しばらくじっとしていた。ばたばたするので、手放すと、さっと家具の後ろにもぐりこんだようだ。その後、どこに行ったかはわからない。

別に蜘蛛を家で飼っている訳ではないが、どこからか入ってくる。母は、蜘蛛は、毒蜘蛛でない限り、殺してはいけないと常々言っていたので、捉まえた場合は、一旦外に放り出すが、また、どこからか入ってくる。ちょっと困った存在だ。

そういうと、昔、土蜘蛛を妖怪として考えていたという。そのように描いているものとしては、源頼光が登場する謡曲『土蜘蛛』が浮かぶ。ここで描かれている土蜘蛛とは、土蜘蛛族で、従来、大和朝廷に抵抗した土着民の末裔であろう。

彼らの先祖は、穴倉に生活することが多かったため、そのように呼ばれたという。まあ、これは、嫌な奴を、嫌なものに例える感覚と同様かもしれない。従わない人たちを悪く言ったのだろう。

それが頼光の時代には、当時、天皇への抵抗勢力、いや、実際は藤原氏への抵抗勢力となっていたようだ。能は、それを擬態化し、悪のヒーローとして、鬼の顔で、虎の胴体で、巨大な蜘蛛の手足を持ち、旅人を蜘蛛の糸で絡めとり食う怖ろしい存在にしてしまった。

能の話は、源頼光が病気で臥せっているところに、最初、胡蝶という女が薬を持ってやって来る。そして深夜には、僧形の怪人が、枕元に現れ、病状を問うが、名前を尋ねると、不審にも蜘蛛の糸を投げかけてきたので、刀で対抗すると、その妖怪は消えうせる。

その物音を聞きつけた独武者が駆けつけ、血の後をつけて、ある塚を見つける。掘り返すと、蜘蛛の精魂が現れたが、退治して都に帰る。

しかし、これだけでは、単に夜盗を征伐したとしか見られない。しかし、話はそれほど単純ではなさそうだ。それは次のように示される上歌にある。。

 夜昼を尽くして夜昼の。色を尽くして夜昼の。境も知らぬ有様の。

 時の移るをも。覚えぬ程の心かな。

 げにや心を転ぜずそのままに思ひ沈む身の。

 胸を苦しむる心となるぞ悲しき。

この歌の意味を見ていくと、単なる成敗物語とは捉えにくい。まず胡蝶という女の存在だ。薬を持って見舞いに来た存在だけではないだろう。上記の歌は、胡蝶の恨み言のように聞こえる。頼光が密かに愛していたが、土蜘蛛族の娘だったため、許されぬ恋だったのかもしれない。不覚にも、頼光が土蜘蛛族の女性(女性からすれば、頼光は、敵の子孫)に恋してしまった、恋物語とみることができる。

頼光が寝込んだのは、過去の恋の病と考えられないこともない。それを夢の胡蝶が見舞った。頼光に未練とも無常ともいえる感情があったのだろう。しかし、夢の中で土蜘蛛族の頭領が娘の恋を妨害すべく、「僧形の怪人」に扮して、、頼光を悩ますために、やってきたのかもしれない。

結局、土蜘蛛族を成敗した後悔が、源頼光の枕元に、胡蝶や土蜘蛛の頭領の亡霊として現れさせたのだろう。立場上とは言え、多くの土蜘蛛族を殺したことに自責の念があったのかもしれない。そして女性との恋に人生の無常は感じていたのだろう。洋の東西を問わず、こういう題材は文学になりやすい。

*注記

以上の解釈は、題材の根拠となっている話とは若干異なり、流風の独断で、作者の意図を正しく反映しているとは言えないかもしれない。ただ、謡曲や能の楽しみ方として、受け手の勝手な解釈として楽しめる。

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2008年9月25日 (木)

短期政権と官僚政治

麻生政権が誕生した。今後どのように政権が運営されていくのだろうか。難題山積で、大変な時の政権でもあるだろう。とんでもない貧乏くじを引いたものだ。何といっても、二代に亘って投げ出された政権を引き継いだのだから。相当、信頼回復は難しいが、内閣の陣容を見ると、小粒な感じだ。大丈夫だろうか。

さて、そのことはさておき、今までの自民党中心の政権(一時期の野党政権も)を見ていくと、短期政権が多い。特に竹下政権以後、延々と短期政権を続けてきた。小泉政権だけが、5年も続いたのは例外的だ。政権の就任年で、追いかけてみると次のようだ(カッコ内は首相就任年)。

  竹下登(1987)

    宇野宗佑(1989)

    海部俊樹(1989)

    宮沢喜一(1991)

    細川護熙(1993)

    羽田孜(1994)

    村山富市(1994)

    橋本龍太郎(1996)

    小渕恵三(1998)

    森喜朗(2000)

    小泉純一郎(2001)

    安倍晋三(2006)

    福田康夫(2007)

    麻生太郎(2008)

このように見ていくと、1、2年の政権が多い。病に倒れられた小渕氏の場合を除いて、それ以外は、政権を維持していく努力を欠いている。政権が維持できない要因は、いろいろあるだろうが、リーダーに信念というものが欠けている。

仮に目標が明確であれば、政権は、1年や2年で、その目的を達成できるものではないだろう。目標達成意欲が足りないのだ。単に権力闘争で、首相の付け替えをしてきたのが事実だろう。首相に任命されても、首相にはなったものの、というタイプが多かったのではないか。

その結果、実際の政治は官僚が取り仕切ってきた。最近、与党の政治家も官僚批判をよくするが、それは政治の怠慢が招いたものとも言える。ただ、官僚政治は前例踏襲になりやすい。そのため、政治の中身が時代にそぐわなくなる可能性も高い。

そこに時代の閉塞感や諦めを国民に招きやすい。それが無党派を作り出している。それに乗じて、政治家は、時として、目立つ実績作りのために暴走して、あるいは、よく考えもせず、海外の要求に応じてしまって、国益を損ねている。

それを今まで、官僚が尻拭いしてきた。そこで、政治家は官僚に尊敬されないようになり、官僚を使いこなせない要因になっているのだ。現在のような、官僚政治打破のためには、まず政治家が、明確な国家哲学に基づき、政策をリードしていく姿勢が求められる。

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2008年9月23日 (火)

米金融混乱後の日本経済雑感

米国の金融破綻は、日本の経済に大きく影響するだろう。破綻の影響は軽微というのは楽観的過ぎる。そういうことを言う人には、政治を行って欲しくない。以下雑感的に箇条書きで記してみよう。

一、時間差はあっても、金融機関に影響を与えるだろう。

リーマン・ブラザーズの日本の金融機関に与える影響は、「ハチが刺した程度」と表現した政府首脳がいたが、そんなに甘くないだろう。これは序章で、今後、ショッキングな事態になる可能性が高い。米国経済は暗闇の迷路に入ったも同然だ。長期的に米国経済は立ち直れない可能性がある。それが世界経済に、相当響いていく。

ところが、今がチャンスとばかり、危機に陥った米国金融機関に投資するメガバンクもあるが、早すぎる感じだ。彼らの資産を精査するには、時間がかかるだろうし、リストラさせて、十分な価値があると判明してからでも遅くないはずだ。バタバタ支援を表明するのもおかしなものだ。投資が無駄になる可能性もある。もちろん、裏事情があると推定されるが。

今後、日本の金融界も、相当マイナスの影響を受けることは避けられない。場合によっては、日本金融界の解体・再編もありうると思っていた方がいいのではないか。特に地方の銀行は破綻するところも出てくるだろう。

二、ドル下落、円高へ。

いずれにせよ、ドルは下落する。大体、今まで過剰に評価されていた。問題は下落の程度だが、米国の政策にもよるが、近い将来、1ドル=70円程度は、十分にありうる。

過去に海外投資している投資家は大きく傷つくだろう。また外国為替や投資信託に投資している人々も、大幅に元本割れになるだろう。まあ、外国為替に関しては、個人は、その国に用事がなければ、投資してはいけない。

また海外旅行にはチャンスかもしれないが、世界経済悪化に伴い、治安が悪化する国々も増えよう。旅行先には十分調査が必要だ。団体旅行でも安心はできない。

三、投資家は機関投資家、個人投資家共に、厳しい状態が続くだろう。

株価は、数年間低迷するだろう。日経平均が1万円を割るのも時間の問題だ。上げ下げしながら、下げていくだろう。急激な上げや、急激な下げは、相場が傷んでいる証拠だ。そして、時価会計である以上、多くの資産は毀損する。

既に、投資評価損を出している個人投資家は多いはず。所得の高い人や投資家は、その多くが収入減になる可能性が高い。マネーの売買で儲けていた人たちは、市場の暴落で、ある意味、首根っこを押さえられた状態になりつつある。

その結果、消費が低迷する可能性が高い。但し、今がチャンスとばかり追加投資しても損する可能性は高い。追加投資などはせず、じっとしておいた方がいいだろう。

またドルが安くなり、結果的に円高が続けば、海外投資家は、一流株式には投資残高を増やす可能性はある。

四、中低所得者への影響

中低所得者が、あまり影響は受けないかというと微妙だ。彼らは投資余力を持たないので、投資による損害は受けないだろうが、国内経済の悪化が彼らに与える可能性は高くなった。

例えば、リーマン・ブラザーズの発行した円建て外債が債務不履行になる可能性があるからだ。これらを買っているのは地方銀行を中心に、大手銀行、証券会社という。特に地方銀行がこの不良債権を抱え込むことになれば、当然、地方の中小企業への融資にも影響が出てくるだろう。

そうなれば、融資が回らなくなり、中小企業の破綻も予測される。もし、それを中低所得者に皺寄せさせるなら、社会問題になるだろう。そうなれば、地方に失業者が出る可能性もある。それに低所得者の所得は限界に来ている。

ただ、中低所得者にも若干の朗報があるかもしれない。円高になる可能性が高いし、原油価格も当面下落を続けるだろう。そうなれば、タイムラグはあるものの、輸入物価は落ち着くと考えられる。それに伴い、国内物価は安定または下落するだろう。しかし、所得低下での物価安定は、消費を刺激しない。そんなところに、定額減税をしても全て貯蓄に回るだろう。

五、米金融破綻前に計画された補正予算は、中身を見直す必要があるだろう。

選挙前に補正予算を通すと言うが、これは問題が多い。状況が変わったのだから、中身は当然見直しされて当然だ。必要のない政策に、お金をばら撒く必要はない。必要な政策が変わったのだから。

自民党総裁選も終わり、総選挙のムードが漂っているが、補正予算の中身を見直ししてから、選挙に臨むべきだろう。自民党政権は、吉田に始まり(正確には違うが)、皮肉にも麻生で終わる可能性も高い。それまでに最後のご奉公をすべきだろう。

六、以上のような状態で、果たして景気対策というのは何なのか。

多分必要なのは、中小企業に金融が回るような政策だろう。そして求められるのは、国の補助金等のばら撒きではなく、市場が動く政策だろう。すなわち知恵の提供なのだ。

例えば、脱炭素政策もいいし、省エネ政策の更なる推進もいいだろう。また新住宅政策の立案も求められる。東京リスクは相当積み上がっているから、都会からの人口分散政策も有効だろう(但し、これらの政策は景気の即効性はない。政治家の方々は、即効性を求めすぎるが、それは政治ではない)。また中小企業の提携・合併を意識した全国レベルでの広域連携の推進も求められる。

七、規制緩和か、新たな規制か

規制緩和を依然としてまだ騒ぐ人たちも多いが、規制も規制緩和も市場が動かなくてはならない。これらは、市場を動かす手段なのだ。そして規制も規制緩和も永遠ではないことを知るべきだろう。

時代が変われば、規制緩和も必要だが、同時に新たな規制も必要である。いかに時代に対応するかが問われている。機械的に、緩和したり規制しても、国民の利益にはならない。

八、税制の見直し

ブログの別項で述べているので、ここで改めて記さないが、時代の流れを、中長期で計画しながら、社会の雰囲気を察して、短期的に柔軟な運用をしていく当局の姿勢が求められる。しかし、戦略と戦術をごちゃまぜしてはならない。そして具体的実践のためには、それを中長期に国民の理解を得るべく、情報を流しながら、現実に処していくということだろう。

まず、所得税の累進課税の強化や各種控除の引き下げ、財産税の見直し(控除の引き下げ)が求められる。消費税を上げるのはその後だ。また消費税は本来、景気が上がってから上げるべきだが、世界経済の状況から景気を上げることは、いかなる政策を打っても可能性は低い。経済成長による財政再建の道は閉ざされたと判断すべきだろう。

しかし、財政再建が滞ると、将来、国が身動きできなくなる。そうなると、現在考えられるより、増税になる可能性がある。時に、政府は、将来のシナリオを明示して、消費税増税を国民に頭を下げて協力を求める時がくるかもしれない。

それには、民主党が主張するように、社会保障の分野で国民に安心感を持たせるための十分な説明を行い納得を得て、国の無駄な仕組みをなくし、官僚の天下りを制限し、国家公務員の大幅な人件費カットすることが前提になる。これは自民党政権ではできないかもしれない。

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2008年9月22日 (月)

これからは用心深く

父は、何か行動を起こす時、常に最悪の事態を想定していたようだ。父は用心深い人だったと思う。以前にも記したが、天気予報が晴れと予測していても、空を見上げて、風が少しあると、折り畳み傘を持ち歩いていた。だから、父が雨に遭って、ずぶぬれになったことは聞いたことがない。

流風が、雨に濡れて帰ると、またか、という感じであきれていた。また、新しく傘を買っていくと、傘が増えるので、無駄遣いを何とかせえ、と小言を聞かされた。そういうと、あの利休も用心深い人で、いつも傘を持って出かけたという。優れた人は皆、そうなのかもしれない。それは何も、傘だけのことではなかっただろう。すべてにおいて、そのようだったに違いない。

さて、最近は、急な雨が多いが、そういう災難にあわないためにも、予め用心して行動をしなければと、つくづく思う。世界経済は徐々に混乱していくだろう。先を見越して、落ち着いて行動したいものだ。基本的に、今後はゼロ成長をベースに考える必要がある。

一部の政治家の主張する経済成長の可能性は極めて低くなる。国も苦しくなるが、国民も苦しくなる。こういう場面では、お互いにオープンに知恵を出し合い、最善策を講じることが求められるのだろう。しばらく、辛抱の時期だ。

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2008年9月21日 (日)

真意を隠した諦めの歌

世の中、世渡りには、ゴマすりも必要悪だろう。人はヨイショされて、嫌な気分になる人は少ない。そういうことができない人は、ゴマすりする人を非難するが、一度ゴマすりを経験してみればいい。人間関係の潤滑油としてみれば、それは意味がある。但し、仕事ができないのに、ゴマすりだけでは、現在では生き残ることは難しい。

ところで、在原業平にも、真意はともかく、ゴマすりの歌がある。『伊勢物語』に、次のように物語られている。

在原行平の家に、よい酒があったので、藤原良近という人を主賓にして、饗応の席を設けた。藤原良近は藤原不比等の孫で酒豪であったと伝えられる。美味しいお酒と聞いて、ほいほいやってきたのだろう。

行平が大きな藤の花を瓶に挿して、それを題材に歌を詠うことになった。そこで弟の業平が詠んだのが、次の歌と云われる。

  咲く花の 下にかくるる 人を多み 

        ありしにまさる 藤のかげかも

皆、その歌の主旨を怪しがったので、業平は、次のように説明したという。

  おほきおとどの栄花の盛りにみまそがりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる。

すなわち、太政大臣の良房氏が栄花の盛りにあられる。皆がその恩恵を受けようと彼を頼っていて、それはまさに、藤の花の下に人が集まっているのと同じことよ、と。

人は間接的に褒められると嬉しくなる。良近を出汁にして、藤原家を誉めそやして、おべっかを言ったと見られても仕方ない。しかし、その裏に、真意は隠されている。若干諦めのようなものが感じられる。

益々栄える藤原家と、没落する在原家。業平の歌には、諦念が感じられる。その裏の心理では、藤原家もいつか・・・、という思いがあるのだろうか。驕れる者、久しからずと。

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2008年9月20日 (土)

米国の公的資金投入

米国が公的資金を数千億ドル(*別の報道では上限約7000億ドル)投入し、金融を安定させると発表した。そのためか、株式市場は値を上げているようだ。しかし物事は、そんなに単純ではないだろう。

公的資金の準備はできたとするが、一体どのようにするのだろうか。米国は、巨大な財政赤字を抱えているし、現在の経済状況で増税もできないだろう。そうなると、残された手は、国債の増発だ。

しかし、今後どのようになるかわからない国債を引き受けてくれるところは、国内外にあるだろうか。

日本は、米国債を大量に持っているが、もう買えないだろう。そんなことをすれば、国益を犯す可能性も高い。本来、米国債は売却すべきなのだが、そんな度量のある政治家もいない。それでも、追加で米国債を買う馬鹿はいないだろう。そんなことをすれば、非国民扱いされる。

後は、石油で潤うアラブ国家などに依頼するのかもしれないが、すでに購入した米国債でかなり損失を出しているので、敢えて買おうとしないだろう。その他の国家も同様だろう。米国の投資家でさえ、もうすでに米国を見放している。一体どうするのだろう。

そうなると、相当高金利を約束しないと資金を集められないが、そんなことをすれば、更に財政赤字が積み上がる。結局、身動きできない状態になるのではないか。バブル崩壊後、財政赤字で苦労している日本と同様のプロセスを歩むとすれば、米国の景気はなかなか上がってこないということになる。

結局、米国は売られ、ドル安が極端に済む可能性も高くなる。ということは、日本は、決して、現段階で、いかに米国政府に頼まれても、米国債を買ってはならないということになる。国内投資家も、ドルが暴落するまで、しばらく大人しくしている方がいいだろう。

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2008年9月19日 (金)

農水省の被害者意識

今回の汚染米事件の農水省の対応を見ていると、農水省の被害者意識が見え隠れする。すなわち、政治家によって、農政が振り回されているという感覚だ。確かに、自民党の農政はふらふらしているのは事実だ。特に海外からの攻勢に弱いと感じられる部分も多い。国家としての主張が弱い。

そもそも、今回の混乱の元は、ウルグアイ・ラウンドにおけるミニマム・アクセス米の輸入(正確には、最低輸入機会。輸入するのは任意)に日本政府が同意したことだろう。確かに、当時は仕方なかったかもしれないが、世界を取り巻く状況は大きく変わっている。それなのに、矛盾した政策を継続することに問題があるのだろう。まず、ミニマム・アクセスを止めるべきだろう。

そして、輸入米の事故米以外にも、国内の備蓄米の事故米についても、基本的に焼却処分することが望まれる。仮に、事故米の需要が工業用に強い場合は、トレーサビリティーを明確にし、その責任の所在も明確にして、それでも需要があれば、国内流通を許可すべきだろう。しかし、基本的に需要はないということだ。それなら、今回の事件の元を断つべく、流通をさせないことが求められる。やはり焼却処分しかないということになる

また農政が、生産者や流通業者重視の結果が、今回の混乱に輪をかけていると言える。今回の事故米の流通先の公開についても、農水省は、政府からの命令に嫌々対応しているような感じだ。しかし、これは農水省に問題がある。現在のように消費者重視に政策転換した現在、大切なことは、消費者がまず第一で、生産者や流通業者は、その次の問題であると理解しなればならない。その点で、農水省は意識転換が遅れているように感じる。

農水省は、やたらと被害者意識を持つのではなく、消費者第一の観点に立ち、政策運営していく姿勢が求められる。もし、それができないのなら、もう農水省はいらない。農水は一つの生産産業として把握し、経済産業省に管理移行させることになるだろう。

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2008年9月18日 (木)

玉手箱を開けてはならないか

童話の『浦島太郎』は、乙姫から玉手箱を渡され、開けてはいけないと言われていたのにもかかわらず、開けて老人になったという話になっている。人間、開けてはいけないと言われると開けたくなるのが人情だとしても、この物語は何を語ろうとしたのか。一般には、いろんな教訓話を組み合わせたとも考えられる。

この物語の話の素として、考えられるのは、九州地方の漁師が、漁に行って舟が難破して、朝鮮半島辺りに流され助けられた後、数十年後帰国した人の話から、物語が展開したとも考えられる。それに話を膨らませたのだろう。

たまたま、この漁師は異国で助けられ、夢のような生活を送った(あるいは、真逆で、助けられたがひどい目にあったのに、人々に逆の話をした可能性もある)と考えられる。しかし、当時ほとんどの船の難破では、多くの人が亡くなっていただろう。助かったことは奇跡だが、そのような奇跡は期待してはならないと言っているようにも捉えられる。

そして龍宮城での乙姫との生活は、あっという間に時が過ぎていくということを語っているのだろうか。その間は、夢中で生活しているから、年齢など考えない。どのような生活であれ、夢中に過ごしている時は、時間はあっという間に過ぎ行く。現実は夢であるとも言っているように感じる。

それでは、玉手箱の存在の意味は何だったのだろうか。これは後ろを振り返れば、人生が終わろうとしているということを示しているのかもしれない。現実の生活に満足し、危険な玉手箱のような夢は見るなと、後世の者を諭しているようにも受け取れる。実際の生活が夢であり現実であるということを言いたかったのかもしれない。

それにしても、セネカではないが、人生は短い。人生は、そんなに長くない。あまりにも、若い時から、「玉手箱」を開けてしまう若い人たちがいる。そういうものにあまり期待せず、しっかり前を見て、現実的に物事を見ていくことは、大切なことと思う。

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2008年9月17日 (水)

米金融破綻と日本の金融機関

サブプライムローンの破綻以後、色々噂されていた米金融機関が次々と破綻している。これはかつての日本のバブル崩壊と同じプロセスを歩んでいるように思う。リーマン・ブラザーズの破綻は、山一證券の破綻と同じ様なものだろうか。

しかし、リーマン・ブラザーズの場合は、日本市場においても、ライブドアなどを利用して、危ない取引に手を出していた。彼らの企業体質が破綻を生み出したとも言える。これは一部の社員の暴走で破綻した山一證券と異なり、企業全体が腐敗していたような感じだ。

もちろん米金融界全体が、サブプライムローンなどの過剰信用創造によって、破綻したのも事実だろう。やはり不健全な経済発展は、そのマイナスの影響も甚大ということだろう。

そして、翻って、日本の金融機関を見てみても、バブル崩壊時同様の状態だった。その後、約十年を経て、バブル崩壊を脱したからと言って、金融機関がしっかり機能しているかといえば、そうではないだろう。

それは、これだけ日本銀行の政策金利が低いのに、利益を十分に出していないことからもうかがえる。法人税さえまともに支払っていないのだ。日本の銀行は、バブル後の後遺症は依然として深く、人材が十分でなく、実質機能していない。

それは、実際、大手銀行の行員と話せば、すぐわかる。あまりにもレベルが低い。リストラされて、残った行員のレベルにも問題があるのだ。これで、銀行の行員が務まるのかと思うことは度々だ。新人ならともかく、ベテランにして、そのようなのだ。本部にも、大した人材がいないと推定できる(*注)。

そして、今回のリーマン・ブラザーズの破綻に伴い、日本の金融機関もかなり大きな痛手を被る可能性も高い。米政府が財政赤字で救済しないということだが、それほどに内容が悪いということだろう。

そんなところに投資または融資して利益を上げようとした日本の金融機関の調査能力には疑問を感じざるを得ない。そう言うと、欧米の金融機関と比べれば、被害は少ないなどと言うが、そんなことと比較することに何の意味もない。自らの能力を棚上げしているだけのことだ。

日本の金融機関も、もっと地道な努力をして、社会貢献すべきだろう。投資家への配慮も必要だが、まず安易に利益を上げようとする姿勢は改めるべきだろう(利益を上げることは大切だが、その仕組みが十分ではない)。社会的に見て、銀行の存在意義を再確認し、明確な企業哲学を有し、多くの人々から支持され、周辺の利害関係者からも支持されるよう、バランスよく堅実な道を歩んで欲しい。

そうすれば、仮に危機に陥っても、いろんな協力者が現れるだろう。日本のマスコミも、米国の金融機関危機について、騒ぐだけではなく、足元の国内の銀行の経営姿勢をもっと問題視すべきだろう。

*注

日本の金融機関の人たちは、名刺にいろんな資格を記しているが、ほとんどが無用の長物と思われる。テクニカルなことにいかに知識があっても、現実の経済を見通す眼がなければ、それらは意味をなさない。多分、資格を得ることに汲々としているのだろう。多くの人々は、その役職名や資格に惑わされてはならないだろう。彼らは素人と思った方が間違いがない。

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2008年9月16日 (火)

布引の滝と行平・業平兄弟

新神戸駅からやまのほうに上がっていくと、布引の滝がある。布引の滝は、三大神滝と呼ばれる。ケーブルに乗って見ることもできるが、やはり歩いて上って行って見る光景とは異なる。

下から雌滝、鼓ヶ滝、夫婦滝、雄滝があり、この四つを総称して、布引の滝と言われる。滝が布のように落下するところから、この名称が付いたとされる。雄滝の上に、五つの横穴が開いており、そこに水流が入って出るため、水しぶきを上げながら、水が落下していく。それがこの滝の美しさを作り出しているのだろう。

いろんな言い伝えがあり、龍宮城の乙姫様が住んでいたと云う。まさか。まあ、いろいろ想像を働かせるのは面白いけれど。それで例の横穴には、それぞれ名称が付けられて、滝姫宮、白竜宮、白髭宮、白滝宮、五滝宮というそうだ。乙姫様の着ている白い布を布引の滝に晒すため、滝が白く見えると言う人もいたようだ。

また、『伊勢物語』でも、その光景は紹介されている。業平が芦屋の灘で海遊びをした後、行平と布引の滝を見に行くのである。

まず、行平が次のように詠む。

  わが世をば けふかあすかと 待つかひの

          涙の滝と いずれ高けむ

自分の時代が何時来るか、何時来るかと待っていたが、その甲斐もなく、嘆きの涙は、この滝とどちらが高いだろうか。没落する在原家を嘆いている。まあ、藤原家の天下ではどうしようもないのだが。でも、この滝、相当高いよ。雄滝は高さ約34メートル、雌滝も高さ19メートルあるらしいから。相当な嘆きだな。

続いて、業平が次のように詠む。

  ぬき乱る 人こそあるらし 白玉の

          間なくも散るも 袖のせばきに

行平の嘆きを、直截的な表現せず、もっと深く表している。つまり、この歌の意は、(ネックレスの)ビーズ玉をばらばらにしたように、玉をばら撒く人がいるらしい。同様に、滝の白玉が絶え間なしに降って来るので、この狭い袖では、受け取ることもできない、と言っているのだ。

藤原家に対する皮肉も含まれているのかな。在原一族が、藤原家に官位などにつられて、ばらばらにされていることを嘆いているようにも聞こえる。だが、その官位さえ、兄弟には回ってもこない、と。

この歌で、ちょっと白けてしまったのか、彼らは帰路についている。それは重い足取りのようだ。気晴らしに出かけたつもりが、却って、気分が重くなる旅がある。旅をする時は、何もかも忘れた方がいいのだろう。まあ、流風は、歌の心得もないので、その心配はなさそうだが。そういう故事とは関係なしに、久しぶりに布引の滝に行ってみようかな。

*参考 三大神滝

日光華厳の滝、紀州那智の滝、そして布引の滝

 

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2008年9月15日 (月)

九州の農畜産品は安全か

母が、九州の農畜産品は買ってはならない(特に問題の県を挙げていたが、ここでは記さない)、とよく言っていた。その根拠に疑問を持っていたが、今回のような事件が起こると、問題の根本は異なるが、不信感は募る。母は何を根拠に言っていたのか知らないが、いろんな情報を収集していた。

父は笑っていたが、母は真剣だった。農畜産品物がどのように作られ、どのように流通しているか、自分なりに調査していたようだ。一般の主婦である母が、土壌の状態、使用されている肥料、農薬使用の状態、畜産の飼料などを詳しく調べていた。これは、まるで研究者のようだと当時、思ったものだった。

確かに、九州の農畜産物は、実際、土壌が汚れていたり、農薬が過剰に使われたり、禁止農薬が使われたり、餌に問題があれば、問題は多いかもしれない。しかし、なぜ、母は、九州に注目したのだろうか。

父や流風は、小さい子供がこれらを摂取するのは危険だが、大人が常習的に摂取しなければ、排泄されるという判断をしていた。このように程度問題と思われるのだが、九州の農畜産物には、今後、多少神経質になるかもしれない。

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2008年9月14日 (日)

若返りの水と謡曲『養老』

『竹取物語』について、以前、このブログで取り上げたが、あれは不老不死の薬と愛の比較だった。当時から、不老不死は、昔、中国の皇帝も望んで、日本の噂を聞いて、大金を投じて、日本に使者を派遣させたほどだから、生への執着は、相当なものだっだろう。

また、中国の食事に関する古い本などを見ると、「不老長寿の妙薬」というのも紹介されているから、昔から、相当、そういうものを研究したことも窺える。実際、それは漢方の分野で活かされているし、薬膳料理にも活かされている。ただ、人間の欲につけこんだ詐欺的な商売もあるようだ。

日本での伝説は、『竹取物語』のような話はないではないが、それほどに生に執着していないように感じる。人間は自然の一部であり、それは輪廻するという考えの方が行き渡っているのであろうか。せいぜい、物語られるのは、水を飲んで若返ったという類である。謡曲にも、『養老』があるが、その謂れは次の通りだ。

元正天皇(聖武天皇の叔母)の頃、美濃国の貧しく賤しい孝行息子の樵(きこり)が、老いた父親が酒好きのため、貧しいながらも、工面して酒を購入し、父親を養っていた。困った爺さんだ。でも、最近の子供と違って、あくまでも親孝行を続ける。

ある日、山に入って、薪を取ろうとした所、苔に滑って転び落ちた。そうすると、芳しい酒の匂いがするので、近寄って見ると、石から、水が出ており、酒に似ていた。そこで、それを汲んで父親を養った。そして養老の滝を発見して、そこの水を父親に飲ませると、若返ったという故事があるところから生まれている。

  長生の家にこそ、長生の家にこそ、

  老いせぬ門はあるなるに、

  これも年経る山住みの、千代のためしを、

  松蔭の岩井乃水は薬にて、

  老を延べたる心こそ、

  なほ行く末も、久しけれ。なほ行く末も久しけれ。

それを天皇が聞き召して、行幸ということになり、その水を確認される(実際は、使者を遣わして)。天皇が、試しに飲まれて、肌がつやつやとしたというから、美容効果は高かったのだろう。まあ、それで若返ったと思われたのだろう。何といっても女帝だから、女性ならではの感性だ。

  老をだに養はば、まして盛りの人の身に、

  薬とならば、何時までも、御寿命もつきまじき。

  泉ぞめでたかりける。

  げにや玉水乃水上澄める御代ぞとて、

  流れの末乃我等まで、

  豊かに住める嬉しさよ、

  ゆたかに住める嬉しさよ。

そして、天皇は、このことを賞して、これは親孝行の樵に天が感心して与えられたものとし、後に美濃守に任じたと云う。この謡曲は、天皇の世を寿ぎながら、民が親孝行であると、自然も喜び、それが結局、美味しい水を生ませ、そして、民を潤すことになるのだと説いている。

この「養老の滝」は、流風は居酒屋程度しか知らない(笑)が、実際、本当の養老の滝をいつか観光で見てみたいものだ。また、元正天皇同様、最近の女性も、美容には怠りないようだが、水の大事さに気づいている人は少ないかもしれない。美味しい水は健康にもいいし、それが美容につながる。かつて日本の水は、美味しかったが、最近は水を購入する事態になっている。

水道水は、確かに美味しくなったが、高くなった。それでも、市販品の水を購入するより、自然水が得られるように、自然のおいしい水がどのように生成され、そのために何をしなければならないのか、もう一度、確認したいものだ。おいしい水は、長生きできるというのは、実際、データ上も、そのようだし、古人の云う通りかもしれない。流風も、美味しい自然水で若返って長生きしよう。

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2008年9月13日 (土)

ミニマム・アクセスの廃止を

農水省が、輸入米の事故米を国内に流通させて、大問題になっているが、そもそも、ミニマム・アクセスを廃止すべきだろう。過去、日本で、米の不作時、輸入米の議論が起こり、多少輸入し、そういうことと関税問題が絡まって、ミニマム・アクセスを導入したのだろうが、時代も状況が大きく変化しており、時代遅れの政策になっている。

それに、本来、「ミニマム・アクセス」は「最低輸入機会」であり、輸入義務はないのに、輸入をしなければならないニュアンスで、政府が政策を誘導してきたことに問題があると言う。

それなら、問題は簡単で、世界の食糧事情が逼迫した現在、自国でお米を自給できる日本が、海外の米をわざわざ輸入する意味はない。ミニマム・アクセスを廃止すれば、今回のような問題は起こらないはずである。

日本は、過去の政策の見直しがなかなかできない点が、今回にも、噴出している。政策は数年ごとに定期的に見直すことをしなければならないのは、他官庁も同様であろう。過去の政策をあくまでも踏襲する悪弊を打破すべきだろう。

*追記

現実に、ミニマム・アクセスを廃止することは、付き合い上、難しいようである。そうなら、全て、援助物資にすればいい。日本に一旦入れないとカウントされないと言うが、その辺は交渉して、日本には、一粒も入れずに、援助物資にすべきだろう。そういう努力を怠らないようにして欲しい。

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2008年9月12日 (金)

コンビニの24時間営業規制について

京都でコンビニ24時間営業について、制限を加えることが行政が突然の話として出してきて混乱しているらしい。まあ、流風は、コンビニに限らず24時間営業はあまり、その必要性を感じていない。

確かに、24時間営業は不健康な社会を招きがちという気持ちはわかる。しかし、なぜコンビニだけに規制をかけるのだろうか。その他の24時間営業の店には、どのように対応するのだろうか。

それに、人々は既に24時間営業の店の存在を前提に仕事や生活をしており、ある日、そのような施設がなくなれば、不便を感じるだろう。ということは、まず仕事のあり方や生活のあり方を変えるよう、誘導や指導がまずなされるべきだろう。

そして、なぜそのようにしなければならないのか、人々に説明して同意を得なければ、いきなり規制しても、それは有効に働かないだろう。行政は思いつきで、規制をかけてはならない。

*追記

但し、地方においても、コンビニが深夜まで、看板や店内の照明の光が煌々と照らし出されているのは違和感を感じる。田舎であれば、農産物に悪い影響があるだろう。京都がどのような状態にあるのか知らないが、地区の状態差を把握して、政策にはメリハリがなければならない。

*平成20年12月11日追記

本日のNHKの「クローズアップ現代」で、コンビニの24時間営業規制について取り上げていた。その中で、コンビニ経営者にとっても、24時間運営は、生活を奪われ、大変なことであることを伝えていた。ビジネスとして、無理があるのなら、別の視点で、それは修正されなければならないだろう。何事も無理は長続きしない。

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2008年9月11日 (木)

ドラマ『温泉へGO!』を視聴して、温泉に行こうか

朝夕が涼しくなって、秋の足音が近づいている。蝉の音に代わって、秋の虫の音が聞かれるようになった。こうなって来ると、行きたくなるのが温泉だ。寒い時期もいいが、少し涼しくなるこの時期が、流風には一番。とは言っても、毎年は行かないのだが、今年はどこかに行こうかな。

ところで、温泉旅館も、原油の値上がりの影響で、客足が減っているようだ。ガソリン代を負担するなど、色々やっているようだ。もう少し、ガソリン代が下がれば、客足も多少回復するかもしれない。電車で行く人間にも、何かサービスしてくれないのかな。駅まで送迎をしてくれるところもあるが、そういうこともやってくれないところもある。辺鄙なところで、抱えている人員が少なければ、仕方ない面もあるが。

また、温泉料理の豪華さは、そろそろいい加減にしてもらいたいものだ。最近は、素泊まりできて、料理は外食可能という旅館もあるようだが、全体から見れば少数派だろう。もっと気楽に行ける温泉旅館を望みたい。

もちろん、海外の多くの旅行客を迎える場合は、豪華料理もいいだろうが、国内旅行者対象は、もう少し旅館に多様性が求められる。大型設備で大量の客を、豪華料理で招く旅館もあっていいが、少人数や個人で楽しめるホテル型旅館もあっていいはずだ。今後の温泉旅館に期待したい。

そういうことを考えていると、テレビ欄に、昼間の放送で、温泉をテーマにしたドラマがあったので、ビデオにとって、夜、視聴してみた。それはTBSの『温泉へGO!』だ。以前、シリーズでやっていたらしいが、視ていない。

主演は、加藤貴子さん。彼女の記憶といえば、以前、毎日放送ラジオの「ヤンタン(ヤングタウン)」にお笑い芸人と出ていたように思う。「カトタカ」と呼ばれて、結構いじられていた。静岡出身らしいので、辛かったと聞く。

まあ、東日本の人たちは、関西流のいじられに耐えられないかもしれない。そんなに悪気はないのだが、結構、堪えるらしい。現代でも、東京方面の人たちは、大阪への転勤を嫌がるそうだから。今でも、特に、奥さんの抵抗が強いらしい。まあ、わからんでもないが。慣れると何でもないのだが。

さて、このドラマ、明らかにお気楽系だ。夜にビデオを再生して視るのだが、なかなか楽しく面白い。以前のシリーズも見たいものだ。それにしても、なぜお昼の放送なのだ。夜はくだらない番組があまりにも多いので、見る気もしないのに。中高年も楽しめる番組制作はないものか。

人口構成から見ても、テレビ界は古い体質の人が多いのだろう。それとも、番組制作する年代と需要とのマッチングが悪いのかもしれない。未だに、若い人向けの番組中心に構成されているのは、ちとおかしい。

そのことはさておき、ドラマの内容は、主人公、椎名薫(加藤貴子)が、ある旅館(『御宿さくら』)に、派遣会社から派遣仲居としてやってきたところ、支配人は、そこの息子で、佐倉涼は偶然にも、高校の同級生だった。そして同じく同級の茶道家の息子、村上修成もいる。なんと彼は、モト彼という設定だ。

また涼は、どうも事業で失敗しているらしく、多額の借金を抱えていて、母親(佐倉奈津枝)の経営していた温泉旅館の経営を黒字化して、借金の穴埋めに、売却するつもりらしい。

まあ、温泉旅館の経営は、難しいものがある。特に昔に作られたものは、大量の客を迎えて捌くことで経営が成り立っていたから、そういう客が減ってきた現在では、過大な設備投資が重荷になっている所が多い。この旅館も、その例に漏れず、そういうことで苦しんでいるのだろう。

息子は、母親の人間関係のしがらみを断ち、古い中居たちをリストラし、人件費負担を低くするため、仲居を派遣にすることにしたが、素人仲居は何も知らないから、現場は混乱する。そこで登場するのが主人公。一般に、旅館は、その季節需要対応のため、少ない正社員と多くのパート・アルバイトから成り立っていることが多い。

ここでの問題点は、母親の女将を隠居させていて、仲居をリードする女将も、若女将も不在なこと。リーダーがいなくては、組織は機能しない。そういうことを会社を経営している涼が理解していないというのは、話的には少し無理があるが、ここでは旅館経営を全く理解していない人物として登場している。

それに対して、薫は、かつて若女将として働いた経験があるらしいが、苦い経験があるらしく、最初は旅館で働くことを拒否していたが、旅館の内部事情を知るにしたがって、旅館の仕事にのめりこんでいくというのが大体のあらすじだ。くわしいことは、『温泉へGO!』のホームページを見てもらおう。

今後、ドラマがどのように展開するのかしらないが、実際問題、旅館経営は大変だろう。従来の画一的な旅館経営では成り立たないのは明らかだ。国内の社員団体旅行が減り、需要と供給のバランスが崩れている。アジアの海外旅行者を招くにしても、全ての旅館は対応できないだろう。

結局、多様化したレベルでのいろんな形態での旅館が望まれる。有馬の一部旅館は、素泊まりできたり、顧客対象を絞ったり、また旅館規模を小さくして、隠れ屋的旅館にして成功している所もある。もちろん、その方がリスクは小さい。そういう旅館を多店舗で経営した方がいいのかもしれない。今後も、いろんな形態の温泉旅館が出てくるだろう。

それでは、このドラマに刺激されて、今年は、どこの温泉に行こうか、思案中。このドラマに何かヒントはあるかな。

*平成20年11月21日追記

ついに本日で60話が終了した。若干、終わり頃は端折った感があるが、まずまずの出来であろう。流風にとっては、全体として、温泉旅館経営の内情を垣間見た感じはする。旅館経営の難しさを再確認させられた。客を招き、それを維持するのは大変だ。

まあ、それでも、このドラマは、お昼の番組なので、録画して視聴したが、気楽に視れて良かったと思う。かつての温泉旅館ドラマ『細腕繁盛記』のような暗さというか重さがない分、救われる。

それでも、確かに、主婦向けの時間帯のため、三角関係の三つ巴には、ちょっとやりすぎの感は否めないが、まあ、ドラマだから許せるか。話の展開からは、続編がありそうである。

また、どこかの地方局で再放送はされるのかな。またシナリオと台詞がしっかりしているので、この内容なら、ラジオドラマとして音声だけの放送も有効であろう。

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2008年9月10日 (水)

光と影

世の中、どうしても光と影の部分が分かれる。スポットライトが当たれば、光に照らし出された部分(像)は目立つことになるが、影の部分は目立たないし、その存在も軽く見られがちだ。

しかし、光が単独で存在することは無いし、言い換えれば、影があるから光があるとも言える。往々にして、光に当てられた部分だけしか注目されないが、その光によって仕上げられる像は、それが生み出す影によって大きく左右されることは間違いないだろう。

ところで、演劇の分野でも、脇役や裏方がしっかりしていないと、いくら主役を演じるものが優れていても、作品としては十分なものにならない。しかしながら、最近の時代劇は、総じてあまり出来が良くない。それは演じる者(主役、脇役共)に、当時の時代の想像力が薄く、時代の雰囲気を出す、必死さが欠けるのもある。

更に、最近強く感じるのが、時代劇の雰囲気だ。昔の物は、白黒の時代もあって、技術的には現代と相当劣るはずなのに、それなりの雰囲気を出して作品になっていた。原作・シナリオの不出来、時代考証が不十分なセットの作りこみの甘さ、そしてあまりにも原色を使った映像つくりに問題があるのだろう。

特に映像は、光のコントラストが西欧風になっていて、どうしても違和感を感じる。すなわち、映像に影がかかっていない。日本の景色の陰影の出し方に問題があるのだ。このように映像作りも、「影」の部分がしっかりしないと、つまらない作品になってしまう。制作者はもっと配慮してもらいたいものだ。

*追記

ちなみに、兵庫県立歴史博物館では、特別企画展として、『光と影のワンダーランド~アニメのルーツをさぐろう~』を開催している。日本の伝統的な遊びの影絵や幻灯、写真、動画装置などを通じて、光学玩具の歴史をたどっている。この博物館は、その企画の落差は大きいが、今回は面白かった。9月28日まで。大人500円。

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2008年9月 8日 (月)

成果の正しい評価と狂言『雁礫』

世の中、どんな会社にも、部下の成果を横取りする上司がいるものだ。彼にすれば、部下に追い抜かれる恐怖があるのだろうが、そういった狭い料簡で、さらに評判を落とすことになる。部下の正しい評価をして、出世の手助けをすれば、将来、自分のビジネス構築に役に立つとは考えが回らないようだ。

凡そ、出世する人は、大抵が、部下の人材育成に心血を注ぎ、人材を育成した結果、自らも自然と地位を高めている。つまらない嫉妬で、組織活力を削ぎたくないものだ。

さて、狂言にも、『雁礫(がんつぶて)』(先日、NHKで放送されていた)では、大名がまさに弓で雁を射ようとした時、使いの男が礫(小石)で仕留めてしまい、「それは自分が弓で仕留めたものだ」と、いちゃもんをつけ、揉める場面がある。確かに、自分が目をつけた獲物を、横取りされた気分は悪いかもしれない。

しかし、それなりの地位にある人が大人気ない。大体、わがままに育てられた大名が、他人の成果を自分のものとしようとするのは、子供っぽい。だが、現実には、現代でも、そんな大人も多いのが事実だ。決して、この大名を嘲笑うことはできない。

もちろん、正面きって、この大名のように成果を横取りするのは、さすがに少ないかもしれないが、見えないところで、意外と成果を横取りしているものだ。部下に感謝する姿勢は大切と思う。部下あっての上司だから。

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2008年9月 7日 (日)

なめられている農水省は何をすべきか

次々と発覚する食品偽装。そして今度はメタミドホスが混入した輸入食用事故米を業者に転売される事件。もう、これは業界が、農水省を完全になめきっている証左だろう。どうせ見つからないと思っているのだろう。彼らに見つかることなどありえないと業者は判断し、仮に見つかっても、大した処分を受けないと考えているのだろう。

それほどに、農水省の業界監視システムが甘いのだろう。さらにもっと深い事情があるのかもしれない。発覚した事件は氷山の一角に過ぎないのだろう。業者は言うではないか。「皆、やっているのに、なぜ自分の所だけ摘発するのか」と。この問題は、慣例のように、長い間、続いていたのだろう。知らないのは、一般消費者だけだ。

もっと農水省にはしっかりしてもらいたい。人の口に入るものを十分に管理できないのは困る。よく事故品は、人体には影響ないと、無定見に発表するが、根拠はない。国民の健康を害するような農畜産物が市場に流通するようでは、農水省は、その役割を果たしていない。

農水省は、現在の仕組みそのものを見直すべきだろう。業界管理は、経済産業省から、そのノウハウを教えてもらうべきだろう。そして、悪慣習に慣れた食品業界を相当締め上げる必要がある。

もちろん、農水省が、業者の不正を一つ一つ管理するのは事実上不可能だろう。であれば、それぞれの業界で管理させればいい。そして、その業界団体に所属する会員が不正を行えば、共同責任で、所属団体が、相当厳しい罰金を国に納付させる仕組みを作ればいい。一種の五人組システムだ。

業界団体は、毎年、会員から、それ相当の会費を徴収し、それを積み立てておく。不正があれば、業界で負担する仕組みを作れば、業界内で監視する仕組みが作られ、不正が発生する前に、事前チェックできることになる。

ただし、ムチに対するアメは必要だ。つまり、その業界団体に属するメリットは、それなりに大きくなければならない。業界と対話しながら、さまざまな支援作りは求められる。そういうことが、結局、業界全体で取り締まることになるだろう。

*追記

そもそも農水省が、輸入食用事故米を売却して、国内流通させたことが問題の根本だ。国際公約であろうと、国民を害する可能性があるのなら、輸入すべきではない。そいうことをきちんと判断できないのなら、農水省の存在価値はない。こうたぴたび問題が起こるなら、次の政府は、機能不全に陥っている農水省を解体再生させるべきだろう。

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2008年9月 6日 (土)

首相の条件

首相の条件は一体、どのようなのだろうか。かつて自民党は、有望議員に、主要大臣等(旧大蔵大臣、外務大臣、党幹事長)の要職を経験させて、首相になりうる人材を育ててきた。そのようにして、内外に通用する議員を育成したのだ。それは今でも意味があるだろう。

ただ最近は、そのような意識は薄く、誰をどのように育成していくのかの指針もないようだ。今回の総裁選にも、大した実績もないのに、あまりに多くの政治家が立候補しており、節操がない。結局、リーダーの人材育成を怠ったことが、こういう事態を招いている。これは自民党の衰退を意味し、自業自得ということかもしれない。

さて、それでは、首相になるには、どのような条件が求められるのだろうか。

一、首相は与野党を超えた存在であることを理解していること。

たとえ、与党から選ばれようと、首相は、国を代表していることを忘れてはならない。そのためには、野党からも、一目置かれ尊敬できる人物であることが求められる。

二、基本的な信念・政治理念などの考え方にブレがないこと

信念が強くないと、いろんなことを即時決定できない。意思決定の基準が明らかであれば、迷うことはない。

三、経済及び外交で重責(大臣)を担った経験があるか。

国内経済や外交問題に知悉していないと、首相の役割は難しい。国内景気と海外動静とのバランスを取る嗅覚が求められるので、官僚任せでは、リーダーシップは発揮できない。

四、国内選挙を指揮して、勝利した経験があるか。

民意を背景とした政権は強い。選挙で勝った経験があれば、厳しい場面でも乗り越えられる。

五、政権を握った場合の、首相の意を理解して、手足として動いてくれる表のスタッフと(変な意味ではなく)裏のスタッフが整っていること。

政治はある意味、灰色で、ドロドロしている部分がある。それをうまく捌くには、表向きの野党との折衝だけでは必ずしもうまく行かない場合がある。

六、副首相を三名指名できること

日本の内閣の仕組みは、首相の負担が大きすぎる。そのことを理解して、分業の発想ができることが望ましい。そのためには、副首相の指名が求められる。そういうブレーンを日々養っているか。

   第一副首相 外交、防衛担当

   第二副首相 金融、財政担当

   第三副首相 国内経済担当

このように見て来ると、与野党に適任者はあまりいない。自民党は人材を育成していない。仮に今からスタートしても、人材が育つのは十年後だし、政権を手放せば、それも難しくなる。

他方、民主党は、政権を握ったことがないので、小沢氏以外適任者はいない(*注)。民主党は、政権を握って、「吉田学校」ならぬ「小沢学校」を創れるかが、民主党の将来を決めることになる。

人材育成は、あらゆる分野で重要だと、改めて認識させられる。

*注

ただ、小沢氏は、ディベートが弱く、誤解されやすいので、首相には不向き。そうかと言って、裏の仕事をやっても、性格上、ついつい口出ししてしまうので、鳩山政権を混乱させた。また彼はリアリストだが、却って、それが、政治音痴のマスコミや一般国民から、なかなか理解されない。

政治とカネの問題で追及されたが、悪い奴ほど直接、手を汚さない。大連立の失敗で、某大新聞の意趣返しが、西松建設問題だろう。結果的に、時代のエアポケットに嵌ってしまったのは、少し残念だ。

彼の能力を活かせるポジショニングが何なのか。難しい問題である。例えば、与野党を超えた「政治家育成塾」の塾頭とか、外交で活かせないものか。

*平成22年9月7日追記

小沢氏が、民主党代表選に出て、管首相と争っている。やっと表舞台への意欲を示した。陰でやることが不評なのだから、表舞台で活躍すればいい。それは首相でもいいし、外相でもいい。小奇麗だが、頼りない官僚タイプの議員では、何もできないだろう。彼らの意識を変えさせることも彼の役割だ。

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2008年9月 5日 (金)

知恵の限界

人間、色々考えても結論に導けないことがある。それを無理して考えすぎると、たびたび迷路に入ってしまう。人間の知恵には限界があると思う。天才と思われる人でも、考えすぎれば、病気になってしまう。ましてや、凡人である多くの人たちは、あまり考えすぎないようにした方がいいかもしれない。

では、どうすればいいのだろうか。それは、ある程度、考えがまとまれば、行動を起こしてみることだろう。案外、行動を起こすと解決することも多い。机上で悩んだことが、あっという間に処理できたケースは、流風の場合もよくある。

行動を起こして失敗したらと思って行動できないのが、行動を起こせない理由だろうが、ある段階に達すれば、思い切って行動する方が、良い結果を招く。そこでは、なるようになる、というプラス思考が求められる。

『論語』にも、「過ぎたるは尚及ばざるに如かず」とあるが、やってみて失敗するのと、やってもいないで、くよくよ悩むのとでは、結果は全く異なる。十分考えて、迷った場合は、行動するに限ると言えるのではないか。

*追記

ただ、迷った場合は、動くなと言うのも、一つの真理。それは五分五分なのか、少しどちらかに偏っているかによって、判断は違ってくる。最終的には、直感だ。よって、直感が正しく働く、心身の健全さが求められる。

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2008年9月 4日 (木)

世の中の構造

よく、世の中には、持てる人と持たざる人がいると言う。確かに生まれてきた時から、お金持ちの家に生まれる人と、そうでない人とは、その時点で差がある。

しかし、父がよく言っていたのは、同じお給料をもらっても、一方は二割を貯金し、もう一方は全て使ってしまえば、もう、そこから格差は生じる。だから、どんなに平等な社会を作っても、格差が生まれると。

それを補うのが、所得税の累進課税や、相続税や贈与税だとも言っていた。確かに、所得税の累進課税を強化し、相続税等の財産課税を強化すれば、数世代で格差は改善される。

ところが、この仕組みは、ある意味、不平等だ。努力して貯めた貯蓄や、稼いだ所得に課税するのは、納得できないという人もいる。確かに、理屈は合っているだろう。

だが、この世の中は、貯蓄しないで消費する人がいるから、ある意味、経済が回っていると捉えることもできる。消費する人がいるから、儲けることができる人々が生まれる。

そのように考えれば、人は持ちつ持たれつということになる。貯蓄を優先するか、消費を優先するかは、個々人の考え方であると言える。世の中は不思議な構造だ。結局、トータル・ゼロの社会なのかもしれない。

*追記

流風は、何も貯蓄する人が悪いと言うつもりはない。ある程度の貯蓄も生きていくためには必要だ。だが、目的もないまま貯蓄ばかりするのは、問題が多いと思う。

*追記

よく所得税の累進課税を強化したり、財産税を強化したら、海外に資金が逃げるという人がいる。また、それなりの所得の人も、海外に行くという。

しかし、行きたければ、海外に行けばいいのだ。日本を捨て、日本人の資格を捨てるのなら、それも良いだろう。後で、どんな事態が起きたとしても、日本に泣きつく様な無様なことがないように願いたい。

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2008年9月 3日 (水)

味噌をつける

味噌は料理には欠かせない。味噌汁はもちろん、豆腐料理、魚や肉の焼き料理、ラーメンのスープや、中華料理には必要だ。流風は、二種類の味噌を使って、大体の料理に使っている。以前、色々な味噌を買ってみたが、結局、無駄にしてしまうことが多く、伝統的な日本の味噌を購入している。

だから、中華料理などには、それに向いた中華味噌を使った方がいいのだろうが、日本の味噌を使うため、料理店で食べるものとは、違った味になっている。慣れると、それもいい塩梅で、それなりの味がするから不思議だ。

ただ、この味噌、違う所につけるとヘンなことになる。諺に言われる「味噌をつける」は、失敗することを指している。火傷に味噌をつければ治るという迷信を信じて、味噌を患部に塗っても、治ることはない。世の中には、変な迷信を作り出す人がいて、混乱させるが、よく冷静になって考えてみることが大切だ。

惑わされないようにするためには、話を聞いて、少し間を取り、自分で考えることが重要だ。彼らは、そうはさせまいと、畳み掛けて話しかけてくるが、その時点で怪しいと思ったらいい。また自分で味噌をつけるのも問題だが、味噌をつけられないように注意したいものである。

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