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2008年9月18日 (木)

玉手箱を開けてはならないか

童話の『浦島太郎』は、乙姫から玉手箱を渡され、開けてはいけないと言われていたのにもかかわらず、開けて老人になったという話になっている。人間、開けてはいけないと言われると開けたくなるのが人情だとしても、この物語は何を語ろうとしたのか。一般には、いろんな教訓話を組み合わせたとも考えられる。

この物語の話の素として、考えられるのは、九州地方の漁師が、漁に行って舟が難破して、朝鮮半島辺りに流され助けられた後、数十年後帰国した人の話から、物語が展開したとも考えられる。それに話を膨らませたのだろう。

たまたま、この漁師は異国で助けられ、夢のような生活を送った(あるいは、真逆で、助けられたがひどい目にあったのに、人々に逆の話をした可能性もある)と考えられる。しかし、当時ほとんどの船の難破では、多くの人が亡くなっていただろう。助かったことは奇跡だが、そのような奇跡は期待してはならないと言っているようにも捉えられる。

そして龍宮城での乙姫との生活は、あっという間に時が過ぎていくということを語っているのだろうか。その間は、夢中で生活しているから、年齢など考えない。どのような生活であれ、夢中に過ごしている時は、時間はあっという間に過ぎ行く。現実は夢であるとも言っているように感じる。

それでは、玉手箱の存在の意味は何だったのだろうか。これは後ろを振り返れば、人生が終わろうとしているということを示しているのかもしれない。現実の生活に満足し、危険な玉手箱のような夢は見るなと、後世の者を諭しているようにも受け取れる。実際の生活が夢であり現実であるということを言いたかったのかもしれない。

それにしても、セネカではないが、人生は短い。人生は、そんなに長くない。あまりにも、若い時から、「玉手箱」を開けてしまう若い人たちがいる。そういうものにあまり期待せず、しっかり前を見て、現実的に物事を見ていくことは、大切なことと思う。

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