布引の滝と行平・業平兄弟
新神戸駅からやまのほうに上がっていくと、布引の滝がある。布引の滝は、三大神滝と呼ばれる。ケーブルに乗って見ることもできるが、やはり歩いて上って行って見る光景とは異なる。
下から雌滝、鼓ヶ滝、夫婦滝、雄滝があり、この四つを総称して、布引の滝と言われる。滝が布のように落下するところから、この名称が付いたとされる。雄滝の上に、五つの横穴が開いており、そこに水流が入って出るため、水しぶきを上げながら、水が落下していく。それがこの滝の美しさを作り出しているのだろう。
いろんな言い伝えがあり、龍宮城の乙姫様が住んでいたと云う。まさか。まあ、いろいろ想像を働かせるのは面白いけれど。それで例の横穴には、それぞれ名称が付けられて、滝姫宮、白竜宮、白髭宮、白滝宮、五滝宮というそうだ。乙姫様の着ている白い布を布引の滝に晒すため、滝が白く見えると言う人もいたようだ。
また、『伊勢物語』でも、その光景は紹介されている。業平が芦屋の灘で海遊びをした後、行平と布引の滝を見に行くのである。
まず、行平が次のように詠む。
わが世をば けふかあすかと 待つかひの
涙の滝と いずれ高けむ
自分の時代が何時来るか、何時来るかと待っていたが、その甲斐もなく、嘆きの涙は、この滝とどちらが高いだろうか。没落する在原家を嘆いている。まあ、藤原家の天下ではどうしようもないのだが。でも、この滝、相当高いよ。雄滝は高さ約34メートル、雌滝も高さ19メートルあるらしいから。相当な嘆きだな。
続いて、業平が次のように詠む。
ぬき乱る 人こそあるらし 白玉の
間なくも散るも 袖のせばきに
行平の嘆きを、直截的な表現せず、もっと深く表している。つまり、この歌の意は、(ネックレスの)ビーズ玉をばらばらにしたように、玉をばら撒く人がいるらしい。同様に、滝の白玉が絶え間なしに降って来るので、この狭い袖では、受け取ることもできない、と言っているのだ。
藤原家に対する皮肉も含まれているのかな。在原一族が、藤原家に官位などにつられて、ばらばらにされていることを嘆いているようにも聞こえる。だが、その官位さえ、兄弟には回ってもこない、と。
この歌で、ちょっと白けてしまったのか、彼らは帰路についている。それは重い足取りのようだ。気晴らしに出かけたつもりが、却って、気分が重くなる旅がある。旅をする時は、何もかも忘れた方がいいのだろう。まあ、流風は、歌の心得もないので、その心配はなさそうだが。そういう故事とは関係なしに、久しぶりに布引の滝に行ってみようかな。
*参考 三大神滝
日光華厳の滝、紀州那智の滝、そして布引の滝
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