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2008年9月30日 (火)

創業者の遺訓に学ぶこと

一般人の眼で見ても、三井グループは衰退しているように感じる。かつてのような勢いは無い。もちろん戦後、財閥解体されたので、戦前のようなものがそのまま残ったわけではないだろう。しかし、企業グループは、戦後も形成されていた。企業文化としては、三菱が、「組織の三菱」と言われるのに対して、三井は、「個人の三井」と言われてきた。

ところが、三井の声はあまり聞かれなくなってしまった。その理由は核となるべき銀行が住友と合併し、実質、主導権は住友が握っていることもあるのだろうか。そんなことを言うと、かつての三井銀行も、グループで主導的役割を果たしていなかったと指摘する向きもある。それでも、両替商として、伸してきた歴史を見れば、そういうことも言えないのでなかろうか。

最近では、三越の不振が言われている。伊勢丹に統合され、実質吸収された。伊勢丹と言えば、三菱系だ。時代が変わったとは言え、少し情けない気がする。暖簾によりかかった経営が、経営革新できなかったのだろう。創業者は地下で嘆いていることだろう。

さて、三井と言えば、もとは藤原道長の流れである。右馬之助信正が京に出て、近江国三井に住まいを定めて、その土地の名をとって、三井と称したという。それから何代も続いたが、世継ぎがいなくなって、源氏の流れの佐々木六郎高久を養子に迎えた。代々、当主は「高」を名前につけているということだ。

それから戦国時代だから、いろいろあって各地に流れ、高久の子、高俊が三重の松阪で酒屋を始めた。その四男が優秀で、実質、三井の創業者である高利だ。彼は、まず京都に呉服店をオープンし、やがて江戸・大阪に支店を作る。それを更に発展させて両替商を始めた。ここに三井財閥の礎が築かれる。

子供がたくさんおり、その中の男子六人から、長男を総本家とし、他の五人の子供は各事業の本家とした。今で言えば、総本家が持株会社、本家が子会社と言うことだろうか。この時、総本家は家憲「宗竺居士遺訓」(*参考)を定めている。

流風は、三井とは何の関係もないが(笑)、三井グループには、もう少し頑張ってもらいたいものだ。それには、三井グループの歴史を改めて学ぶことだろう。結構、ヒントは、自社の歴史にあるものだから。このことは、全ての企業に当てはまることだろう。業績が頭打ちになったら、過去の歴史や創業者の志を再確認してみるのもいい。

*参考  家憲「宗竺居士遺訓」  

        http://www.mitsuipr.com/history/kaken.html

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