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2008年10月18日 (土)

道真の『秋思詩』

先日、コオロギの鳴き声が比較的大きく聞こえた。しかし、屋外にしては、大きすぎるので、探してみると、玄関の箒の後ろにいた。おいおい、そんなところで鳴くなよ。ということで、外に出してやった。

まあ、それでも、秋になると、それなりに感傷的になるのは、自然なことかもしれない。杜甫の漢詩も、他の季節では若干重たい感じがしても、この季節には受け入れられるようになる。気分が同期するのかもしれない。

日本では、菅原道真の詩に、秋を題材にしたものがある。それは『秋思詩』である。菅原道真と言えば、彼は学者政治家で、何の閨閥も無いのに右大臣になった。天皇の引きがあったとは言え、やはり相当能力は高かったのだろう。

しかし、時として、学者は理想を追い求める。それが藤原家にとっては、鬱陶しい存在だったのだろう。結局、藤原時平に讒訴され、大宰府に配流された。その時に詠んだ詩がこれだ。秋に題材を取った詩の代表かもしれない。それに、この詩は、秋にしか詠めない。

全体を通して、自分自身の脇の甘さを後悔しつつ、天皇の御恩に報いられない無念さを詠んでいると考えられる。次に、その詩を示そう(*注1)。

  丞相年を度って幾度か楽思す

  今宵物に触れて自然に悲し

  声は寒し絡緯風吹くの処

  葉は落つ梧桐雨打つの時

  君春秋に富み臣漸く老ゆ

  恩に涯無く報猶お遅し

  知らず此の意何かに安慰せん

  酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず

解釈は、流風的に見ていくと、次のようであろうか。

「私、道真は、多年のわたり、天皇の御恩を授かり、そのお蔭でもって、幸運な生活を送ることができました。今宵は、秋の風に触れて、感傷的になり、悲しくなってきました。虫の声は(心が冷えているためか)寒々としており、吹き渡る風の中に、桐の葉に雨が落ちる音が聞こえ、それが益々、孤独感を強めていきます。

陛下は、まだお若く、これからの未来に楽しみもいっぱいあろうかと思いますが、臣である私共は、既に老境を越えるところにあります。それゆえ、陛下へのご恩に対して報いるには、時間がないことを悲しみます。このようなどうしようもない状況で、鬱々として、自分の心を慰める術が見当たりません。せいぜい、酒を飲み、琴を聴き、詩を詠じて、気を紛らわすしかない状況です。私が十分にご奉公できないことをお許しください」

この慙愧の念が、後、都を雷で脅かし、藤原家を恐怖に陥れていく。彼の怒りを鎮めるため、彼を祀ることになる。童謡の「とおりゃんせ」にもある、いわゆる「天神様」である。こういうことで、神でありながら、庶民に近くなった人も珍しい。

しかしながら、学者道真が、本当に藤原家を恨んだかどうかは疑わしい。彼は多分達観していたのではなかろうか。彼の周囲の人たちの同情が、そのような話を生んでいったのだろう。判官びいきは、日本人の伝統だ(*注2)。

そして、誰でも、道真のような例はともかく、中高年になると、あれをやっておけばよかった、これをやっておけばよかったとか、後悔は多かれ少なかれ誰でも存在する。そういうことのないように、一日一日を確認しながら歩みたいものだ。

*注1

但し、この歌は京の都での歌会で、「秋思」という題で詠われたものという解説もある。

*注2

但し、菅原家に対する藤原家の過酷な処置は、いくら政敵とは言っても、やりすぎであることは確かである。そのことに対して、無念は感じたとは思う。しかし、当時、やったらやり返されるという恐怖は勝者側に常にあったことは否めない。

*参考

神戸には、道真がらみの施設としては、須磨に綱敷天満宮がある。彼が大宰府に左遷された折、その途中(901年)、風波を避けるため、一時、須磨に上陸された。土地の漁師は急なことなので、松の下に魚網の大綱を巻いて、円座を作り、彼を坐らせ休憩させたという。その故事に基づき、天元2年(979年)に創建された。

JR須磨駅から東に歩くか、山陽電車須磨寺駅から東南の海方向に歩いていくとある。先日、サーフボードのオブシェが奉納されたらしいが、彼は政界を泳ぎ切れなかったのだから、若干皮肉がこもると流風は思うのだが。

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