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2008年10月16日 (木)

湖上の愁い

湖ほど、春と秋では印象の異なる所はない。秋の湖は、どこか物悲しい。気分もどこか鬱陶しい。昔、お見合いして、湖畔を歩いたが、お互い気分が盛り上がらくなって、結局、失敗した苦い思い出がある。

コースの選択を間違えたようだ。湖でボートに乗るのも、春と秋では気分違う(その時はボートには乗っていない)。秋の湖畔は集団か一人が相応しいと気づいたのは、その時以来である。その後、気づいたのは、湖畔や湖上の愁いは、詩にもそのようである。若い時に、気づくべきであったが、当時は詩には関心がなかったので致し方ない。

そういうことで、今回は、「秋日湖上」という漢詩を取り上げてみる。薛瑩(せつえい)という人の作で、『唐詩選』にも紹介されている。薛瑩については、よくわからない。湖は洞庭湖とされ、湖上で詠んだものだ。

洞庭湖がらみの漢詩では、杜甫の「岳陽楼に登る」(*参考)が有名だが、これは洞庭湖の岸にある岳陽楼で戦争から切り離された孤独を詠んだものだ。これは別の機会に味わうとして、その薛瑩の詩は次の通りだ。

  落日 五湖の遊

  煙波 処処に愁えしむ

  浮沈 千古の事

  誰ぞ与に東流に問わん

一応解釈すると、次のようになるのだろうか。

「夕方、気晴らしのため、洞庭湖に小さい舟を浮かべて、湖上の人になった。しかし、却って、あちらこちらの波間の霧のように、私の心は晴れず、覆い隠すように、憂鬱にさせる。その中を舟は大きく揺れている。人生の浮沈は舟と同じことだろうし、それは大昔からそのようであったろう。ところが河はそういうことには関係なく、厳然と東に滔々と流れている。時は過ぎ行き、私は時代に埋もれてしまうのだろうか。河に問いてみたいものだ」と。

薛瑩については詳しくはわからないけれども、詩の内容からすると、左遷でもされたのかもしれない。もちろん、いい時もあったのだろう。しかし、それは長続きはしない。それを洞庭湖の舟上で、人生の侘しさを嘆いているのだろう。

*参考   杜甫「岳陽楼に登る」

学生時代に学んだ、この詩も参考に挙げておく。

  昔聞く洞庭の水

  今上る岳陽楼

  呉楚東南に坼(さ)け

  乾坤日夜に浮ぶ

  親朋一字無く

  老病孤舟有り

  戎馬関山の北

  軒に憑(よ)って涕泗(ていし)流る

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