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2008年10月27日 (月)

政治とマスコミ報道の関係

政治とマスコミの絡み方は、複雑だ。双方、持ちつ持たれつの関係だ。しかし、その関係は難しい。大阪府知事が朝日新聞の報道内容と姿勢を批判している。激昂しているようだ。彼一流のポーズなのだろうか。でも、子供ぽいなあ。ああいう姿は、あまり見られたものではない。見苦しいだけ。君は若すぎる。

権力者というのは、常に批判されるものだ。その批判を見方にするのも、その人の器だ。今のままでは、大阪をまとめるのは難しいだろう。それに大阪はスマートさだけでは、人々を束ねることはできない。彼はスマートさを全面に出し過ぎなのだ。

人物のメッキがはげてきたのは事実だろう。もっと地に足をつけた政治が求められる。マスコミに露出しすぎた反動が来た証拠だ。現在は、マスコミを利用したツケが来ているのだ(宮崎県知事も、いずれそのようになるだろう。もっとも、彼はもっとずるがしこく立ちまわるだろうが)。

別件では、鹿児島の阿久根市の市長と地元新聞社の南日本新聞社が報道のあり方について揉めているらしい。市長がその報道の仕方を批判して、取材を拒否して、「あっかんべー」をしたとして問題になっているらしい。

原因となった公人のブログが、果たして私人のブログと分けられるかも疑問だ。政治家にとって政治活動としてのブログも、私人としてのブログにも境界はない。それを別物と考えるのは、少し甘い。政治家としては、慎重な姿勢が望まれる。選挙活動に使うのも、将来はわからないが、現況、問題だ。

他方、マスコミの取材方法にも、政治取材の方法も難しい問題を孕んでいる。政治家と近づかないと情報は取れない。しかし、近づきすぎると、政治とマスコミの癒着になる。バランスを取るため、マスコミとしては、権力に対する批判も含めて、批判的な記事になりがちだ。そうかといって、政治と談合すれば、それは業界雑誌になってしまう。問題は、程度問題だ。

そのように、政治とマスコミ報道のあり方は難しい。報道は民意に影響するので、結果的に政治にも影響を及ぼす。それは当局の政策を歪める可能性もある。しかし、政治家の立場としては、マニュフェストを謳って選挙に勝っているわけだから、修正すれば、選挙公約を破る結果になる。それは野党からの攻撃材料にもなる。

報道の偏りは、あるべき民意を歪めることもある。住民が政治に対して、本来意見を陳述すべきなのだが、直接民主制でない日本は、選挙で選ばれた議員に任せるしかない。そこで、報道が住民を代表して意見を述べることになるのだが、この市長が指摘するように、報道は住民に心地よい意見を述べがちだ。報道もビジネスだからだ。

報道のバランス感覚は必要だ。最近の各社の報道は、社説に止まらず、意見報道になりがちだ。それは新聞以上にテレビの時事番組はそのように受け取れる。ストレートな表現も多いが、もう少しオブラートに包んだ表現も求められる。新聞も、社説以外の意見報道は控えるべきだろう。特に匿名記事はあまり感心しない。それはブログや週刊誌などで意見表明すればいいのだ。

そして政治家の方々も、マスコミ報道批判も時には許されるが、彼らの立場を良く理解して、包み込むような態度も必要だ。マスコミをその政治家のファンにする機会も与えられているのだから。

またマスコミの取材方法も工夫が求められる。政治家も人間だし、感情もある。夜討ち朝駆けの取材も否定はしないが、何がしかのルールも必要だろう。品のない取材は、読者や視聴者も遠ざける。

これらの問題は、案外、根が深くて、今後も各地で起こりうる問題である。単に地方都市の話題で終わるわけでもなかろう。政治家とマスコミ報道の相互の器が問われる問題とも考えられる。

*追記

権力者に対するマスコミ報道には、重箱の隅をつつく報道も散見される。例えば、麻生首相のホテルでのたびたびの会食と批判するが、そんなことは、どうでも宜しい。報道するマスコミのレベルが疑われる。

*参考

拙ブログの以前の記事(2007年1月28日付。「政治とマスコミ」)を以下に転載しておく。

真っ白な社会は理想ではあるが、きれい過ぎる社会は逆に危い。水清ければ魚棲まず、という言葉を噛み締める必要はある。

政治というものは、そもそも黒と白の間の解決に努めるものであり、基本的に灰色の部分を扱う。それは法律が、そういう部分を持っているからである。だから、あまり政治家に、真っ白な状態を迫るのはどうかと思う。

清廉潔白が望ましいが、それだけでは社会をうまくまわすことはできないだろう。そんなことをすれば政治活動が停滞してしまう。政治は結果であり、社会がうまく回ればそれでいい。

もちろん、政治が明らかに黒になりそうになれば、徹底的に糾す必要はある。それが時代の雰囲気で判断されることも否定しない。時代によって、灰色の強弱は変化する。そのことに鈍感な政治家は残れないことも事実だ。

そういう意味では、政治献金の献金者リストと政治家の発言はチェックする必要はある。それは政治家のためでもあり、国民のためでもある。マスコミは、その点を監視・報道し、政治家にブレーキをかけなければならない。

そして、もっと糾すべき問題は、官僚たちが、政治家に引き摺られて、灰色になったり、黒くなったりすることである。官僚たちに求められるのは、清廉潔白であることなのだ。マスコミは、むしろ、その点にもっと監視を強めるべきだろう。

以上から、言明できることは、社会に灰色の部分があるから、政治の領分があると言って間違いないだろう。だから政治家は、常に危い立場にあることを再認識すべきで、献金の受け取りやその発言には慎重さが求められる。

そして、マスコミは、政治家の周辺(政治献金者、官僚など関係者)の監視強化が求められ、もっと報道するべきだろう。

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