« マンションの価値と住宅新時代 | トップページ | 安くて、よい物は幻想か? »

2008年10月20日 (月)

『ふるさとの神々』展鑑賞

東京にいた頃、雅楽と舞楽のコンサートに行った事がある。大ホールでの催しであったが、満員であった。中高年のご婦人方を中心に、多くの人々がこういう催しに関心があるということがよくわかったものだ。

しかし、こちらに帰ってきてからは、神社での雅楽を聞くぐらいしか機会がない。今、東京ではどのようなのかわからないが、関西でも大々的に催してもらいたいものだ。京都辺りは、そういう催しがありそうな気がするが、何分遠い。近くで、ないものか。

さて、そのようなルーツを探る展覧会が、兵庫県立歴史博物館で、『ふるさとの神々』展として開催されている。県内にある鎮守や氏神として親しまれている神社にある宝物品が展示してある。県内の物を集めただけで、結構あるものだ。

但し、由来は兵庫県の神社なのに、宝物は東京の博物館にあったりするから、気持ちは複雑だ。ふるさとのものがふるさとにない。日本の浮世絵が、米国の美術館や博物館にあるのと同様の気持ちだ。ふるさとに返してくれないかな。

それはさておき、そもそも神道は、明治以降の神仏分離による国家神道と、それ以前からある民間神道がある。国家神道は、神道の統一であり、神社神道の国教化だった。それは戦前まで続き、戦後は、他の宗教と同じ扱いになる。

他方、民間神道は、昔、人々が農業を通じて、自然と接するうちに、自然発生的に生まれたものであろう。人々の思いは、生きるためには真剣だったに違いない。山上様を敬い、人々と一線を画した世界を想像した。それが6世紀に仏教が伝来し、大きく影響を受けることになる。いわゆる神仏習合である。

そのことを示す展示内容は、地域の庶民と結びついた祭りの神輿、神々を描いた神像、神社由来の絵巻物、奉納された絵馬が中心で、その他に刀などの武具も展示されている。もちろん、雅楽や舞楽も重要な役割を果たしている。多くの面も展示してある。

これなどを見ていくと、日本の宗教がいかに無理なく自然に庶民に溶け込んで行ったかがわかる。これは当初、当時の宗教家や知識人たちが、文字が読めない人たちにも、宗教の意味が理解できるように、如何に腐心したかが窺える。

そして、「日本教」というものは、結局、人間が自然と調和する「自然教」であると改めて認識する。「ふるさとの神々」は農業の神様なのだ。さらに、山の持つ意味が大切であったと改めて認識する。

それは見えるようで見えないものを仰ぎ見てきた人々の気持ちがわかるような気がする。最早、農業国とは言えない日本だが、改めて、日本の成り立ちとその心を確認する機会になった。

|

« マンションの価値と住宅新時代 | トップページ | 安くて、よい物は幻想か? »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« マンションの価値と住宅新時代 | トップページ | 安くて、よい物は幻想か? »