秋に想う老境の歌~李白『秋浦歌』
気温がぐっと下がって秋らしくなってきた。今年は、夏も食欲が落ちず、結構元気な流風は、過ごしやすくなって、更に食欲が増しそうだ。今のところは、体重はベスト体重を保っているので、安心しているのだが、掛かり付けの医師からは、ちょっと食べすぎだと警告されている。血液検査の結果、中性脂肪が以前より高いのだ。
そういうことで、少し気が重い。でも、あのでっぷり肥えたイメージのある李白と比べれば、細い方だと思うのだが、最近の報道では、痩せのメタボがあるそうで、少し食事の内容の見直しの必要性に迫られている。
ところで、李白というと、あの奇想天外な詩想にいつも驚かせるが、多かれ少なかれ、彼が中国人のイメージを日本人に定着させた詩人ということになるかもしれない。
実際、日本人は、事実に近い情報で、話す傾向が強いのに対して、中国人は、少し過大に表現する傾向が強い。それが国民性なのかもしれないが、それがもとで、日本人の誤解も招きやすい。まあ、双方が、その違いを理解すればいいのだが。
さて、李白の晩年の詩としては、あの「白髪三千丈」で始まる「秋浦歌」が有名だろう。
白髪三千丈
愁に縁って箇の似く長し
知らず明鏡の浦(うち)
何れの処にか秋霜を得たる
この詩は、十七首中の第十五首に当たるそうだが、他の詩には、まだ接したことがない。この詩の内容は、鏡を見てみれば、白髪だらけになってしまい、人生の秋を感じている、ということを表現しているのだろう。普通、男は、女性のように、余程ナルシストでない限り、鏡を見たりはしない。
彼はどういう心境で鏡を見たのか。実は、彼は晩年流刑されていたが、許されて「秋浦」という所に戻って、詠んだらしい。現在の安徽省の蕪湖と云われている。すなわち、「鏡」とは、湖に映るわが身を見て、詠嘆したのではないか。本当の鏡を見たわけではないだろう。
人は誰でも老いる。成功しても、しなくても、歳を重ねて老いていく。李白のような派手な人生を送った人も、老境に入って、人生の無情を感じたのかもしれない。落差の多い人生を送った李白は、この地で生涯を終える。
流風も、いずれ老境に入る。自分なりに、元気に明るく過ごしたいものだ。
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