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2008年11月30日 (日)

税金を“取る”“取られる”意識の転換を

一般に、税金を取るとか、取られるという表現がある。この「取る」という意識は、本来、封建制度の意識だ。残念ながら、この意識が、現代日本においても、続いていることは悲しむべきことだ。それは国家側も、国民側も同じである。

この取るという意識は、孔子が、「臣より取る、これ取ると謂ふ、と。仮ると曰(い)はず」と言い、君臣の位置づけを明確にしたことから始まっている。すなわち、お上は、臣下から欲しい物を取り上げるが、臣下から借りるということはありえないとしたのである。

従来、税金を納めることはしても、その使い方は知らされておらず、庶民は無関心にならざるを得なかったが、現在は、与野党伯仲で、いろんな情報がもたらされることになった。マスコミはそのことを報道し、庶民は否が応でも関心を持たざるを得なくなった。

政官は、今までのような運営の仕方では、切り盛りすることは不可能になった。政官は、国民が納得のいく、税金の使い方と、その集め方にせざるを得ない。政治も、官僚も、もはや特別の仕事ではなくなった。ある意味、代わりはいくらでもいる時代になった。少なくとも、もう学校エリートの職場ではないだろう。

政治家は、政治で金儲けは最早出来ないし、官僚も、年功序列、天下り、高額の俸給や退職金は、もう続けられないだろう。変なエリート意識は捨て、普通の政治と行政を執り行うことが求められている。

そして、一般国民も、もう孔子の時代ではないのだから、国に納得を求める必要がある。しかし、それは公私のレベルでバランスして考えることも求められることを忘れてはならないだろう。すなわち、国任せではなく、自分でも、どうあるべきなのか、考えなくてはならない、厄介な時代であることを認識する必要がある。

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