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2008年11月 9日 (日)

子供時代の躾の思い出

子供の頃、騒いでいて、枕を踏んだり、またいで母に叱られた。どういう意味で、母が叱っていたのかわからないが、よく言われた。そういうと、中国の話でも、周の穆王に寵愛された慈童が、穆王の枕の上をまたいだ罪で、流罪された例もある。

流風の場合は、どういう理由か聞かずじまいだが、行儀が悪いことは確かだろう。そして、子供の躾には、ほとんどの親が悩むことだろう。子供に理由を問われると、返事をするのは、また一苦労だ。

特に男の子は大変だ。なかなか言うことを聞かないし、元気がなければ、それはそれで問題だし、元気がありすぎても、それもまた困る。流風は、子供時代は大人しい方だったと思うが、それでも、両親に、たびたび叱られた。

友達と部屋で騒いでいて、障子や襖を破ったこともよくある。その度ごとに、母は、障子を張り替えたりしていたが、襖は素人ではなかなか直すことはできない。大きな紙を貼り付けて誤魔化そうとするが、余計に目立つだけ。

結局、父の帰宅後、大目玉を食らって、押入れに入れられたり、屋外に立たされたり、夕食は抜きだ、とか言われたりした。それでも、懲りずに、穴の開いた障子や襖にさらに穴を大きくしてしまったこともある。

その他にも、食事は音を立てずに食べることは、母から良く注意を受けた。もちろん、箸の持ち方は、くどいほど訓練された。嫌がると、「それは将来、お前が恥をかかないため」とか言われ、ちゃんとできないと食事させてもらえない。

また父は室内で音を立てることを非常に嫌がった。歩く時も、まるで泥棒みたいに音を立てずに歩く。障子や襖は音を立てずに閉める。ある時、ちょっとした弾みで、襖が音を立てると、厳しく叱られた。でも、子供にはちょっと厳しすぎる感じ。

父の基準は、今でも、どのようであったのかわからないが、まるで人の気配がないくらいに静かにせよ、ということだったのかもしれない。それは、子供には非常に辛い。まあ、父の言うことは正しかったのだろう。そうすれば、家も傷まないし、あらゆる無駄が省ける。

それから母からは、敷居は踏んではいけないし、畳の縁は踏んではならないと教えられた。華道やお茶の心得があるから、余計にうるさかった。不思議と、それはすぐ守ることができた。しかし、他人の家では、不思議がられたこともある。そういう躾をしない家もあるのだった。

掃除についても、廊下を中心として、拭き掃除は毎日のように命じられた。夏はいいけれど、冬は手がしもやけになって、辛かったけれども、許してはもらえなかった。その後のおやつはうれしかったけれど。母は、掃除は子供教育に必要と思っていたようだ。周囲をきれいにすることは、心身によいと思っていたらしい。

ある時、新聞を踏んだ時は、父に激怒された。その時、別に父が新聞を読んでいたわけではないのだが、後で、聞くと、「神を踏む」に通じ、神を怒らせたら、お前は無事に過ごせないと言われ、さすがに、それ以後しなくなった。

道を歩く時も、真中を歩いてはいけませんと言われた。最初、それは交通事故に遭うから、それに配慮してのことかと思ったが、神社に参詣する時も、真中を歩こうとすると、それは許されなかった。以前にも記したが、ポケットに手を入れても叱られた。もちろん、近所の方への挨拶は、当然だった。挨拶することは、自らを守ることと教えられた。

このように見ていくと、子供時代、いかに両親、特に父に叱られていたかがわかる。その結果は、残念ながら、イマイチだが、教えられたことは覚えている。それが財産と言われればそうかもしれない。十分にそれを守っていないことが、問題(特に掃除)だが。

*追記

躾には、両親共にうるさかったが、学業成績については、成績が悪くても、父に叱られた経験はない。学業に対する取り組み方について、時々示唆があったくらいである。母がよい成績の時は、時々喜んでいたぐらいである。

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