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2008年11月17日 (月)

能の味わい方は様々

総合芸術である能は、その鑑賞には手間がかかる。単にあらすじを知って、能楽を鑑賞しに行っても、外国人じゃないが、単調で退屈なだけだろう。鑑賞するには、下準備がいる。少なくとも、謡曲の内容を理解して鑑賞することが望ましい。

ただ謡曲のテキストを読んだからといって、その内容が理解できるわけではない。狂言のようなものであれば、単純にその内容を楽しんでみたら、それでいいが、謡曲はそういうわけにはいかない。すなわち、テキストを読んでも、その行間に示される内容を深く理解しないと、楽しめない。

そして、その理解度は、各人の経験と知識によって左右されるし、その解釈も異なってくる。その解釈の差を楽しむと、謡曲は断然楽しくなってくる。解釈は、各人、それぞれのやり方が許されるし、他人の解釈をそのまま受け入れなくてもいい。

しかしながら、能を真に楽しむとなると、次の段階に進むことが求められる。すなわち演者の謡曲の解釈による舞が果たしてどのように表現され、自分の解釈と、どのような共通点があり、差異があるのか。となると、舞の知識もなくては能は鑑賞できない。舞台を眺めるだけでは鑑賞にはならない。

演者の一つ一つの所作にどういう意味が込められているのか、わからなければ、能は理解できないし、楽しめもしない。もちろん、その音楽と空間が醸し出す雰囲気も、鑑賞者側は大きく影響を受ける。そういう意味では、能は、演者・鑑賞者双方の練磨が求められる総合芸術といえる。日本人は、能という文化に、もっと自信を持っていいと思う。

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