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2008年11月 7日 (金)

菊花の契り~信義とは

11月になっても、比較的暖かい日が続いているが、菊花展は各所で開催されている。今年も数箇所回ったが、どこも立派な菊ばかりである。以前にも、記したが、子供の頃、父が大輪の菊作りに挑戦したが、一応大輪のものはできたが、満足できるものができず、父にしては珍しく1年で止めてしまった。

流風は、そういう段階までは、とても行っていないので、せいぜい小菊を作るぐらいである。それでも、黄色や白色の菊が満開だ。少し大きな茶色の壷にナンテンの枝を切り取ったものに、白い小菊をあしらうと、品のある生け花になり、一人悦に入っている。

そういうことで、今回は菊に関する物語について、備忘録的に触れてみよう。それは人口に膾炙した『雨月物語』の中にある「菊花の契り」だ。『雨月物語』と言えば、怪奇小説と言えないこともないが、上田秋声の人間哲学が反映された教訓書と捉えることもできる。

さて、そのあらすじだが、舞台は、現在の兵庫県加古川市。丈部(はせべ)左門という貧乏な学者がいた。彼には老いた母親がいたが、息子の高い理想に共鳴し、生活を支えていた。彼の妹は、裕福な佐用家に嫁いでおり、佐用家はいろいろ支援を申し出たが、決して受けようとはしなかった。

少し脱線するが、この話には、親戚に同様の人がいた。戦前の話だが、その家は夫を病気で亡くして貧しい状態が続き、生活は大変苦しく、それを見かねた、夫の親戚は、農家でも比較的ゆっくりしており、多くが支援を申しでていた。

しかし、決して、その奥さんは、それを受けなかったということだ。息子がその理由を聞くと、彼女は彼に次のように語ったという。「生活は確かに苦しいが、今、もし親戚のお世話になれば、お前が仮に将来出世しても、親戚の皆さんには、一生頭が上がらなくなる。だから、決して、支援は受けてはいけない」ということだったらしい。

小学校もろくろく行っていないのに、そういう自尊心は備わっていたということだろう。明治生まれの女性のすごさかもしれない。苦しい時は、ついつい支援を受けてしまいそうだが、将来を見通すことはもっと大切だという事を教えてくれる。子供たちは、ろくろく小学校にも行けなかったが、その後、事業を興して、立派にやり遂げたという。

脱線してしまったが、話を元に戻すと、彼が知人を訪ねて、楽しく過ごしていると、隣室から呻き声が聞こえた。理由を聞くと、その人は、旅の人から宿を求められ、品性卑しからずということで、御泊めしたのだが、その夜、急に苦しみだし、どのようにすべきか困っているのです、と言う。

今は、知らない人を宿泊させるなんて、ありえないと思う人が多いだろうが、戦前までは、よくあったようだ。一宿一飯なんて、任侠だけの世界ではなかった。まあ、皆、貧しいから別に取られるものもないし、気軽に泊めたようだ。そういう助け合いの精神があった。現在ほど、交通も発達していないし、宿泊施設もないことがそうしたのかもしれない。

左門は気の毒に思い、看てあげたいと申し出るが、流行り病だと、もしものことがあってはと、断るが、「死生、命あり」ということで、説得し、病人を看護する。そして、まるで兄弟のような看護の仕方で、ついに病を治してしまう。

ちなみに、「死生、命あり」とは、人間死ぬ時には死ぬし、そうでない時は死なない、ということだ。強く生きる意志があれば、死ぬことはないとも言える。死は、諦めと共に来るのかもしれない。

さて、病気を治してもらった、その人は感激し、松江出身の赤穴宗右衛門であると名乗る。そして、これを機会に、義兄弟の契りを交わし、来年の重陽の節句に会おうということで別れる。

義兄弟とは、別に任侠の世界でなくても、交わされていたようで、それは本当の兄弟以上のつながりでもある。それは友人関係のような、いつでも切れる浅い付き合いではない。友人関係は、大義名分があれば、切り捨てることができるが、義兄弟は、そういうことはない。そういうと、『三国志』でも、義兄弟の契りを交わす場面がありますね。中国では、今でも、そういう考え方が浸透しており、外交面でも、その思考が生かされている。

以下、詳しい話は長くなるので、省略するが、その後、重陽の節句がやってきたので、食事や酒の準備をして、左門は待つが、宗右衛門はなかなかやってこない。しかし、諦めた頃に、宗右衛門らしき姿を認めるが、どうも様子がおかしい。

話を聞くと、囚われの身となり、約束を果たせないので、魂は千里の道も一日で着くと云うので、自刃して、やって来たという。左門は、宗右衛門の信義の厚さに感心し、彼の復讐を遂げるというものだ。

当時の人が、如何に約束を守るということを重視しており、信義を重んじていたことを表す物語かもしれない(その逆で、そういうことが守れない人が当時増えていたのかもしれない。それを諭すために作った物語とも言えなくもない)。

しかしながら、その内容については、実は、中国で作られた物語に似たようなものがある。全ての話が同じではないが、参考にした可能性はある(*注参照)。秋声は、これを基に舞台を日本に移し、翻案したものだろうと云われている。

それでも、この『菊花の契り』という作品は、その後、日本人に深く影響したものと思われる。この物語は、やりすぎとしても、その精神性には共感できる。さあ、今の日本人に、約束を守るということを重視している人がどれくらいいるだろう。

重要な約束は大切にしても、小さな約束を守っている人は少なくなっているのではないか。約束事は、一旦、口に出したら、守らなければならない。そのためには、言葉や行動は慎重になる必要がある。この物語の示唆について、もう一度学ぶ必要があるかもしれない。

*注

中国の『古今小説』の中に、漢の明帝の時代という設定で、張元伯と范巨卿の話として描かれている。成立年はよくわからないが、上田秋成より百年前くらいの作品でないかと推定される。彼が、この本を読んでいた可能性は否定できない。

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