戦い続けることの浪費
鞭声粛粛夜河を過る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年一剣を磨き
流星光底長蛇を逸す
頼山陽 『題不識庵撃機山図』(*注)
世の中、ライバルというものは、自分を成長させる。企業同士のライバル競争は、市場を拡大させる。企業においても、社員同士がライバルを持つことは、お互いの仕事を切磋琢磨させる。適度なライバル心を持つことは大切である。
しかしながら、それが行き過ぎれば、かえって、それは害になる。歴史的に、それを証明したのが、上杉謙信と武田信玄だろう。彼らはライバル心に捉われて、大目標を見失ってしまった。ライバル心のため、多くの時間を無駄に過ごし、天下統一という大目標を両者共に達成できなかった。
もちろん、二人とも、強い自尊心のある個性的な武人だったから、それは止むを得なかったのかもしれない。しかし、本当に大目標に対する信念があったのか、疑問が残る。歴史に、「もしも」は禁句かもしれないが、彼らが同盟を結んで、天下統一を目指していれば、現在の日本とは違ったものになったかもしれない。
ただ織田信長のような革新的思想の持ち主でなかったから、新しい日本を創ることはできなかったかもしれない。信長は、世界最強の軍事国家を作り出し、新しい国家の枠組みを作った。当時、欧米諸国家も、日本には手を出せなかったと云う。
それが、謙信・信玄連合では、世界から侵略されたかもしれない。そういう意味では、謙信と信玄が、無駄に戦い続けたことは、適切な天の配剤だった訳で、今の日本があるのは、そのお蔭かもしれない。歴史は皮肉のものだ。
*注 頼山陽 『題不識庵撃機山図』
大変有名なので、解説は不要と思う。ご存じない方に、念のために記すと、「ふしきあん きざんを うつのずにだいす」と読む。
不識庵とは、上杉謙信の出家後の法名で、同じく、機山とは、武田信玄の法名。この詩は、上杉側に立って詠われているので、「長蛇」とは、信玄を指している。
謙信の奇襲をもってしても、もう一歩のところで、信玄を仕留めることは出来なかった。しかしながら、謙信が、本当に信玄を仕留めなかったと言うより、わざと取り逃がした印象が強い。
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