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2008年11月10日 (月)

現代日本教育の課題と不要なPTA

過激発言で目立つ、例の大阪府知事が、「PTAを解体」とか発言して、問題になっていた。しかし、流風は、PTAの存在自体に懐疑的だ。父も、PTAが日本の教育を歪めていると、常々言っていた。こんなものは、必要ないとのことだった。

詳しくは聞いていないが、教師が、一々PTAにお伺いを立てるのは、明らかにおかしいと指摘していた。PTAが完全に中立的存在で、学校側と生徒側の橋渡しになるのなら、よいのだが、得てして、それはPTA役員のための組織になりがちだ。

学校教育に過度にPTAが関与することは、教育を歪める結果になりかねない。もちろん、学校教育者の監視は、どこかで求められるだろう。不良教育者が犯罪を犯す例もある。しかしながら、大半が、良心的な教育者であろう。むしろ彼らの悩みを解消する仕組みを作る必要があろう。外部から見ても、あきらかに、教育以外の雑用が多すぎる。

まず生徒の質の問題がある。教育を受ける態勢になっていない生徒を全体の中で、活かすことは大変難しい。すなわち、教育目標は何なのかを明確にした就学前教育が不十分なのだ。それをどのようにするか。

それを誰がやるか。家庭なのか、地域なのか。そういう問題を解決せずして、学校側に押し付けても、問題が複雑化するばかりである。いずれにせよ、教育の主体は家庭にある。それを放棄して、どのようにでもなるものではなかろう。

次に指摘するのは、教師の持ち時間の限界であろう。教師は、ただある教科書を機械的に教えれば済む問題ではない。もし、そんなことで済むのなら、今では、ネットシステムでマンツーマンで十分だ。よって、その教師でないと教えられない、学問の研究と教え方の常々の工夫が求められる。しかし、それをするのに十分な時間は与えられていない。

さらに、国民やマスコミが教育の現場の諸問題をすぐ問題化させるため、担当官庁は管理面を強化さぜるをえない。そうなると、結果的に、教師の前は、書類の山で、それに相当時間を割かれることになり、本来の教育準備時間を減少させる結果になる。

そして、最初に挙げたPTAとのお付き合いなどが増えると最悪である。個々の役員との対応に時間を割かれると、もはやPTAは教育側にとって、お荷物に過ぎない。PTAは解散して、就学前教育に腐心するべきだろう。そうすれば、教育者側からも歓迎されるだろう。

現代教育は、生徒の父兄側がいろいろ権利を主張しておかしくなった。学校教育はその学校を選択した段階で教育側に任せた方がうまくいく。教育側と生徒側のお互いの信頼関係再構築が求められる。それと共に、国家的には、教育側のシステム再構築(教育目標の再設定と、その構造と運営の再編)も求められる。

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