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2008年12月11日 (木)

人生は与えられるものか

人生は与えられる、とか言うと、多くの人は、人生は自分で切り開くものだと反論を受けるかもしれない。そんな心構えでは、人生をまっとうに送れないという人もいるかもしれない。

それは確かにそうであろう。しかし、人は多くの人の影響下にあることは事実だろう。いろんな意思決定も、自分の意思だといいながら、環境に支配されている。教育自体も、そうと言えるだろう。

だから決定の仕方も、それは周囲の人だけでなく、何らかの形で情報を得れば、それは直接的でなくても、それは他者の影響下にあると言えよう。

つまり、そのような情報に基づき、私達は判断し、自己決定している。そのように考えると、それは自己決定しているようで、他者に依存していることがわかる。それが人間社会の特徴だろう。

以前から、ビジネスの社会でよく言われる「顧客満足」という言葉も、ビジネス提供側が、顧客により決定支配されていると言える。それを大きいスケールで見れば、それは社会が決定していると言えよう。

現在の世論形成は複雑だが、それでも、社会の決定したことに素直に従うことは、少々納得がいかなくても、従う必要があるのかもしれない。人生は、自己決定できるようで、広い意味で社会に縛られているのかもしれない。

そういう意味では、社会の期待に応えることは大変なことだ。それは地位が上がれば、上がるほど、期待は大きくなり、難しくなる。そういうことなので、権力を持った人は、人々の「期待」というものにどのように対応するか常々考えておかなくてはならない(*注)。

*注

但し、人々に迎合するだけでは、うまく行かないことも多い。社会に善である、あるべき指針を示して、人々を説得し、折り合いをつけることも大切なことである。

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