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2008年12月 8日 (月)

考えさせられる謡曲『善知鳥』

人間が生きるということは、何かを殺して、その生命を頂いて、命を保っている。このことを否定する人はいないだろう。生きるということは、多くの矛盾を有している。でも、生を享けた以上、生き続けるのも、生者の義務であり、権利であろう。そして、多くの犠牲に対しては、感謝の心を持つことは大切である。

そういうことを題材にしたものに、謡曲『善知鳥(うとう)』というものがある。実は、善知鳥という文字を、謡曲に接するまでは、「うとう」と読むとは知らなかった。「うとう」は、ウミスズメ科の鳥で、親子の情愛が強いと云われているらしい。

ただ、この謡曲が題材としている、善知鳥が、果たして、その鳥なのか、若干疑問が残る。何かの鳴き声を鳥の鳴き声と勘違いしたのではないかと思われるのである。例えば、海亀である可能性も、流風には感じられる。

現実、うとうの鳴き声を聞いた人は、いなかったのにもかかわらず、違った声をその鳥の声と勘違いしている可能性はある。それは実際、鳴き声を早とちりで、違う鳥であった他の例もある。

さて、その謡曲では、次のことを前提としている。すなわち、砂の中に卵を産みつけ、母鳥が「うとううとう」と鳴くと、子鳥が「やすかた」と応じ、這い出る。善知鳥は、子鳥を失うと、涙を流すほど親子の愛情が深い、としている。

猟師が、その善知鳥の母鳥の真似をして、「うとううとう」と言うと、子鳥が勘違いして、這い出るので、それを猟師が取って、殺して、商売にしていたという。そのことにより、彼は死後、善知鳥の霊に苦しめられるのである。それは彼らに感謝することなく、善知鳥を殺して商売にしてきたことへの因果応報である、というのだ。

これは、現代でも、人は、生きるために、ある程度の動植物を食することは、致し方はないが、そういう目的で過剰に、彼らを苦しめることは、望ましいことではない。日本は、隣国の韓国同様(*注)、魚でも捕り過ぎとよく批判を受けるが、確かに、そういう面はあるかもしれない。動植物を食糧にする場合、少しも無駄にしないということは、せめてもの感謝の表し方だろう。

*参考  善知鳥神社

       http://www.actv.ne.jp/~utou/utou.html

*注

韓国は、日本の領海で盛んに密漁をして、さらに捕り過ぎている。漁場の侵害のみならず、魚の捕り過ぎは、将来、漁業資源の減少を強める。いずれ彼らも、いずれ善知鳥の霊に悩まされるだろう。そして、日本政府は、もっとしっかり取り締まるべきだろう。

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