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2009年1月 7日 (水)

プレイボーイと狂言『業平餅』

『伊勢物語』では、プレイボーイぶりをいかんなく発揮する在原業平は、彼の時代以後も、実際よりオーバーに表現されているだろう。まあ、有名税みたいなものだ。実際は、彼の行状でなくても、彼の仕業にしてしまった場合も多いのではなかろうか。それに、彼のブランドにしておけば、観客の反応もいいから、さらに大袈裟になっていく。

それに、前にも記したが、女性はブランドに弱い。天皇の血筋であり、男前であれば、どこかの追っかけみたいに、キーキャーと当時もあったに違いない。ちょっと見つめれば、妄想に走り、尾ひれがいっぱいつく。後の時代の女性たちも、恋憧れたに違いない。女性にとって、理想化された男性像よりも、少し危なっかしい男に惹かれるものだろう。

それは女性を対象とした観客に受けるためにも、創作活動にも取り入れられたことだろう。例えば、能や狂言だ。もちろん女性の観客を意識してのことだろうが、作者は、プレイボーイの裏側を描いて、女性に忠告しているとも受け取れるだろう。

例えば、狂言『業平餅』も、その一つだ。これは業平が傘持ちなど多くの家人と共に、和歌の神様を祀る玉津島明神へ参詣の途中の話ということになっている。和歌を詠みながら歩いていると、餅屋の前を通りかがるが、大体、お金を持っていない。当時の殿中人は、お金を持ち歩かない。

今でも、現金は一切持たず、カード主義の人もいるようだが、当時は、貴族は、そのようだった。お金なんて、賎しい者が持つものと考えていた。しかし、その後、貴族は没落し、お金を無視した生活はありえなくなる。業平の時代は、まだ、のんびりした時代だったのでしょう。

さて、お餅を食べたい気持ちは止まない。人間、お腹が減ると、食欲に身分の上下はない。そこで、小町の話(雨乞いの歌を詠って、奇跡が起こり、見事、雨を降らせたことにより、帝から褒美として、餅を賜ったという逸話)をしてやるから、それで餅を食べさせよと言うが、餅屋の主人は、それはできないと言う。

それではと、業平は、鏡餅から始まり、草餅、桜餅などの「餅尽くし」の謡を謡う。今だったら、海苔餅、納豆餅、きな粉餅、あんこ餅、大根おろし餅、焼き餅、汁餅などいろいろ考えられるが、当時の餅は、実際、どれくらいの食べ方があったのだろうか。食いしん坊の流風は、関心がすっとそちらの方にいく(笑)。

話を戻すと、さすがに、主人も関心を示し、家人に、「どなたさまですか」と問い、在原業平と知る。そこで、自分の娘を奉公させてくれるのなら、お餅を差し上げてもよいと約束。「奉公」させるとは、愛人として差し出すこと。

曖昧な返事をしていると、主人は娘を迎えに行く。その間に、業平たちは、お餅を盗み食いして、急いで、たらふく食べようとするが、咽喉につかえて、大変。それでも、食べ続けている。ちょっと茶化しすぎじゃないかい、狂言の作者よ。彼らは、そこまでも卑しくないだろう。ここら辺は、街中の感性。

ところが、主人が連れてきた娘の容姿を見て、あらっ、びっくり。とんでもない醜女だった。これはたまらんと、傘持ちに押し付けようとする。彼女を見ていない傘持ちは、最初は乗り気だったが、顔を見て、(実際はいないのに)決まった女性がいるのでと、急に尻込みして断る。結局、最初喜んでいた娘は取り残され、悲しむ、というような筋。

人間、外見が大事ということか。流風も、若い頃、まったくオシャレとは程遠いところにいたので、ある先輩から、もっとちゃんとすれば、異性は寄ってくるのになあ、と言われたことがある。その当時は、仕事に集中して、そういう方面には、関心がなかった。まあ、まったく関心がなかったのは嘘だが、邪魔臭いの域だった。別に女嫌いじゃなかったよ(笑)。いわゆる、むっつり助べえ(笑)。

また脱線してしまったが、業平は面食いで冷たいなあ。『源氏物語』の光源氏と違うね。でも、あれは紫式部の理想かもね。また時代は下がるが、明智光秀は、婚約していた妻木熙子(つまきひろこ)が、疱瘡になり、顔はあばた顔になったが、それでも彼は婚約を解消せず、妻を大事にしたとのことである。そのため、妻は恩義を感じ取り、光秀に一生尽くしたという。こうでなくてはね。難しいことだけれど。

それにしては、業平は、あまりにも軽すぎる。それがプレイボーイというものかもしれない。そして、概して、女性はプレイボーイを好きになる。まあ、こまめだから。女性にもてるには、こまめじゃないとね。だが、釣った後は、餌をやらないということになり、別れが待ち構えている。業平も、『伊勢物語』では、それを繰り返している。学習能力なし。今でも、そういう男いるねえ(笑)。でも、お餅のために、約束をしてしまうとは、シナリオとしては、ちょっと行き過ぎじゃないかえ。

まあ、この狂言は、業平の御乱行を皮肉ったものとも言える。お餅を食ったとは、「女を食った」とも言えるかもしれない。現代のプレイボーイも、新作の狂言の台本にされないように注意した方がいいよ。あの世に行ってからも、舞台で笑われ続けるから。

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