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2009年1月 4日 (日)

日本の新聞社の行方

毎年のことだが、元旦の新聞は、ご祝儀とは言え、やたらと分厚い。ただ、くだらない記事に、広告が多いだけのことである。2日が新聞休刊日なので、2日分の記事を集めたものとも捉えられるが、そんなに内容はない。たくさんのゴミが増えて、困るだけだ。

ところで、昨年の米国の新聞紙トリビューン社の破綻は、日本の新聞社にとっても、ドキリとする報道があっただろう。トリビューン社の破綻は、ネット新聞の普及により、新聞の部数が減ったことと言われる。

日本の新聞社にも、同様に危機は迫っているかもしれない。実際、朝日新聞は赤字を出したし、毎日新聞、産経新聞も、半期営業赤字だそうである。日本の新聞社にも、危機はひたひたと押し寄せている。

日本でも、読者は減っており、ネット情報の普及により、若者が新聞を読まなくなったことが原因と言われる。各新聞社は、それへの対応が遅れているのかもしれない。現代は、情報入手が多様化しており、新聞が唯一の情報入手手段ではない。

だから、新聞社は、多様な情報提供手段を持つ必要がある。単に新聞の部数を増やすだけでは、企業としては成り立つことはありえない。つまり新聞社の危機は、その経営センスと戦略が不足しているものと推定される。そういう意味では、一言で言えば、旧態依然ということになる。

さて、流風は、ずっと前から、一般紙は継続購読していない。基本的に、ネットで情報を得て、関心ある情報があれば、それぞれの新聞を、コンビニや駅の売店で適宜購入している。比較的、良く購買するのは、神戸新聞、毎日新聞であろうか。日経新聞、朝日とか読売とかは、ほとんど読まない(*注)。

つまり、日本の一般紙は、皆、情報の出所が似ており、個性がないので、全紙を読む必要はない。独自情報が極めて少ない。日本経済新聞は、その情報が他社とはやや異なるが、それでも、経済面を除けば、あまり変わらないだろう。

もちろん、政治・行政の基本的情報は共通情報は必要だが、その他の情報までも、なぜ、そうなるのかは、いろいろ考えられるが、各社が横並びを好む傾向があるのだろう。また、見方によっては、記者クラブの情報に胡坐をかいているのではないか。新聞記者のレベルが落ちていることも否めないし、編集者の横並び意識も強いのかもしれない。

だが、他社紙に掲載された情報が、自社紙にないというのは恥だと思うのは、どこかおかしい。読者からすれば、各社のスクープは、それはそれでいいと思う。他紙は、別にスクープを抜かれても恥と思わないことだ。それぞれに強い分野の情報が強くて、その分野のスクープをすればいいことなのだ。

ところが、トップ層や編集者はそれを許さない雰囲気があるのだろう。そこで、同じ情報を追いがちになり、無駄な活動をしていると指摘できる。そういうことが、記者の意欲を削いでいるのかもしれない。

その結果、どこも似たような記事になってしまう。だから、読者は、一般紙をたくさん読むことはナンセンスとなる。一日の間に報道される重要なものは限られる。それなら、ネット情報だけで十分となる。それだけ新聞を読む価値が落ちているのだ。

もちろん、各社共に、報道姿勢は異なるので、報道内容は、その情報の選択・解釈において、違っているとも言えるが、その情報の出所は限られているから、結局、それに賛成か反対かという報道になりがちだ。行き過ぎれば、それは意見報道になってしまう。それは本来の報道ではないだろう。

むしろ、これからは、各社の強みを明確にして、独自の情報を獲得して、流し続けることが求められる。そうすれば、読者の信頼感も増す。総合的な情報紙であると同時に、部分的には、限られた情報を限られた人々に、というキャッチフレーズが望ましい。これからは新聞社がそれぞれ独自性を保たないと経営は厳しくなっていくだろう。

それでは、今後どのようにすれば生き残れるのだろうか。個人的見解を少しだけ示しておこう。

まず、各社、読者のターゲットがぼやけているような気がする。それは部数を伸ばす戦略で、闇雲に記事の内容を八方美人的に拡げてしまったことが、その個性を失い、面白いものでなくしている。そのことを改める必要がある。

次に、ネット対策である。ネット情報も、基本的に新聞社等の記事や情報がある程度ベースになっている。本来、持ちつ持たれつの関係であるはずなのに、ネットにのみ有利に働き、新聞社には、あまりメリットがないというのは、シビアに考える必要がある。

ネットに情報を流すのであれば、それなりの見返りがなくてはならない。それをどうビジネス化するか。相互にビジネスメリットのある手法を業界全体で開発すべきだろう。

そして、次には、情報の多様化への対応である。今までも、新聞社は、系列の雑誌や、フォト誌、経済誌、ネット・携帯への情報提供をしているが、それは十分に活かされていない。極めてマニア的な読者しか獲得できていない。

これらは新聞社の付属という位置づけでピラミッド的に下位グループとしてであれば、本来意味をなさない。むしろ新聞社と同列として扱い、各社は独自の展開・営業力が求められる。それらが同期・競争することによって、記事レベルが上がっていく。そうすると、読者は、それぞれに違った関心を示し、購読層に厚みを増すことになるだろう。

それと合わせて、新聞紙情報の流通の多様化も求められる。毎日、朝刊と夕刊を配達すべきなのか。それを必要としていない読者もいるはずだ。朝刊のみ、夕刊のみ、サマリーを週末にウィークーリーのみ、土日のみ等、いろんな配達形態と、価格体系を作り上げるべきだろう。

また関連雑誌の配達も、積極的にやればいい。雑誌等は郵送され、新聞店から配達されないのは疑問が残る。もっと言えば、他誌の配達をやってもいいのではないか。

ざっと、見ただけで、疑問はいっぱいだ。新聞各社は、各業界の批判はしても、自業界は何も見えておらず、改革もできておらず、旧態依然なのは明らかだ、早急な自己改革が望まれる。

*注

新聞社各社には、それぞれ成り立ちからして編集傾向がある。

日本経済新聞は、大体が財界や官界の提灯持ち記事が多い。それは彼らを主として取材先としてきたから、情報入手には、彼らに寄り添う記事が、どうしても増える。だから記事内容は偏る。(*追記。また、秘密保護法により、官界からリーク情報はなくなり、より記事に魅力はなくなった。もう一度、その存在意義を整理し直さない限り、部数を減らしていくだろう)。

朝日新聞は、成り立ちは別にして、戦後は、中国、朝鮮半島寄りの記事が多い(戦前は、反対に戦争を煽った)。どちらかというと、ヒューマン精神先行のため、「思い」を強く紙面に反映したがる。よって、かつては思い込みによる捏造記事もあった。最近は修正され、バランスを採るようにしている。政治的立場は、反自民、左派と目されてきた。やはり、この新聞の課題は客観報道だろう。

毎日新聞は、全体としてバランスが取れているが、はっきりしない立場を採るため、白黒をはっきりさせたい国民性に反し、部数を減らしてきた。ただ、こういう新聞は必要だ。また速報にやや弱く、記事が遅れる傾向があったため、現在は主たる国際、政治、経済記事は共同通信と提携し、記事に反映させている。自社の記者には、特定のテーマを決めて取材させ特集して、内容が充実するようになった。政治的立場は穏健平和主義重視だ。

他に、神戸新聞等、地方新聞があるが、全体報道記事は共同通信に依存し、各社は地域に根差した情報入手により、地域の特性を活かした紙面構成になっている。

*追記

なお、産経新聞は、最早、一般紙として読む価値はない。極論が多く、国家主義的報道を重視した保守、右翼の意見を代弁して、やたらと野党批判し、嫌中、嫌韓を徹底し専門紙化している。昔あった総会屋の発行する雑誌と傾向が似ている。更に、偏った見方をして誤報も多い。不偏不党を考えると、コンビニは取り扱いを止めるべきだろう。それに、ほめ殺しになりかねないので、自民党にとっても、やっかいな新聞だ。

また、読売新聞も、自民党お抱えの新聞に成り下がってしまった。産経同様、不偏不党とは決して言えない。一般国民は読む価値はない。もともと会社の成り立ちからして米国の意向を強く反映させる(但し、米国民の世論を反映したものではない。あくまで支配層の意向)。

ある意味、米国系新聞と理解しておれば分りやすい。よって米国の思惑が強く反映させる。政治的立場は右派とされてきて、自民党とは密着していて、広報紙的役割を担っているため、よいしょばかりして、政権批判できない堕落新聞になっている。また、時事通信社と連携している(ここも自民党寄りの偏向報道が目立つ)。自民党にすれば心地よいかもしれないが、危うい存在でもある。

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