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2009年1月17日 (土)

誤認逮捕による冤罪の保険制度を

当局による誤認逮捕による冤罪などで蒙る社会的制裁は計り知れない。一度失った信用は、それが誤認逮捕に基づくものであっても、被疑者は社会的復帰が難しい場合が多いだろう。

単に名誉回復だけでは、社会はなかなか信用してもらえない。名誉回復は、大々的に報道されることもなく、ほとんどが人々にきちんと認知されない。結局、名誉回復で、その人の信用が回復するには頗る時間がかかる。

誤認逮捕の被疑者というのは、いつまでも、疑いの目で見られるものだ。誤認逮捕の被疑者の失われるものは、あまりにも大きすぎる。

確かに、危ないものには近づかなければ、そういうことはないのかもしれないが、現代は、周囲は落とし穴だらけだ。本人がいくら注意しても、疑われる事態が生じない保証はない。

少し前だが、大阪で地下鉄での痴漢騒ぎも偽装だったことが判明した例は、職場の人たちの弁護もあり、後、真犯人の共犯者から、その事件の真犯人(某大学生)が判明した。最終的には、誤認逮捕が解けたが、いつも、そのように行く場合ばかりでもなかろう。

当局の捜査方法にも問題があるのかもしれないが、一度疑われると、それが覆ることは少ないように思える。警察官の評価制度に問題があるのだろう。しかし、犯人は迅速に捕まえる必要がある。一体、どのようにすればいいのだろうか。

やはり、こういう時の場合に備えて、「誤認逮捕による冤罪の保険制度」の確立が望まれる。保険金は、犯罪事件の程度、当局の被疑者拘束解除から社会的残存時間への補償、当局の拘束期間に対する慰謝料から成り立ち、最大3億円ぐらいは必要だろう。

損害保険会社は、その難しさを主張するが、それを工夫するのがプロではないか。保険とは、本来、そのようなもののためにあるのではなかろうか。

逆に、当局にしても、誤認逮捕を恐れていては、捜査活動は停滞する。捜査が守りに入り過ぎると、それは社会に良い結果を及ぼさない。保険料を負担しても、捜査活動に支障がないようにすることも大切ではなかろうか。

そして、誤認逮捕が増えて、結果的に保険料がアップすれば、捜査活動の見直しにも寄与する可能性も高い。「誤認逮捕による冤罪の保険制度」を確立することは決して無駄ではないと思う。

いろいろと難しい問題はあるだろうが、当局と保険会社は真剣に検討すべきだろう。そして、一般人は、日常から、人から信頼されるような慎重な行動が望ましいのは言うまでもない。

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