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2009年2月25日 (水)

「士」の心がけ

ある書物(*注)に「士」のあるべき達人の心がけについて、触れている。「士」とは、国民の上に立って、重要な仕事をしている人たちを指す。武士の「士」も、本来、そういう意味を持つ。それでは、その心がけについて、若干の注釈を加えて紹介しておこう。

 一、士は貴ぶべき行いをすることはできるが、世間から必ずしも貴ばれる保証はない。

士というものは、常に、高い理想を掲げて、それが達成できるように努力しなければならないが、国のためと思って、やったとしても、それが全て評価されるとは限らない。常に批判される立場にあるが、それを乗り越えて、正しく導かねばならない。

 一、用いるべき才能を磨くことは出来るが、当世に必ず用いられる保証はない。

常に能力を高めるために切磋琢磨しなければならないが、それを使う、時と人に恵まれなければ、使われることはない。しかし、それでも、努力しなければならない。また無理して、使われようとしてはならない。

 一、粗末な服を着て、野菜を食べ、釣り糸を垂れ、ウサギを追っていれば、心は満足、これで一生終えてもいいぐらいに思っている。

いろいろ努力しても、報われないかもしれない。そういう覚悟をして、日々質素な生活を送りながらも、いざと言う時のために準備は怠りなくやっておく。自分が使われても、使われなくても、いいぐらいの自然体が大切である。

 一、冠をつけ、馬車に乗り、朱や紫の印綬を帯びることがあっても、もとから持っていたように平然として、布衣(ほい。庶民)の時と少しも変わらない。

仮に、高い地位を与えられようと、それまでと何ら生活態度を変更することはない。自分は常に自分であり、地位という飾り物の衣服が付いたところで、自分の本質が変わるだけでない。いつでも脱ぎ捨てる覚悟が大切だ。

これらの言葉は、日本の政治家や官僚にどのように届くだろうか。日本の政治家や官僚がサラリーマン化して、それぞれの仕事で所得を稼ぐことが重要な意味を持ってしまっている。これは忌々しき事だ。初心に戻って、常に志を新たにすることが求められる。

しかしながらも、民間にあって、「士」に値し、高い志のある人を支え、育てることも、必要だ。彼らが失意の時に、私的利益を超えて、支援することは、一般人も大切な心がけと思う。彼らを育てるのは、国民自身でもある。

*注

中国の古典『抱朴子』(翻訳、本田済、平凡社刊)より。

 

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