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2009年2月22日 (日)

舌先三寸と落語『柳の馬場』

暖かくなったり、寒くなったり大変だが、それでも、春を告げるネコヤナキ゜の花穂がきれいな時期になってきた。他人の家にやってきて、糞尿を撒き散らすネコは嫌いだが、このネコヤナギの花穂はなかなか美しい。だが、スズメバチも好きらしい。ジコチューだが、かわいいニャンコ娘に、悪い虫がつくイメージ(笑)。

さて、話はころっと変わって(笑)、世の中、口先三寸で、人々を惑わす人がいる。結果的に、人を騙して、損害を与えたりする。ただ、自慢たれは、人々にはあまり迷惑をかけず、むしろ自分自身に災いが及ぶものだ。例えば、気になる異性の前での、男の自慢話は、後々それがばれて、馬鹿にされるぐらいがオチだ。

落語にも、『柳の馬場』というものがある。京都にも、そういう地名があるが、馬場とは関係あるが、その地名とはどうも関係ない話のようだ。知ったかぶりで自慢たれの富の市という按摩の話だ。大体、知ったかぶりというのは、ボロが出やすい。嘘と同じで、どこかで話の辻褄が合わなくなることが多い。さらにこの話は、知ったかぶりに嘘が絡むから最悪だ。

話は次のようだ。出入りの旗本屋敷の暇をもてあましている殿様に、ある日行くと、ちょうどいいところに来たという感じで、からかわれる。「その方、武芸も相当達しているようだな」と。このように言われると、調子に乗りたくなる富の市。ついつい、あることないこと、言いまくり。

まあ、自分より地位の上の人には、ちょっと自慢してみたい感じもわからないわけでもない。だが、それも程度問題。おっちょこちょいの富の市は殿様にうまく乗せられたということのようだ。

「殿様には申し上げにくいのですが、武芸十八般、何事にも通じております。まずは剣術は一刀流の免許皆伝ですし、弓は日置流、槍は宝蔵院流。そして馬は大坪流、柔術は揚心流。いずれも免許皆伝であります」と鼻高々に言う。まあ、口から、次から次へとでまかせを。お前は、B型か(笑)。

殿様は心得ているから、しめしめと、「武家でも、なかなか免許皆伝とはならないのに、そちは、そんなに免許皆伝を持っているのか。ことに馬はどうにもならん。最近、癇が強い馬を入手したが、お前なら乗りこなせるだろう。一鞍攻めてもらいたいものだ」と言う。

これには、富の市もこれには驚き、しまったと思い、いろいろ逃げ口上を言うが、後の祭り。殿様は、最早、逃さない(笑)。なんたって、暇をもてあましている殿様だ。馬を引き出して、無理やり、富の市を馬に乗せて、馬場へ引き出す。そして、あらんことか、馬の尻を叩いた。

驚いた馬はもちろん、一目散に駆ける。富の市は、何がなにやら、必死に馬の首に抱きついて、わめいている。殿様は、それを見て、「山に登るな、谷に落ちるぞ。寄るな、谷に落ちるぞ」とからかう。「殿様、後生だから、助けてください」と必死の形相。実際は、馬場の中をぐるぐる回っているだけなのだが、目が不自由だから、そんなことはわからない。

脂汗一杯の富の市は、ついに顔に触れた。蜘蛛の糸の如く、すがるように、何かをつかんだ。それは柳の枝で、つかまると、馬はそのまま行ってしまった。そこで、また殿様はからかう。「それ、手を放すな。離せば、谷底に落ちるぞ」「殿様、助けてください。わたしが死ねば、家族が困ります」「大丈夫だ、家族は面倒見てやるから、安心しろ」と殿様。

「もう駄目です。腕が抜ける」「おおそうか。それなら手を放してみよ。これで成仏できるぞ。舌三寸の誤りに気づけ。そして手を離すことだ」「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、手を放します」とぱっと手を放した。

結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

手を放すと、大地に立った。それもそのはず、足下三寸だった。冷や汗たらたら、その場にへなへなと崩れ落ちたのであった。

凡そ、人を騙す人は、言葉が多い。丹念に発したその言葉を分析すれば、矛盾点は多い。だが、人は騙される。論理矛盾より、その話の雰囲気に呑まれてしまうからだろう。嘘が真実らしく聞こえてくる。この落語の場合は、明らかに無理ということが、聞き手にわかるため、誰もが嘘と見抜けるが、世の中、真実そうに嘘を話す人がいる。

それは何も詐欺師に限らない。無意識に、多くの人がやっている。特に名士と言われる人が、それをやっている。政治家もその部類かもしれない。評論家もそうかもしれない。学者もそうかもしれない。専門家は、狭い分野での真実に拘り、広い分野での真実とは食い違うことも多い。我々は何を信じればいいのか。

結局、言えることは、残念なことだが、常々、「何を信じればいいのか」と疑問を感じて生きていくしかないのかもしれない。そして、自分の心に、嘘を受け入れる悪い虫がつかないようにしたいものである。

*注記

この話は必ずしも、身体の不自由な人を冒涜するものではないと思う。目の不自由な按摩が、自慢たれで墓穴を掘るということになっているが、いかなる人も、嘘をつく行為自体に問題があるという話として、取り上げている。

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