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2009年3月31日 (火)

米自動車産業へ破産法適用か

オバマ大統領が、自動車産業へ破産法適用もありうると話したらしい。そのため、米国資本市場は荒れているようだ。しかしながら、もし、それが事実で、それが執行されるのなら、望ましいことだろう。

大体、米国の自動車産業は、実質破綻しており、現状のままでは、再生の見込みはない。それに国が大量の資金を投じたところで、どうなるものでもない。それなら、破産させて、それから再生させる方が、スピード再建される。

確かに、破産すれば、一時的に、関連会社への波及、大量の失業者の発生など、経済的に混乱させる可能性もあるが、それを乗り越えれば、新しい展開も期待される。現状は、あまりにも課題が大きすぎる。米国の自動車産業は、次の問題があるとされる。

 ①他国の自動車産業より、賃金が高い。それは強すぎる労働組合という問題がある。

 ②経営陣が、報酬を不当に高く得ている。

 ③新規の技術開発投資をしておらず、その技術は遅れたままである。

 ④一部の企業は、製造業なのに、金融関係に進出し、本業の経営に資源を集中していない。

このように見てくると、米国自動車産業の再生は、なかなか難しいことが分かる。結局、米国としては、自動車産業は、リストラして、売れる資源は外国企業に切り売りするしかないだろう。そこまで放置した経営者の罪は大きい。大きければ、国が救済されると思ったのだろうか。

この議論は、かつて日本でもされた。それは銀行をバブル崩壊後、大銀行は、潰したくても大きすぎて潰せないという議論があった。しかし、銀行と一般産業では、その重要性は異なる。金融機関は、資本主義の骨格だが、一般産業は、整理するしかない。

米国指導者も、やっと、そのことに気づいたようだ。それは日本の失敗をよく踏まえてのことであり、破産法が適用されるのなら、案外、米国の産業再生は、予想されたより、早くなるかもしれない。ただし、問題の金融再生は不可能に近いが。

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2009年3月30日 (月)

虚業と実業~福沢桃介の『互戒十則』から考える

経営者は、自ら社是や経営理念により、企業の目的を明示して、その方向性を明確にして、組織活動が円滑にいくようにする。そして、次に、その行動原理を明確にして、その運営がうまく運ぶように配慮する。

戦前の経営者、福沢桃介も、電燈会社の経営に関わった時、『互戒十則』を定めている。それは次のようなものだ。一応、現代的な解釈も付記しておく。

 ①吾々の享くる幸福は、十万需要家の賜物なり。

顧客の満足を得て、モノやサービスの提供者は役割を果たしたことになり、初めて供給者としての満足感を得られる。

 ②吾々は寸時も、需要家の恩恵を忘却すべからず。

顧客の存在なくして、モノやサービスの提供者の存在はあり得ない。常に感謝の気持ちが大切だ。

 ③需要家の主張は常に正当なり。懇ろに応接すべし。

顧客の要望に応えることは大切だ。彼らの希望を無視して、長期的なビジネスはあり得ない。期待に沿えるように努力すべきだ。

 ④故障を絶対に予防し、需要家に満足を与うべし。

品質・性能を確実なものにして、顧客に提供することが大切だ。また仮に、事故になっても、機敏に対応できるサービスシステムと品質保証が求められる。そして、それが、次のモノやサービスの開発に十分配慮されたものでなくてはならない。

 ⑤時間と労力は貴重なり。最も有効に使用すべし。

ムダ・ムリ・ムラのないように、各人が努力しなければならない。そのためには、組織システムが効率性と効果性に十分配慮されたものでなくてはならない。

 ⑥其日になすべき仕事は、明日に延ばすべからず。

今日の時間は今日しかない。今日できるものを明日に延ばせば、明日に負荷が大きくなって、結局、積み残すことになる。それは成果を上げるのに非効率だ。

 ⑦細事もおろそかにするなかれ。一物も損なうなかれ。

小さい穴も、時間をかければ大きくなる。これくらいはいいだろうという判断が、将来に禍根を残す。それは単にビジネスに対してだけではない。人に対しても、そういう配慮が大切だ。

 ⑧議論と形式は末なり。実益を挙ぐるを目的とせよ。

決められたルール通りに、いつも事を進めていては、企業環境が変われば、非効率になる。時が変わればやり方を変えて、実績が上がるように努力すべきだ。常に実績を上げるための組織運営でなければならない。

 ⑨不平と怠慢は健康を害す。職務を愉快に勉めよ。

組織にいれば、完全な人事はあり得ない。自分に合わない仕事と思っても、真正面から真剣に取り組めば、それなりに面白さが出てくる。自分目線で、新たに仕事を作るつもりで臨めば、すべてが自分ペースになる。これほど楽しいことはない。

 ⑩会社の盛衰は吾々の双肩にあり。協力奮闘せよ。

全社員が、全力で仕事をすれば、企業の業績は必ず良くなる。皆が力を発揮できるような環境を作って、全力で仕事をしよう。

福沢桃介は、本来、虚業の人だが、実業の世界に飛び込んで、その大変さを理解したのだろう。彼と同様に、虚業(金融関係、士業、コンサルタントなど)が、実業の世界に飛び込んで成功した例は少ない。

実業は、地道な努力を積み重ねて、利益を出すように努力するが、虚業は、他人の利益の上前をはねる仕事だからだ。実業で利益を出す苦しみを味わっていないので、利益を出すことを安易に考えがちなのだ。

だから、彼が、実業で成功したか疑問だが、上記の訓戒は、それなりの意味があるものだろう。彼も実業の世界で、その大変さを味わったに違いないと思われる。虚業の人々が幅を利かす時代をなくしたいものだ(*追記)。

*追記

最近、米国クリントン元大統領も、今回の金融恐慌に際して、そのような発言をしているようだ。彼も金融という虚業中心の時代が終わったと感じているのだろう。

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2009年3月26日 (木)

初任給とその使い道

4月になり、新入社員も、大体、月末には初任給を得ることだろう。昔を思い出せば、流風の初任給はあまりにも手取りの少なさにびっくりしたが、今は、皆さん、割ともらっているようだ。多く感じるか少なく感じるかは個人差があるだろうけれど。

それでも、初任給は、嬉しいものである。新入社員の方々はどのように使うのだろうか。何かを買ったり、遊びに行くのもいいが、親に感謝の念を示したいものだ。流風も、わずかばかりのお礼の品を渡したが、その時の親の喜びようはなかった。こんなに喜ぶものなのか、と少し驚いた記憶がある。

当時の人事部長のアドバイスに従ったものだが、アドバイスどおりにしてよかったとつくづく思ったものだ。今年の新入社員の皆さんも是非、何かを親に贈ってもらいたいものだ。大体、プレゼントされて喜ばない人は少ない。親にプレゼントするのが何もなければ、「何か買って」と現金を渡してもいいと思う。

自分があるのは、親や周囲のお陰と思えば、それは当然であろう。社会人になれば、周囲の多くの人に助けられる。そういうことを常に意識していれば、間違いも少ない。感謝の気持ちを持ち続けて欲しいものだ。

そして、わずかな給料であっても、少しずつ貯金を心がけることも大切だ。ただ安田善次郎も、次のように言っていいる。「貯金の出発はなるべく小額にとどめて、一年くらいそれをきちんと守って、だんだん増額する方法をとらなくては成功しない」。無理な貯蓄は戒めている。

さあ、新入社員諸君、自分のお金の管理も仕事の一つだと思って頑張ってもらいたいものだ。

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2009年3月25日 (水)

新入社員に贈る言葉

今年も、新入社員が企業に入社してくる頃になった。彼らは不安な時代を元気よく過ごしてもらいたいものだ。最近、たまたま入社2~3年くらいの若い社会人と接する機会が多いが、やはり若いっていいな、と思うことがたびたびだ。

大体、流風が接する若い人は、男女を問わず、あっけらかんとしたタイプが割りと多くて、明るくしてくれる(笑)。それに皆さん、元気があって宜しい。今年の新入社員はどういうタイプが多いのだろうか。

そこで、彼らに一つの言葉を贈ろう。信玄の言葉で、次のようなものだ。

 「人は、ただ、我したき事をせずして、いやと思ふことを仕るならば、分々躰々身をもつべし」

解釈としては、「自分がしたいことをせず、いやと思うことを積極的にやり遂げれば、それぞれの立場で、身を処することができる」、というような意味であろうか。

あらゆる組織において、やりたくない仕事はある。それを後回しにしたところで、いつかは誰かがやらなければならなくなる。それなら、最初から、そういう仕事に取り組んで、処理していけば、全体の仕事はスムーズに運ぶことになる。

新入社員も、最初は居場所がないが、少し経てば、仕事が少しわかってくる。その中で、できる範囲で、先輩のアドバイスを得ながらも、嫌がられている仕事をやることは大切だ。例えば、雑用というのは、皆が嫌がるが、案外、組織の問題点がたくさん隠されている。

それを処理しながら、企業の課題を探していく意識も大切だ。どっぷりと組織に安住していると見えないものが、案外、新入社員からは見えるものである。新入社員のあらゆる発見は価値がある。管理者も、そういう視点を引き出し、大事にしてもらいたいものだ。

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2009年3月24日 (火)

公務員の天下りを考える

天下り問題で、いろいろ揉めているが、なかなか難しい問題である。原因をわかりやすく考えると、問題点は、次のようかもしれない。

 一、年功序列体系による、上位ポストの限界があること

 二、一般的に、公務員は、天下りさせても、天下り先で役に立たないということ

一については、民間の会社でもそうだが、上位のポストは限られる。上位ポストの獲得に失敗すれば、後輩の部下ということもありうる。民間企業では当たり前だが、官庁は、そういうことを許さない雰囲気があるのだろうか。すなわち、先輩、後輩の関係重視の風潮があるのだろう。

そこで、出世競争にある程度、先が見えてくると、競争に負けた人材は外部に転出される。転出時年齢は、定年まで、まだ時間があるため、実質「引退職」として、天下り先をあてがわれるということのようだ。

二については、大会社や銀行でも、そういう天下りに似たような慣行はある。今は、なかなか難しくなったが、それでも、得意先の企業に人材を押し付けられることもあるだろう。大企業の場合は、かつて天下りとして、中堅・中小企業に天下った。だが、その人材が能力があればいいが、往々にして、天下り先企業では役に立たないことが多い。

公務員も同様で、民間に天下りさせても、公務員での専門の経験は豊富でも、それはマクロの問題処理に通じているだけで、企業というミクロの問題処理には通じていないから、結局、役に立たないことが多い。企業側としては、こういう人材を押し付けられると、実質コスト負担が増す。そこで、人材を天下りさせる側は、受け入れ先の負担を軽減するために、ヒモ付き物件を随意契約で回すということになる。それは先輩の面子を立てるためでもあろう。

しかしながら、それは、ある意味、税金の無駄遣いでもある。それは回した仕事に、天下りの人材の人件費を上乗せさせるからだ。そして、彼らが実際、仕事をやればいいが、やるとかえってややこしくなるので、受け入れ先も、何もやらせないということになる。

結局、出勤は滅多にせず、様子を見るためと称して、時々、企業に行くだけぐらいだろう。これが天下りの実態だろう。だが、公共投資が減った現在、受け入れている民間企業も減っている。そこで、特殊法人や独立行政法人という、官庁の「子会社」(*注1)を作って、そこに押し込んで、同じことを繰り返している。

しかし、本当にそれでいいのだろうか。能力のある人間が、仕事もせずに俸給を受け取って、その人にとって、有為な時間が過ごせるだろうか。彼らも後輩たちに、延々、馬鹿にされているようにも思える。それでは、天下りをなくすためには、どうすればいいのか。

基本的に、定年まで勤めてもらうのがいい。官庁でも、いつまでも年功序列を続けるのは無理がある。それには、まず、ピラミッド組織を改変する必要がある。要するに、フラットな組織だ。中間管理職をなくして、組織トップと平の職員が直結する組織だ。

本来、公務員は、国民のスタッフであるから、サービス対応にスピードが加わらなければならない。それには、ピラミッド組織では、対応が遅れる。それに機敏に対応するには、フラットで、多様な役割が分業することが必要だ。

そうすると、課長は多く必要になり、トップの次官にならなくても、それなりの地位は確保されることになり、天下りで追い出さなくても、人件費が増えないように俸給体系を改めれば、定年まで勤めさせることが可能だ。

基本的には、中間管理職をなくして、人件費を浮かせることだ。情報化が進展した結果、中途半端な調整職は不要だ(*注2)。トップと平が直結する組織が望まれる。それでも、年下の管理者の下に、年長の部下ということはありうるが、それは薄められる感じがする。

天下りは、単に国家としての経費のムダと言うことだけでなく、人材を十分に活かせないということを招く。天下りさせるほど人材が余っているわけでもなかろう。彼らには、皆、官庁にとどまって、もっと仕事をしてもらいたいものだ。要するに、定年まで人材を活かす発想が官に求められる。

*注1 官庁の「子会社」はなぜ作られるか

天下り先としての必要性とは別に、単年度予算での限界をまかなう、官の「へそくり」機能もあると、見ている。

*注2  中間職の排除

組織を改編して、中間管理職をなくせば、人件費の相当額が浮く。それは地方の小さい組織で実験済みであり、民間企業でも同様な結果が出ている。官庁組織も、そのように改めるべきだろう。基本は、人件費削減と、国民サービスへのスピード対応だ。組織をフラットな組織にするだけで、それは可能だ。

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2009年3月23日 (月)

株式投資は悪か

麻生首相が、ある政府の懇談会で、証券会社の社長の発言に対して、株は悪だという雰囲気をなくすことに同意しながらも、田舎では株屋というのは怪しいというような発言をしたらしい。また軽口ということで、例の如く非難されている。しかし、今回ばかりは、彼を擁護しよう(笑)。

国が、「貯蓄から投資へ」と国民を誘導したが、一般国民が、その通りにして、幸せになった人はほとんどいないだろう。株式に限らず、証券投資は、なかなか難しいものである。だから誰でも、それを行うというのは無理がある。相当な心構えと知識がなくては成功しない。

そして、証券投資が昔は、博打と同様に見られていたのは、その裏にある怪しさを人々は察していたからだ。株式投資は、ゼロサムであるから、ある人が儲ければ、ある人は損をする構造だ。だから博打と同様と見られる。証券会社は取引が増えれば、儲かる仕組みは、まさに胴元と同じ構造だ。

それに、昔は、今で言うインサイダー取引は横行していたし、現在のように情報が流通していなかったから、一握りの人間のみが利益を独占できた。それはイカサマ博打と似た構造だ。つまり、ずるをした人々が儲け、何も知らない人間が損をする仕組みだった。

もっとも、戦後は、経済が順調に成長していたから、基本的に一流株や資産株を所有している人々は、時間をかけて相当資産を増やしたことは事実だろう。但し、それは相当、金融資産があった人々に限られる。現在のように、誰でも投資できる状況ではなかっただろう。

現在は、単位株が下がり、誰でも投資しやすくなったが、それだけ、多くの人々がリスクを抱えるようになったということだ。もちろん、リスクを取らなければ、大きな利益も見込めないことは事実だが、現在は経済が低迷しており、高度成長時における株式投資と基本的に状況も大きく異なっている。

そのような状況下で、株式投資を促しても、資本市場も動かず、多くの人々は利益を上げることはなかなか難しい。昔と今は状況が違うとは言え、株式投資の危うさは今も変らない。さすがにインサイダー取引は表面上は減っているかもしれないが、多くの情報操作(*注)で、株価が動いている。

だから、株式投資をする人は、相当の覚悟が求められる。田舎の人々の認識を笑ってはならない。現況、資本市場の危うさに近づくのは、あまりよろしくない。なぜ、麻生発言をそんなに非難するのだろうか。マスコミも証券会社の回し者なのか。

*注

証券会社等が行う「格付け」が、その典型的なものだ。現在は、数社がグルになって格付けを利用して、株価を操縦していることは、よく知られている。

*追記

もちろん全ての人が株式投資してはいけないとは言うまい。ただ、それなりの覚悟が必要と言うことだ。熱くならないことだ。

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2009年3月22日 (日)

人生20年が4回

人生には、何回かの転換点みたいなものがあるような気がする。それは多くの先輩諸氏によって語られてきたし、この歳になってみると、やはり、そうであったかと感じることも多い。若い時は、そんなことはあまり意識しなかったのだが。若い人も、ある程度、そういう意識は持っておいた方がいいかもしれない。

例の森毅先生も、「人生20年説」を唱えられていた。だから、人生80年として、20年が4回繰り返すと見ておられるようだ。その考え方だと、まず20歳で、学校をほぼ終え、第一の人生を終える。そして、就職し、結婚し、40歳ぐらいになると、先の人生が見えていき、60歳になると、会社とおさらばし、人生の最終段階に入り、80歳で、あの世逝き。

こうしてみると、人生は、歳を経るごとに暗くなりがちだ。しかし、彼が嘆いているのは、人生が最初の20年間で決まってしまうというような錯覚に、現代の人は捉われすぎているということだ。初めの人生の、次には、第二、第三、第四の人生が待ち受けているのに、簡単に諦めてはいけないと諭す。

第一の人生が終わったら、それで全てを水に流し、過去のものとし、チャラにする。そして、第二、第三、第四の人生も同様に過ごせば、皆、もっと輝いて暮らせるのではないか、という提言だ。

そのためには、心は常に変幻自在でなければならないだろう。常に若さを失わず、過去にとらわれず、驕らず、全ての状況に対応できる、しなやかな心。そうすれば、もう少し、気楽に生きられるだろう。さすが、この数学者の指摘は鋭い。もう、火傷は大丈夫なのかな。早く、ご回復を。

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2009年3月21日 (土)

格差芸能人夫婦の離婚問題を考える

芸能人同士の結婚はなかなか大変なようで、今回は、二人とも兵庫県出身で、格差結婚で有名になったカップルの離婚報道で騒がれている。流風に、この問題について、述べる資格はないが、一応記しておこう。やや、妻に厳しく論評します(笑)。

この夫婦は結婚後、より忙しくなったことが禍している様にも見える。大体、共働きというのは、一般世間でも大変なのに、芸能人同士で、仕事場が常に離れているというのは、かなり無理をした結婚生活だったのだろう。夫婦は、一緒に住んで共通の時間を持たないと、うまくいかないだろう。

それに、お二人には、それぞれ事務所がついているし、両親や親戚関係も、いろいろ期待するものが違うから、関係は複雑化する。それに姉さん女房の女性が、何かとリードしたがったのが災いしているように思える。彼を立てることができなかった妻の未熟さが見え隠れする。

つまり彼女は、男の心理に疎いように感じる。彼女は、彼女なりに頑張ったのだろうが、男というものを本質的に理解していないのだろう。その結果、男に対する思いやりが欠けているのではないか。妻側の発言では、事の発端は、夫の浮気のようだが、芸人が遊ばなくてどうする。妻に、芸人の妻になった意識が果たして、あったのか疑わしい。

その一方で、過剰に夫を拘束し、全てが自分の意のままにならなかったら、不満に感じる女性の最悪のパターンにも思える。それは女優という仕事柄、止むを得ないとも言えるが、結婚生活を理解していなかったのではと推察できる。流風から見ても、ほとんど、この女性に同情できることは少ない。

こういう女性は、「自分の思いとパートナーの思いは一致しなければならない」と思いがちだ。でも、違う環境で育った男女が、初めから、ツーといえばカーという風にはならないのは誰でもわかっていることだろう。相手に過剰に期待したことが、今回の離婚騒動につながっている。

ただ理解できるのは、芸能人の妻になるには、とりあえず引退しかないと思うが、周囲はそれを許さないし、本人も仕事中心に進めたかったのだろう。まあ、それ以上のことは、本当のことは、夫婦でないとわからないが、兵庫県民の一人としては、大変残念だ。そして、この騒動は、一般の男女であっても、学ぶべきことが多いのではなかろうか。

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2009年3月20日 (金)

“神阪奈鉄道”開通する

ついに、本日平成21年3月20日、“神阪奈鉄道”が開通する。新線ではあるが、別に新しい鉄道ができたわけではないんだけれど。阪神なんば線が開通し、阪神電車と近鉄電車が直接つながったのだ。これで阪神・三宮と近鉄・奈良が直結する。

大体、奈良は、神戸からは遠く感じる古都だ。つまりJRにせよ、私鉄にせよ、乗り換えを強いられるので、心理的には、非常に遠い(*注)。若い時は大阪に住んでいたので、よく観光で奈良に行ったが、神戸からは、遠い感じだ。

ということで、流風も、余程の強い動機付けがない限り、奈良に行くことはない。古都と言えば、大抵が京都だ。京都は観光施設も充実しており、面白い所がたくさんある。別に、特別、観光しようと思わなくても、適当にぶらぶらするだけで楽しめる。いろんな店もあるし、飲食店も、宿泊施設も充実している。

今回、“神阪奈鉄道”が開通したことで、今後、奈良がどのように変わるかが注目される。現状、飲食店も、物販店も基本的に足りないし、接客もあまりよくない。観光客のための街づくりも不十分と思う。

更に景観条例や規制で、宿泊施設に至っては、まったく足りない。新たなホテル建設もリーマンショックで頓挫している。今のうちに、知恵を出さないと、折角の新線効果も長続きせず、観光客の集客に今後も苦労するかもしれない。今後の整備に期待したい。

*注

JRの方が私鉄より早く着くように思うが、JR奈良駅からは、観光地まで少し歩かねばならない。それにその他の観光沿線としては、近鉄電車の方が便利だ。

*追記

だが、今は、むしろ神戸にとっては、奈良から新しい観光客を迎えやすくなる。その経済効果の方が、現状、大きそうな気がする。

*追記

それでも、来年開催される『平城遷都1300年祭』には、この路線を使って奈良へ行くかもしれない。ただ、私鉄にありがちだが、停車駅が多すぎるのが玉に瑕だ。神戸からは、難波と奈良にしか停車しない電車があればいい。

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2009年3月19日 (木)

夢の中~落語『一日公方』

六本木とは、随分と物騒な所のようだ。報道によると、犯罪の温床のなっている場所という。都市の発展は、ある程度の猥雑性は必要と思われるが、統制がとれなくなると、暴走するのだろう。それは大阪のアメリカ村も同様だろう。人々は、法治国家の中で、不統制を夢見るのであろうか。

話は例によって、変わるが、子供の頃、流風はいろいろ夢想したものである。小さい子供の頃は、土手に寝転びながら、あの空に浮かんでいる雲が綿菓子であればいいなあとか、蟻の巣を発見しては、それを支配できたらとか、蛙や雀を追いかけては、彼らを自由に扱うにはどうすればいいのかとか、近所の権太(ガキ大将のこと)には、どうしたら勝てるのかとか、いろいろ夢見た。

学校に行くようになってからは、勉強せずによい成績を上げるにはとか、少しませてきて、かわいいあの娘は、どうしたら仲良しになれるのか(笑)とか、思い浮かべたものだ。そういうと、以前、アイコラ(アイドルコラージュ)など、著作権に反する行為が問題になっていたが、最近は、それを合法的にビジネスにしている例もあるようだ。

DVDで、韓国有名俳優と、まさに“夢の共演”しているようにコラージュするものらしい(日経MJより)。これは女性向けのサービスのようだが、案外、男の高齢者にも受けるかもしれない。若い男は、その程度で満足できるかどうかわからないが(笑)。

ところで、夢見る落語に、『一日公方』というものがある。主人公は、大工の市兵衛で、麻布の六本木に住んでいた。当時は、現在のように開発されておらず、江戸時代は、木の多い所であったようだ。市兵衛は、老いた母親を抱えながらも、親孝行であった。

ある日、いつも仕事の世話をしてくれる出入り先の珍斎という先生の所に行くと、来客中だった。よいところに来たということで、一緒に話に加わる。何の先生か知らぬが、気安い先生だ。

ところが、どうしたことか市兵衛は、飛び出していき、酒を一升買ってきて客人に向かって言うには、「あなたさまは、公方様(将軍のこと)に非常に似ておられるので、こうして一緒にお酒を飲んでいるような気がして、もうこの世に思い残すことはない」と。

それを受けて、「そなたはなかなか面白いことを言う。何か、望みでもあるかな」と言うと、市兵衛、応えて言うには、「一日でもいいから、公方様になりたい」と大胆な発言。大体、飲めない奴ほど、飲むと大胆になる。そうすると、その客人は、珍斎と、ひそひそ話。珍斎は、お酒の中に何かを入れた模様。ああこわ。最近も、そういう犯罪事件が六本木でありましたね。そうとは知らず、市兵衛はしばらくすると、寝息をたてて、熟睡。

翌日、市兵衛が目を覚ますと、日頃と雰囲気が違う。酔った状態で道路の上に放置されたのではなくて、いつもと違う高級な夜具に包まれていた。びっくりして起き上がると、老女が「あなた様は、公方の君でございます」と言う。「何を、そんなこと、あってたまるかい。何言ってるんだい、私は麻布の市兵衛だ」

「いえいえ、それは市兵衛の夢をご覧遊ばしていたのでございましょう。あなた様は、間違いなく公方様でいらっしゃいます」。市兵衛、ますますわけがわからなくなって、そうこうする内にお召し替えされて、一段高い所に坐らせられる。

それではと、そういう気分になって、やけくそで、町奉行を呼び出して、「麻布の市兵衛は親孝行なので、200両ほど与えよ」と指示。その後は御殿女中と飲めや食えの大騒ぎ。ところが、どうしたことか、狂人扱いされて牢屋行き。どうにか、自宅に帰されたが、未だに、何のことかわからない。

数日経って、再度、珍斎先生の所に行くと、例の客が来ていた。悪い予感。それにしても、よくお忍びでやってくる公方様だ(笑)。落語は、その辺、適当なところがいい。彼が尋ねるに、「市兵衛、望みどおりに公方になれて、嬉しかったか」と。市兵衛が「何が何だか、わかりません」と応えると、珍斎先生、言うには、「この方こそ、公方様であらせられるぞ」と。

市兵衛、びっくりして、「あなた様が、公方様でしたか。どうも、大変失礼しました」。「あはは、お前は、面白い奴だ。親孝行に賞でて、一町四方を、その方につかわす。以来、市兵衛町と改めよ」。「それでは、遠慮なく、頂きます。有難うございます」。

「どうだ、嬉しいか」。「どうも様子がすっかりわかりません。市兵衛が公方様で、公方様が市兵衛で・・・」。「また゜わからんか」「こいつは、麻布で気がしれねぇ」

流風も、若い頃は、お酒を飲んで夢心地で、結構饒舌になった。そういう時は、夢か現かということになりやすい。日頃の鬱憤を晴らして、上司をハラハラさせたこともある。でも、市兵衛のようなことは、とうとう経験しなかった。今となっては、もう、そんなことはどうでもよくなった(笑)。

まあ、将軍のお膝元の江戸でのお話ですね。大阪ではありえない題材だ。仮に大阪に将軍がいても、そういう夢想はしないのが、関西人だろう。でも、一日首相もいいかもしれない。いやいや、気苦労が多くて大変だろう。変な夢は見ずに、庶民の暮らしが一番だ。

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2009年3月17日 (火)

連絡フェリーの苦悩

高速道路の利用料金が、政府の政策で安く設定されて、喜ぶ人がいる一方で、困っている人もいるようだ。全ての政策は、いろんな現象を生む。特に、連絡フェリー会社は大打撃を受けているようだ。

兵庫県下では、明石と淡路島をつなぐフェリーが大変のようだ(たこフェリー、淡路ジェノバライン)。明石と岩屋をつなぐ貴重な交通手段だったが、道路を利用した方が断然安くなって、困っているようなのだ。政府に、いろいろ助成を要望しているようだが、なかなか難しいかもしれない。

むしろ、自前で、前向きな対策を考えた方がいいかもしれない。可能かどうかはわからないが、単なる交通手段としてではなく、観光航路として開発して欲しい。例えば、淡路島一周航路の開発や、途中下船できて、地域の特産物がショッピングできるプランはどうだろう。

かつては、たくさんの連絡航路もあったが、連絡橋ができて以来、多くが廃止されたと聞く。それを不定期で観光用に復活できないか。定期航路だと、固定客がつかないと採算ラインを維持することは難しいが、スポットの観光ラインだと、予め顧客の確保ができているわけだから、リスクも小さい。もちろん、募集経費はかかるが、それでも、やってみる意味はあるのではなかろうか。

淡路島と言えば、タマネギとか、フグや海苔等の海産物がある。それに最近は、花の栽培もいろいろされている。そういうものを買いまわって、一周できて、さらに、いろんな催し物が見物できれば、なおのことよい。そして、明石では、イカナゴのくぎ煮、焼き穴子、明石海苔などの土産物を買って、明石焼きで閉める。

このように、単に人を運ぶ交通手段だけではなく、別の付加価値を考えれば、十分ビジネスとして可能と思う。もちろん、明石の地上観光とのセッティングも可能だろうし、もう少し広げれば、神戸観光フェリーとのタイアップも可能だろう。そうすれば、明石~淡路島~神戸のラインが出来上がる。現在、そういうものが既にあるのかもしれないが、流風は知らない。

いろんな規制があるのなら、かえって、この機会に国土交通省を説得すればいい。彼らも負い目があるわけだし、いろいろ協力的になるだろう。単に補助金等の助成を求めるだけでは、意味はないのではないか。また国土交通省も、陸の道路から海の航路に軸足を移すことが求められる。

*追記

上記の方法がいいかどうかは別にして、基本的に言いたいことは、「競争しない」ことも、生き残り戦略の一つと感じることだ。

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2009年3月16日 (月)

欧米の金融崩壊から学ぶこと

欧米の金融バブル崩壊からから学べることは、次のことだろうか。

一、人間の営みは、ある一定期間をおいて、バブルを繰り返す。

二、実物経済と金融のバランスを崩すと、バブル崩壊が生じ、本来あるべき姿に戻す。

三、だが、国や国民は、多くの損害を抱え、それを回復するには、相当の時間がかかる。

四、世界を一つのシステムにすると、リスクが拡大し、弊害がある。違うシステムを持つことが、リスク分散になる。世界一元化は、最も危険な道である。

五、よって、世界の多様性の堅持が世界を強くする。各国の文化の違いを認め、それぞれの国家・経済の運営方法を認めることが大切だ。

*追記

全世界を同一のシステムにすることは大きな弊害がある。多くの世界機関の見直しが求められる。それは地域システムをオリジナルで作ることが要請されているとも言える。

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2009年3月15日 (日)

器用な人とマムシ爪

先日、電車に乗っていると、“マムシ”を見た。少し懐かしい感じだった。その説明は、後にするとして、子供の頃、母に山川での遊びでは、蝮(まむし)に気をつけるように、何回も言われた。蝮に刺されると、死ぬこともあるから、注意せなあかん、とよく言っていた。そして対処法を何回も何回も教えてくれた。実際は、幸い、そのような処置をしなければならない場面に遭遇することはなかった。

しかし、遊びに夢中になっておれば、なかなか子供では、注意するにも限度かある。それでも、一度大きな蛇が出たので、怖くなって、逃げ出したら、後で、「あれは青大将やから、大丈夫や」と友達が笑いながら教えてくれた。ある時点までは、蛇を捕まえても、どういうこともなかったのだが、母が蝮のことを教えてくれてから、どうもそういうことが苦手になったと思う。

ところで、電車で出会ったマムシは、本当の蝮ではない。いわゆる「マムシ爪」の人だ。親指の爪が平べったい指を言う(蝮の頭に似ている)。爪の長さが極端に短いのだ。妙齢の女性だったが、流風が、ふと視線を指に合わすと、恥ずかしそうに隠した。悪いことをしたかもしれない。

しかし、このマムシ爪の人は本当は貴重で、実は器用な人が多い。細かい作業をさせれば、速くて正確な人が多い。そういう人に、過去に、そんなに多くの人に会ったわけではないが、器用な人がほとんどだった。それは男女を問わない。

流風は不器用の典型であるが、ああいう器用な人に出会うと、羨ましくて仕方ない。若い頃、住んでいた近所のおばあさんに、そういう方がいたが、繕い物を頼んだことがあるが、あっという間に仕上がり、驚いたことがある。そのおばあさんは、矢張りマムシ爪だった。

別にマムシ爪でなくても、こういうことは器用な人は当たり前なのかもしれないが、流風には、まるで神業のように思えたものだ。最近は、そういう方にはしばらく会わなかったが、先日、電車で出会った時は、懐かしく思った。本物の蝮とは会いたくないが、このマムシ爪で、作業されている姿をどこかで、また見たいものだ。そして、その爪だから、恥ずかしく思う必要はないと思う。

*追記

ネットで見ていると、「マムシ指」について、指が蝮の頭のように曲がるとこと、と説明しているものがあるが、ここで取り上げているマムシ爪は、「マムシ指」を指していない。

また、マムシ爪の人は、必ずしも器用ではない、との記述がネットに、あったが、それはおかしい。年輩の多くの人から聞いた所では、間違いないとのことだ。もちろん、そういう細かい仕事に就かなくて、訓練する機会がなければ、その人の能力を知ることはできないであろう。

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2009年3月12日 (木)

時価会計から簿価会計に戻そう

株価が相変わらず低迷している。これは予想の範囲だが、ややピッチが早い。そして、現在の株価は、日本の企業の実態を表しているものでは必ずしもそうではないということを押えておかなければならない。

確かに財務内容の悪い企業もあるが、多くは健全な企業だ。株価が悪化している、ほとんどの理由は、欧米の金融上の問題だ。日本株を処分せざるを得ない状況に追い込まれているのだ。

だから、政府がいかに株価対策をしたところで、株価は上昇しない。無駄に買い支えしたとしても、株のナンピン買いと同じで、下落場面では、株価上昇に、ほとんど機能しない。

だから、底値を見届けてから、株価対策するのならいいが、現状、メリットはない。その見極めは難しいが、それは欧米金融市場がそれなりの対策を打った時と言える。

つまり、彼らも、全ては金融の仕組みの見直しをしない限り、株価は下落していき、金融恐慌から脱することはできないだろう。もちろん、限界まで来たら、ユダヤ資本が動き出すかもしれないが、あまりそういうことは期待しない方がいいだろう。そういうことに気づいたのか、米国では、時価会計の見直しの機運が出ているようだ。

そして今後のことを考えると、日本も会計制度の見直しが至急必要だ。このことは3月2日付、拙ブログ「景気対策に必要なことは、金融制度・運用システムの再見直し」でも触れた。

会計の専門家ではないので、そういうことが可能かどうかわからないが、時価会計から簿価会計に戻すことが、現在の困難を脱する一つの方法に思えて仕方ない。会計屋は建前で反対するが、最早、そういうことを言っておれない経済状況だろう。

生前、父は、簿価会計を時価会計に変えることの懸念を盛んにしていた。「確かに、理論上は、どちらにも長所があり、短所がある。全体としてみれば、問題がないように見える。客観的に見れば、どちらがよいか迷うだろう。だが、日本人には、時価会計は馴染まないだろう」と言っていた。

今にして、思うのは、父の危惧が当たってしまったような気がする。時価会計だと、目先だけ見ているジェットコースター経営になる。だから、経営者自身が、目先ばかり見て、当座の利益ばかりに目線を当てていたら、経営を大きく誤まる可能性がある。つまり、常に危機的状況にありながら、将来を見据える経営をしなければならない。そんな芸術的経営は、全ての経営者ができるだろうか。

つまり、時価会計では、今、視線を見誤れば、即、経営は悪化する。つまるところ、綱渡り経営なのだ。そのような状況で、未来など見据えることなどできようか。目先の経営で精一杯だろう。結局、経営者は、自分が在籍している時のみ、好業績で、後のことはどうでもいい、という意識になる。

簿価会計では、含み資産によって、危機の緩衝帯として活用できるので、長期的視点で経営にあたれる。今問題になっている雇用に関してもだ。時価会計では、そんなことは出来ない。国際市場でビジネスするためには、本当に時価会計も止むを得ないのだろうか。

だが、皮肉にも欧米企業も、時価会計で苦しんでいる。時価会計は、米国が推し進めた新自由主義の産物であるので、いまや、それが崩壊したのだから、時価会計は止めるべきだ。

もちろん完全な会計制度などありえない。結局は、それを運用する経営者の姿勢で結果は決まるのは確かだ。けれども、今こそ、時価会計は見直しされるべきだろう。企業が設立された時に遡って、簿価に計算しなおして、含み益を計上すれば、相当の損失額を帳消しできるのではないか。

特に金融機関の経営安定は、景気に大きく影響する。政府は、いろんな小手先の政策をやるのではなく、この根本的な政策変更に各国と連携しながら、重点的にやるべきだろう。

*追記

米国ガイトナー財務長官が、G20に対して、GDPの2%の財政出動を要請するそうだが、意味のない話だ。ほとんどが焼け石に水だろう。沈む欧米の金融恐慌に対して、即効的な打つべき手はない。金融システムの見直しを急ぐ必要がある。

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2009年3月11日 (水)

女性がきれいな理由

男から見ても、女性が美しいことはいいことだ。ただ、外見だけ、いかに磨いたところで、その化けの皮はすぐ剥がれる。案外、そのことがわかっていない女性が多いのではないか。

ところで、モデルのniu(ニュウ)さんという女性が、「自分を輝かせる十カ条」を示している(毎日-キレイニュース。*注参照)。niuさんの指摘は、男から見ても、納得の言葉だ。美人だし(笑)。流風の感想も含めて、以下に紹介しておこう。

 一、座右の書「みにくいおひめさま」を読む

流風は読んだことはないが、どうも童話のようだ。我が儘に育ったお姫様は、醜い娘だったが、人のために尽くすことを通じて、美しくなっていくという話のようだ。まあ、心映えは姿に表れるというから、その通りであろう。

 二、犬と向き合い、自分の鏡とする

犬を飼ったことがないので、この点はわからない。niu(ニュウ)さんは、相手との関わり方を学んでいるようだ。

 三、レンアイをする

いつも無愛想な女性が、恋人ができると、急に明るくなったり、愛想がよくなったりする。表情が全く違う。よくあることですね。人を愛すと人格まで変わる。

 四、本を読む

読む本の内容にもよるが、読書によって、女性が理知的に見えるのは、確かだ。でも、それも過ぎると、かえって、難しい女性にもなるけれど。

 五、メイクよりスキンケア

化粧のことはまったくわからない。ただ若い女性が、化粧しなくても、ぴちぴちした肌なのに、なぜ化粧をするのか理解できない。肌を保護することは必要と思うが、化粧で、かえって肌を荒らしている。どうも彼女等のやることは納得できない。

 六、気の合う仲間たちとDJイベントをする

DJイベントはともかく、憂さ晴らしを定期的にして、仲間と共にガス抜きすることは、男も女も大切と思う。全てを溜め込んでしまうと、醜さが増えていく。というような理解でいいのかな。

 七、自分のために絵を描く

絵心のない流風にはわからないが、何かを創造することは、心を表出させることになり、浄化されるのだろう。ということは表現されるのは、捨てられた毒か。

 八、無理しない。偏らない。

自然体は心に無理強いしない。心に負担になり過ぎないようにする。バランスを取る。ここら辺を理解できない男は多いだろうな。男は決め打ちが好きだから(笑)。

 九、旅に出る

旅により、心をリフレッシュして、新しい発見をする。

 十、日記、ブログ。自分の感情と思考の管理。

解説はいらない。まさにその通り。

niuさんについては、詳しくは知らないが、なかなかの見識と思う。結局、語っておられることは、心理面が大きく美しさには影響するということ。女性にしては、その分析は、ちょっと怖い感じはする。

全てを見透かされる可能性があるような女性と受け取れる(笑)。流風は、苦手なんだよな。でも、案外、いい女性だったりして。まあ、知らぬが仏(笑)。でも、これらの十か条は、若い女性に参考になるのではないか。内面から美しくしないといけないよ。まあ、心の浄水器をセットしておけば、いいということかな。

*注

  「自分を輝かせる十カ条」 http://kirei.mainichi.jp/beautiful/niu/10.html

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2009年3月10日 (火)

消費税アップ考 その三

国民としては、消費税アップに備えて、若干の抵抗措置を準備する必要もある(笑)。それは、まず上がる前に何を購入するかということ。それは各人、経済状態が異なるから、いろんな考えがあるだろう。基本的には、高額な消費は、上がる前にということになる。

それでは、今のうちに、何を購入すればいいのだろう。不動産か、車か、太陽光発電か、デジタルテレビか。優先するものとしては、それぞれ各人が感じている、できるだけ高額の商品がいいだろう。支払いは、現金が望ましい。ローンはいずれにせよ避けた方がいいだろう。

ローンを組むことは、避けたいが、金利が低ければ、金額の一部を短期ローン(それでも、総額の3割程度に留めることが望ましい)で不動産の購入もいいかもしれない。不動産は、欧米諸国のようにバブル崩壊直後の状態とは環境が異なるので、価格的にも、こなれた、よい物件がたくさんあるように思う。

特に地方の中核都市近辺は面白い。比較的広い敷地の獲得も可能だろう。すぐに住まないのであれば、とりあえず、古家付きを購入しておき、更地にせず、そのまま持っておき、しばらく別荘扱いというのもいい。

また一部ハウジングメーカーがやっているようだが、家庭菜園付き住宅が主流になるかもしれない。また、中核都市周辺は、過疎の町とは違い、都市部ほどではないが、一応社会保障体制は整っているので、老後の終の住まいにも適しているし、子供が相続しても、価値は損なわれないだろう。

マンションも、都市部に限っては、中古マンションも面白い。残余価値の査定が難しいが、交通の便が良いところは検討してみる価値がある。その場合、1981年以後の建築で、建築主がどこか、管理会社がどこで、そこの評価から選ぶことも大切だ。ただ、いくら安くても投資物件という考え方は一般人は捨てた方がいい。あくまで、自分が住むということが前提だ。

また住宅が動けば、住宅関連商品も動くだろう。そこでは、今までとは違って、西欧型耐久消費が盛んになるだろう。つまり子供たちへ遺せる「耐久性のある物品」の購入が増える可能性が高い。

これは、一つの環境対応行動である。メーカーも、メンテナンス体制を整える必要があるが、基本的にはメンテナンスフリーの商品強化が望まれるが、その中で、修繕ビジネスは、もっと拡大するだろう。

太陽光発電については、いずれ全戸設置義務付けとなるであろうが、現在は価格が高く、電気料金がペイするのに、何十年もかかる。よって、商品代・設置費・メンテナンス価格が現在の1/4から1/5にならないと普及しない。だから、スピードを上げて国家事業にするには、国からの相当の支援がないと、なかなか難しい感じもする。

だから、消費税上げ前の導入というのは、なかなか難しいかもしれない。だが部分導入というのは可能かもしれない。ベンチャー企業も含めて、いろんなタイプの商品開発を急いでもらいたい。また設置工事業者・電気工事業者・メーカーの協働も求められる。

車については、脱ガソリン車への脱皮には、まだ時間がかかり、消費税増税前には間に合わないだろう。ハイブリッドタイプもいいが、自動車会社は開発を急いでもらいたいものだ。但し、高級タイプではなく、普及型の開発に重点を移すべきだろう。そのためには、それは国内だけでなく、海外市場を強く意識した開発でなければならない。いずれ、逆輸入ということになる可能性も高い。

デジタルテレビは、そんなに買い急ぐこともないだろう。この市場はメルトダウンし、価格は、更に下落していくだろうし、消費税上げ後も、メーカーは、さらに価格ダウンの提示を求められるだろう。だから、2011年で、アナログ放送がなくなるとしても、慌てる必要はない。価格が落ち着いてから、ゆっくり品定めすればいい。

後は、女性の好きなブランド品だが、消費税上げというより、円高が続いている(今は、若干円安に流れているが、一時的)この時期が買い時であることは間違いない。ただ、海外ブランドも、商品価値の割りに高いものも多くあり、女性も価値の見定めにもっとシビアになるべきだろう。いずれ、国内ブランドの見直しが起こることは十分ありうるとみる。真の商品価値を見定める眼力を磨きたいものだ。そのようにして、本物だけが残ることになろう。

いずれにせよ、消費税の増税対応として、消費者行動は大きく変化していくだろう。基本的に、価値のある物を長期に使っていく思考になるだろう。これは環境行動にも合致し、望ましい。そういうことで、リフォーム、メンテナンス、修理という分野が、大きなビジネスになっていくことだろう。使い捨て文化になれたメーカーは、大きく、その企業行動を転換することが求められる。それは消費税アップ効果と言えなくもない。

(この考、一応これで終わり。)

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2009年3月 9日 (月)

消費税アップ考 その二

国民の多数は、消費税増税は止むを得ないと理解を示しながらも、何かと納得できない現在がある。更に不明なのは、どのような消費税の上げ方をするのかということと、消費税の増税額がどのように使われるのかということが明確になっていないことだ。

それに消費税を上げるのに、現在の問題は、現在の国家・政府に対する信頼感が落ちていることだ。自民党は、小渕政権より失政続きだ。小泉政権で、郵政民営化や銀行の不良債権処理などで多少カバーしたものの、多くの政策は失敗している。

その上、官僚を説得して、無駄な歳出カットは十分できていない。縦割りの組織ロスに加えて、国家公務員の人件費カットにメスが全く入っていない。やたら官僚の抵抗が強すぎる。しかし、彼らも公僕なのだから、自省する必要があろう。

何でもかんでも抵抗するのは、無教養の謗りを免れない。しかし、政治家の方も官僚を説得し納得させる器が足りないのも事実だ。そして、最悪なことは、官に依存度の高い自民党政権では改革に限界があるということだ。

政権の行方は、小沢問題が出た後も、民主党政権を望まざるをえない。彼なら力ずくで改革できるのではと期待されるからだ。だが、民主党は、小沢問題で、動揺しているという。

しかしながら、民主党に有利なのは、仮に代表が変更になっても、なんら変わりは無い。民主党全体は、全てが小沢色ではないことも幸いしている。また政権獲得前の、問題の発覚は、民主党に不幸中の幸いと言えよう。

問題があるとすれば、多少パワーが落ちることだろう(笑)。そういうことを狙って、官僚の検察は、小沢追い落としを謀ったのかもしれない。彼らの存在価値を見せつけたのであろう。いろんなことが明らかになるにつれて、捜査動機に怪しさを感じる。

話は、またまた横にそれたが(笑)、本題に戻せば、次の政権は、消費税のアップ分の、お金の行方を明らかにすると共に、消費税の上げ日程を明確にすることが、国民の消費の動向に影響を与えることになる。

それを景気刺激に利用するのがいいだろう。つまり、消費税アップの意味を国民に周知徹底させ、そして仮設定でもいいから、消費税上げ幅と日程を組む。だから、消費税アップ日程は慎重に検討されるべきだろう。

仮設定だから、経済状況により、いろんな組み合わせがあるだろう。その時の経済状態にも、左右されるかもしれない。5年間に、1%ずつ1年ごとに上げていくのか、あるいは2%上げて、翌年は1%下げる、その繰り返しを10年続けるか。

前者の場合は、国民としては、年々気が重くなる。その時の経済状態にもよるが、景気は更に停滞する可能性がある。後者は、消費税アップ分を上げたり下げたりするわけだから、痛みは小さく感じるかもしけない。但し、目的の消費税を上げるのに時間がかかりすぎる。その他にも、いろんな方法があろう。景気刺激ができて、国民が納得する形で、負担感の薄い方法を考えてもらいたいものだ。

また所得税の見直しも当然必要で、所得税のいろんな税額控除は、基礎控除を除き、できるだけなくし、逆に低所得者に対しては、消費税増額分の一定額(*注)を税額控除することも検討が必要だ。そうすれば、消費税アップに対する反発も緩められる。

*注

例えば、ある所得層の所得×平均消費性向×エンゲル係数等から、はじき出す。

次回に続く。

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2009年3月 8日 (日)

消費税アップ考 その一

定額給付金が採決されて、政策として施行開始されているが、意味のない政策には違いない。そういうことを知らない人々は単純に喜んでいるが、消費税アップのための「礼金」の性格が強い(笑)。国家の大切な資金を使ったことで、今後も批判されるだろう。

そんなことなら、消費税を一年間に限って、1%減税したらよかったのだ。その方が経済効果が大きいことは間違いない。与党には、そういう考えの人はいなかったのだろうか。まあ、消費税を上げる時には、政権は移行しており、次の政権が余計な負担を抱えることになる。それは結局、国民にツケとして回って来る。

そういう状況下、過去、消費税について、いろいろ記したが、以下、何回かに分けて、改めて整理しておこうと思う。

さて、消費税を3年後に上げるということを政府が示して(上げ幅は不明だが、5%アップと言われている)、与党内でも、いろいろ議論があったようだが、庶民としては、今後の景気動向にかかわらず、上がることを前提として、物事を考えていた方が望ましいようだ。

ただ、かつて自民党は、消費税は社会保障費に充てるとして、その約束は守らなかった。そういう意味では、自民党政権下での消費税アップは国民にとって、あまり望ましいものではないかもしれない。

他方、民主党政権も、消費税を上げないとしているが、それは選挙用のコメントで、実際は、いつか上げざるを得ないと思う。民主党政権になっても、消費税が上がることは、ほぼ間違いないだろう(以前は、そのように主張していたが、小沢代表になって、方針が変わった)。

小沢氏は、予算の優先順序を変え、組み替えれば、消費税をアップしないですむとのことだが、いかに予算をやりくりしても、それは限界があると考えられる。それに欧米の金融恐慌の結果、その影響を受けて、財政状況もさらに悪化していく。そうなれば、消費税等を上げずに国家を運営することは、不可能になる。

そうしないと、将来、更に国民に重い負担を求めることになるだろう。それが急激なインフレなのか、更なる増税になるのかはわからない。そういうことを考えれば、増税分は、多分、名目を変えて、「社会保障税」として、一般消費税と合わせて徴収する方向に行くだろう。雇用も含めて、社会保障の不安定は、人心を乱す要因になるからだ。

それに少子化と高齢者の増加で、年齢別人材構成のアンバランスが、それを更に後押しする。結局、消費税は上げざるを得ない状況に追い込んでいく。ただ麻生首相の言う3年後、景気回復しているのがベストだが、それは極めて不透明だ。

だから彼の言う、景気回復を前提とした消費税上げは、まやかしに過ぎないと思う。国民にきちんと説明して、数年後の消費税アップの同意と納得を得るべきだ(早ければ早いほどいい)。景気とは切り離して考える必要がある。

なぜなら、現在の国の財政は、パンクしている(パンクしているといっても、米国の破綻と比べれば、数段ましではあるが)ので、実質、景気政策は取れないからだ。さらに国際金融危機の状況で、積極的な景気対策は限られる。よって、景気回復のない状況での消費税アップも予想される。国民は、そういう覚悟が求められている。

次回に続く。

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2009年3月 7日 (土)

玉石混淆の解釈と組織運営の考え方

玉石混淆という言葉は、よく使われる。その意味は、良いものと悪いものが混じっていると理解してきた。広辞苑にも、「よいものとつまらないものとが入りまじること」とある。出典は、以前にも取り上げた『抱朴子』だ。

ところが、本文をよく読んでみる(と言っても、翻訳だが)と、抱朴子すなわち葛洪の伝えたいことは、どうも意味が違うようだ。彼のいいたいことは、よい書物とされる経書(五経)も、そうでない諸子百家の書も、人々を教化するという目的には、違いない。それを経書のみが全てというのは誤りである、と言いたいようなのだ(『抱朴子』尚博)。

もちろん、経書などを読むのは別に悪いことではないが、諸子百家の書を見下すのはおかしいと言っているのだ。経書を読んでいると言うと、それは外見はよさそうに見えるが、案外、諸子百家の書の方が実があったりする。できれば、両方に目を通した方がいいのだろう。

これは企業で言えば、ちょっと違う喩えになるが、商品の企画担当者が、「営業」が聞いてきたことを馬鹿にしたりするのと似ている。企画というのは、市場を調べ、マーケティング調査に基づき、あるべき製品像を明確にして、商品開発するのが常識と考えている。「企画」というのは、営業より上流の仕事と思っている企画担当者も多い。

しかしながら、「企画」というと上質の仕事のように見えるが、実際は、「営業」のどろどろした物事を知らないと成功しない。ところが、「営業」を見下げる感じが抜けない。そういうこともあって、「営業」は、企画担当者が現場を知らないと馬鹿にし、企画担当者の作った製品は、売れないとクレームをつけ、製販の反目が生じる。

こういうことは、企業ではよくあることだ。葛洪の指摘するように、それぞれの捉われの心が、企業目的を曇らせ、本来の活動を阻害し、組織効率を低下させる。そういうことのないように、経営者は配慮したいものだ。経営者にとっては、玉も石も大切だし、彼らを相互理解させる努力を惜しんではならない。

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2009年3月 6日 (金)

こじつけ話

落語に『千早振る』というものがある。『千早振る』は、皆さん、ご存知の在原業平の歌だ。すなわち、「千早振る 神代もきかず 立田川 唐くれなゐに 水くくるとは」である。これを物識り顔の横町の隠居が、歌の主旨とは全く異なる、知ったかぶりのこじつけ話を八さんにする。これは、こじつけ話というより、出鱈目な解釈だが、私達の身近でも、そういうことが感じられることがある。

例えば、経済評論家や経済学者が、過去の景気を状態を調べて、その理由付けを後講釈する例は多く見られる。大体、後講釈ほど気楽なものはない。過去のデータは揃っているわけだから、理由は、どのようにも付けられるからだ。それでも、彼らを利用して儲けようとする企業があるから驚きだ。さらに、それを信用する投資家も多い。

世の中、一体、どのようになっているのだろうか。凡そ、経済というものは、動態的だから、未来の予測は難しい。言い換えれば、人々の心の動きの総計が、形になって現れたものが、経済と言うことも出来る。ましてや世界の人々の心の動きなど、誰も把握できない。

だから、過去の経済の分析をしても、あまり役に立たないと思う。もちろん、人間の行動は、繰り返して行われるかもしれないが、個々の似た様な行動は把握できても、いろんな人々の組み合わせてともなると、無限の組み合わせが考えられ、予測は立ちにくい。

それでも、過去の経済の動きを参考にしようとするのは、未来を把握するのに、何か頼りないものでも、頼りたいという人間心理が働いているのかもしれない。しかしながら、過去のデータは、所詮、過去のデータ。未来にそれを援用しても、それが当たる確率は低い。

落語のこじつけは、無茶苦茶だが、私達の周りにある、こじつけにも注意したいものだ。

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2009年3月 5日 (木)

水清くして魚棲まず

子供の頃、家族で、いろんな議論をする慣わしがあった。子供でも、政治や経済や文化のことについて話すのを常としていた。子供だから、せいぜい新聞とかテレビを視ての情報に基づく意見なのだが、その論争は、親が子供の意見にも、耳を貸してくれるので、大変うれしかったことを覚えている。

その中で、父と政治汚職について論争したこともある。当時も、政治汚職が話題になっており、流風が、「汚職はなくさないといけないし、政治献金もやめるべきだ」と主張した。

しかしながら、父の意見は違っていた。「お前の意見は、確かに机上の理屈では正しいが、現実の世の中では、それではうまく行かないこともある。お前は、まだ若いから、そういう考えでいいが、多くの人を養っていこうとすれば、そうも行かない時が来るだろう。それはいずれ大人になればわかる。その中で、何が正しくて、何が正しくないのか、判断していくことが大事になる」と諭された(*注)。

父の意見は、汚職をしてよいという意味ではないが、人間社会は、ある程度、交流を維持するため、何らかのやり取りは避けられないということを指していたのだろう。

諺にも、「水清くして魚棲まず」と言うが、魚は、美味しい餌がないと集まらない。潔癖に、水を浄化すれば、飲み水には適しているかもしれないが、魚は窒息して死んでしまう。凡そ、世の中は濁っていて、その中で、人々は生活している。

企業だって、国が交際費課税を重くした結果、経済にも、微妙に悪い結果を及ぼしている。人の交流は新しい価値を生む。そのことを国は無駄と考え、軽視した結果、経済の活性化の足を引っ張っている。

それは政治も、同様で、あまり身奇麗な政治家には国民はあまり期待できないだろう。やはり、やや泥臭いことをしても、経済を活性化させてくれる政治家の方が望ましい。その点が政治家と官僚の違いだ。官僚が政治家の真似をすれば、後ろに手が回るのは止むを得ないが、政治家は、清くし過ぎると、国は停滞する。

もちろん、政治家も、やり過ぎれば、それもいけないかもしれない。問題はバランスだ。だが、現在のように景気の悪い時は、正論を述べて何もできない無能な政治家より、何かを実行してくれる政治家が望ましい。国民にとって必要な政治家は、その時々で異なる。

ただ、今回の職務権限のない野党政治家の秘書の逮捕は、政界を混乱させ、経済も停滞させるだけだろう。いずれ与党の政治家の秘書にも捜査の手を伸ばす(検察は、小沢氏の金額が大きいというが、それはおかしい。金額の多寡の問題ではない。むしろ、職務権限のある与党の政治家を摘発すべきなのだ)。

そうしないと、検察として、バランスが悪いからだ。そういうこともあって、政治の混乱を嫌気して、円は売られている。輸出企業は、若干ホッとしているかもしれないが、悪い円安だ。

そういうことを考えると、検察の立場は理解できるが、タイミングが極めて悪すぎる。経済が安定している時は、いいが、検察も、いらぬことをやってくれたものだ。まかり間違えば、日本の景気は、更に悪化する可能性もある。それは恐慌への入り口である。検察の観点は、やや視野が狭いように感じる。

*注

父の名誉のために記すと、父はどちらかというと、正邪に関して、潔癖症に近かった。実際、家族内でのお金のやりとりでも、大変厳しかった。そういう父が、こういう発言をするので驚いたことを記憶している。

*追記

それにしても、マスコミは、この問題について騒ぎすぎだ。改めて、一面的に物事を捉えるそのレベルの低さに情けなさを感じる。これらの問題は、他国では、ほとんど話題にならないだろう。所詮、権力闘争に利用されているだけだ。

だから、米国のように、政府高官が、元在籍した企業に、十兆円近くを合法的に還元させるスケールと比べれば、笑えてくる。それが汚職にならないのだ。そういう意味では、日本は、政治家が、いろいろ問題を起こすとしても、まだ健全だろう。

ただ、政治献金の仕組みの見直しは迫られるかもしれない。だが、民主主義において、政治に金がかかるのは、避けられない。どんなに見直ししても、完全な献金の仕組みはありえない。政治献金を否定することは、民主主義の否定につながることを、認識しておく必要がある。

*平成21年11月追記

民主党が政権を握ったので、野党は自民党になった。攻守所を変えたわけだが、民主党も、これからは職務権限と政治献金との関係は、問題になる。野党時代のように気楽にはならない。ただ政権を握る前のことを、うるさく追求しても、あまり意味はない。監視するのは、これからだ。

平成22年2月13日追記

小沢氏は不起訴になったが、この小沢問題に限らず、あちらこちらで検察の尋問の仕方が問題になっている。証拠はないのに、嘘のことを言って、容疑者を嵌めることまでしている。これは明らかに異常だ。

検察官の評価システムに問題があるのだろう。検察庁の改革が急がれる。罪なき人々を冤罪にすれば、担当者及び責任者は責任をとる仕組みにする必要がある。何をやってもいいというのでは、ありうる姿ではない。検察が特高のような恐怖機関になってはまずい。

*追記

ただ「水清くして魚棲まず」としても、政治家の「あらゆる私欲」は、厳しく批判されるべきだろう。基本的に、国のため、国民のためでなければ意味はない。

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2009年3月 4日 (水)

政治献金の完全なシステムはあるか

民主党の小沢代表の秘書が個人献金の仕組みを悪用したとして、逮捕されたようだ。西松建設問題は、以前から噂が出ていたので、いずれ、こういう問題になるとは思っていたが、この問題は、政府与党の自民党も、いずれ傷を負うことになるだろう。

政治と金の問題は、何も日本だけではない。米国などの献金システムは、日本のシステムより荒っぽいし、非常にどろどろしている。オバマ大統領は、個人献金をネットで集めたようだが、それさえ、本当の金の出所は不明だ。

完全に個人のお金と特定するのは、なかなか難しい。米国は、確かに企業献金は禁止されているが、全てが本当の個人献金かというと、決してそうとは言えないだろう。だが、オバマは、お金に直接手を汚すことは極力避けているかもしれない。

ということは、それだけ、手が込んでくると言うことだ。人間の欲がなくならない限り、政治と金の問題はついてまわる。純粋に、献金をなくせと言っても、それは無理だろう。逆に献金もされない政治家は魅力がないということだ。

理想の政治形態を望むのはわかるが、現実は、そういうものだ。世の中は、灰色と考えた方がいいだろう。だから、せいぜい、いかに黒くならないようにするかに、政治家は腐心することになる。

要は、政治家自身の魅力を高めながら、時代の流れの雰囲気を掴むというバランス感覚が彼らに求められている。今後、日本も、企業献金を禁止し、個人献金中心に移行するだろうが、今回のような問題は今後も起こりうる。それを完全に禁止することは出来ないだろう。そんなことをしても、巧妙化が激化するだけだ。

今回の秘書逮捕が、政治浄化につながるかと言えば、それは難しいだろう。単なる権力闘争に利用されたと見るのが正解だろう。ただ、特定の企業が特定の議員に、直接にせよ、間接にせよ、献金することは少なくなることは考えられる。

それは巧妙さが更に増し、複雑化させるだけかもしれない。昔のように、フィクサーなどが暗躍する可能性も否定できない。一般人から見ても、政治の世界は難しい。

*平成21年3月8日追記

小沢氏の秘書の逮捕は、米国の圧力という噂があるようだ。これはかなり高い可能性がある。米国が小沢政権になると困ると思っているのだろう。しかし、米国は既に終わっている。いかにあがいた所で、米国の復活はありえない。

当然、ドルは暴落するし、紙切れになる米国債は、いかに日本といえども引き受けられない。そんなことをすれば、政治家は非国民と呼ばれるだけだ。それにしても、米国はロッキード事件で、田中角栄氏を失脚させたことに相当、成功体験が染み込んでいるのだろう。

今回の秘書の逮捕は、どう考えてもおかしいと考えている人が多い。騒いでいるのはマスコミだけだ。日本のマスコミも、程度が落ちて、自分で考えられなくなっている。そういうところに、海外から付けこまれ利用されていることに早く気づくべきだろう。

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2009年3月 3日 (火)

東京中央郵便局再開発を考える

東京中央郵便局の再開発について、鳩山総務相大臣がクレームをつけているようだが、地方の一般国民から見ると、よくわからない。果たして、再開発がなぜいけないのだろうか。郵政は、再開発により、かなりの賃貸収入が確保できるのであれば、将来の税収のことを考えれば、国としても悪いことではないだろう。

それをこの時期になって、なぜ反対するのだろう。東京のど真ん中に、老朽化した建築物を残す意味は、全くないだろう。あの建築物に、それほどの価値があるのだろうか。確かに、建築保存主義者からすれば、それは意味のあるものだろう。

彼らは懐古的に、古い建築物に意味を持つのだろう。だが、遺跡と同様、古い物を全て残せばいいというものではないだろう。どうしても、残したいのであれば、設計図を入手して、残せば十分だろう。

それに、全てのものは、今、現在、生きている者に、有効で役立つものであって、初めて意味がある。それは建築物も同様だ。全てのものは、年代と共に滅んでいく。あまり古いものに愛着を持ちすぎるのは、老いた証拠とも言える。

また遺跡という物は、遺すにしても、作られた時と、同じ形で残すのが一番とは言えない。それは、現代の技術を付加して、よりよいものにして、残していくのなら、それも意味があるかもしれない。再開発は、その意向の様だし、それなら問題はないではないか。

これに反対するのは、どうも権力闘争の匂いがする。国民からすれば、こんなこと、どうでもいい。まあ、「かんぽの宿」は、やり方に問題があったのは、確かと思うけれど。

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2009年3月 2日 (月)

景気対策に必要なことは、金融制度・運用システムの再見直し

昨年の9月から12月までの、GNPが、マイナス12.7%だったと大騒ぎしていたが、もっと冷静な観察が必要だ。日本の国内景気対策は、なかなか難しいものがある。現状の政府のいかなる政策も、その有効性は疑問視されている。それは、根本的な問題にスポットを当てたものでないからだろう。

日本はバブル崩壊後、海外より金融システムの変更を強制されたが、現在は、それを見直しする必要があるのではないか。もちろん、当時、そのような規制も必要だったかもしれないが、現在では的外れなものも多い。

その結果、基本的に、金融が機能せず、資金循環がおかしくなっていることが、日本の内需の不況感を強めていることを忘れてはならない。国際協調が必要だからと言って、国益に反するようであれば、改められなければならない。

まず、BIS規制は、本当に必要なのだろうか。確かに日本の金融機関は、当時、自己資本比率は低かった。それは時価会計ではなく、簿価会計であったことが大きく影響していた。簿価会計は、自己資本比率以上に、含み資産をベースに、安定的な経営を可能にしていた。

それを日本の経済発展の基礎だ思った欧米諸国は、彼らと同じ基準にすることを求めたのがBIS規制であろう。表向きは、要するに、同じ条件下でのフェアな競争を求めたとされる。しかし、その実は、日本の経済発展を疎ましく思ったからと言われている。

この規制を受け入れて、日本経済はおかしくなったし、そして、それが回りまわって、欧米経済を破壊している。欧米の自業自得と言えばそうだが、そうだからといって、いつまでも、この仕組みを放置していてよいのか。

確かに、簿価会計は、含み資産に頼る結果、革新的な経営を損なうが、銀行のような金融機関のように安定的な資金提供が求められる機関に対しては有効であったと思う。海外の金融機関は、それを苦々しく思っていて、日本に同じ土俵を求めたのが、時価会計の導入であったと思う。

繰り返すが、これらの革命的会計方法の変更は、日本経済に、金融という血が順調に流れなくしてしまった。多くの銀行の縛りが、融資を妨げ、いわゆる、経済の動脈硬化を促してしまった。もちろん、企業に資本市場に上場させ、資金を直接調達する道を開かせさせたが、全ての企業が上場できるわけでもない。

銀行自体も、融資ではなく、投資で収益を上げようと行動した結果、大きく傷を負っている。それは海外の銀行の程度が大きいが、日本の銀行も投資の失敗が目立つ。本来の金融機関の使命を忘れた結果が、今の状態と言えるだろう。これは日本の産業基盤を損なうものだ。今こそ、経済活動の長期的視点に立って、国際金融システムの再変更が求められる。

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2009年3月 1日 (日)

ある老数学者の火傷事故を思う

数学者で、京都大学名誉教授の森毅氏が火傷で重態らしい。森先生と言えば、軽妙なエッセイで知られている。流風も、若い時は、息抜きに(笑)、よく読んだものだ。

さて、その火傷の原因だか、昼食の準備で、フライパンで卵料理をされていて、衣服に火が飛び移ったそうだ。でも、卵だけなら、そういうことにはならないと思う。一体、どのような状況だったのだろうか。

一般にフライパンを加熱して油を敷き、材料を入れて調理するが、具の状態によっては、火が飛び上がることがある。素材に水分が含まれていると度々そういうことに出くわす。あるいは酒やワインを加えたときにも、そういうことがある。

別にそういう状況に慣れていれば、きちんと対応できるであろうが、先生は、対応を間違われたのだろうか。かなり慌てた処理をされたことが想像できる。人間、平時は、偉そうなことを言っていても、いざという時には、日頃の訓練がないと、即座に対応できない。それは流風も同じだ。

不幸にも、先生の奥様は、病気のため入院されているらしい。こういう時、男は残されると辛いものがある。家事全般簡単なように見えて、そこにはいろんなノウハウがいる。それを誰もできるだろうということで、やってみると、いろんなトラブルに巻き込まれるというものだ。

先生の年齢では、なかなか家事全般をこなすことは難しかろう。年齢的にも81歳とのことだから、いろんなことに挑戦するのは、ボケ封じでいいだろうが、よく考えていただきたいものである。今はいろんな生活サービスがあるのだから、それを利用してもらいたい。

ところで、先生の作品の蔵書はほとんど処分してないと思っていたが、探してみると、一冊だけ残っていた。それは『考えすぎないほうがうまくいく』(三笠書房)だ。見開きを開くと、そこに「いい人生を送るには」と題して、一文が紹介してある。

 「時にはちょっと常識をはずして見る力」が必要条件

 「現実に合わせて要領よく行動できる力」が十分条件

とある。先生は、わざと必要条件を試してみたのだろうか、それとも、十分条件が満たなかったから、起こった事故だろうか、と不謹慎ながら思ってしまった。先生の、回復を祈りたい。そして、お元気になられれば、真相を知りたいものだ。できれば、これをネタにまた何か書いて欲しいな。早く、お元気に。

*平成22年7月25日追記

本日、森毅氏が亡くなったという訃報に接した。享年82歳。ご冥福をお祈りする。

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