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2009年3月 6日 (金)

こじつけ話

落語に『千早振る』というものがある。『千早振る』は、皆さん、ご存知の在原業平の歌だ。すなわち、「千早振る 神代もきかず 立田川 唐くれなゐに 水くくるとは」である。これを物識り顔の横町の隠居が、歌の主旨とは全く異なる、知ったかぶりのこじつけ話を八さんにする。これは、こじつけ話というより、出鱈目な解釈だが、私達の身近でも、そういうことが感じられることがある。

例えば、経済評論家や経済学者が、過去の景気を状態を調べて、その理由付けを後講釈する例は多く見られる。大体、後講釈ほど気楽なものはない。過去のデータは揃っているわけだから、理由は、どのようにも付けられるからだ。それでも、彼らを利用して儲けようとする企業があるから驚きだ。さらに、それを信用する投資家も多い。

世の中、一体、どのようになっているのだろうか。凡そ、経済というものは、動態的だから、未来の予測は難しい。言い換えれば、人々の心の動きの総計が、形になって現れたものが、経済と言うことも出来る。ましてや世界の人々の心の動きなど、誰も把握できない。

だから、過去の経済の分析をしても、あまり役に立たないと思う。もちろん、人間の行動は、繰り返して行われるかもしれないが、個々の似た様な行動は把握できても、いろんな人々の組み合わせてともなると、無限の組み合わせが考えられ、予測は立ちにくい。

それでも、過去の経済の動きを参考にしようとするのは、未来を把握するのに、何か頼りないものでも、頼りたいという人間心理が働いているのかもしれない。しかしながら、過去のデータは、所詮、過去のデータ。未来にそれを援用しても、それが当たる確率は低い。

落語のこじつけは、無茶苦茶だが、私達の周りにある、こじつけにも注意したいものだ。

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