« 政治献金の完全なシステムはあるか | トップページ | こじつけ話 »

2009年3月 5日 (木)

水清くして魚棲まず

子供の頃、家族で、いろんな議論をする慣わしがあった。子供でも、政治や経済や文化のことについて話すのを常としていた。子供だから、せいぜい新聞とかテレビを視ての情報に基づく意見なのだが、その論争は、親が子供の意見にも、耳を貸してくれるので、大変うれしかったことを覚えている。

その中で、父と政治汚職について論争したこともある。当時も、政治汚職が話題になっており、流風が、「汚職はなくさないといけないし、政治献金もやめるべきだ」と主張した。

しかしながら、父の意見は違っていた。「お前の意見は、確かに机上の理屈では正しいが、現実の世の中では、それではうまく行かないこともある。お前は、まだ若いから、そういう考えでいいが、多くの人を養っていこうとすれば、そうも行かない時が来るだろう。それはいずれ大人になればわかる。その中で、何が正しくて、何が正しくないのか、判断していくことが大事になる」と諭された(*注)。

父の意見は、汚職をしてよいという意味ではないが、人間社会は、ある程度、交流を維持するため、何らかのやり取りは避けられないということを指していたのだろう。

諺にも、「水清くして魚棲まず」と言うが、魚は、美味しい餌がないと集まらない。潔癖に、水を浄化すれば、飲み水には適しているかもしれないが、魚は窒息して死んでしまう。凡そ、世の中は濁っていて、その中で、人々は生活している。

企業だって、国が交際費課税を重くした結果、経済にも、微妙に悪い結果を及ぼしている。人の交流は新しい価値を生む。そのことを国は無駄と考え、軽視した結果、経済の活性化の足を引っ張っている。

それは政治も、同様で、あまり身奇麗な政治家には国民はあまり期待できないだろう。やはり、やや泥臭いことをしても、経済を活性化させてくれる政治家の方が望ましい。その点が政治家と官僚の違いだ。官僚が政治家の真似をすれば、後ろに手が回るのは止むを得ないが、政治家は、清くし過ぎると、国は停滞する。

もちろん、政治家も、やり過ぎれば、それもいけないかもしれない。問題はバランスだ。だが、現在のように景気の悪い時は、正論を述べて何もできない無能な政治家より、何かを実行してくれる政治家が望ましい。国民にとって必要な政治家は、その時々で異なる。

ただ、今回の職務権限のない野党政治家の秘書の逮捕は、政界を混乱させ、経済も停滞させるだけだろう。いずれ与党の政治家の秘書にも捜査の手を伸ばす(検察は、小沢氏の金額が大きいというが、それはおかしい。金額の多寡の問題ではない。むしろ、職務権限のある与党の政治家を摘発すべきなのだ)。

そうしないと、検察として、バランスが悪いからだ。そういうこともあって、政治の混乱を嫌気して、円は売られている。輸出企業は、若干ホッとしているかもしれないが、悪い円安だ。

そういうことを考えると、検察の立場は理解できるが、タイミングが極めて悪すぎる。経済が安定している時は、いいが、検察も、いらぬことをやってくれたものだ。まかり間違えば、日本の景気は、更に悪化する可能性もある。それは恐慌への入り口である。検察の観点は、やや視野が狭いように感じる。

*注

父の名誉のために記すと、父はどちらかというと、正邪に関して、潔癖症に近かった。実際、家族内でのお金のやりとりでも、大変厳しかった。そういう父が、こういう発言をするので驚いたことを記憶している。

*追記

それにしても、マスコミは、この問題について騒ぎすぎだ。改めて、一面的に物事を捉えるそのレベルの低さに情けなさを感じる。これらの問題は、他国では、ほとんど話題にならないだろう。所詮、権力闘争に利用されているだけだ。

だから、米国のように、政府高官が、元在籍した企業に、十兆円近くを合法的に還元させるスケールと比べれば、笑えてくる。それが汚職にならないのだ。そういう意味では、日本は、政治家が、いろいろ問題を起こすとしても、まだ健全だろう。

ただ、政治献金の仕組みの見直しは迫られるかもしれない。だが、民主主義において、政治に金がかかるのは、避けられない。どんなに見直ししても、完全な献金の仕組みはありえない。政治献金を否定することは、民主主義の否定につながることを、認識しておく必要がある。

*平成21年11月追記

民主党が政権を握ったので、野党は自民党になった。攻守所を変えたわけだが、民主党も、これからは職務権限と政治献金との関係は、問題になる。野党時代のように気楽にはならない。ただ政権を握る前のことを、うるさく追求しても、あまり意味はない。監視するのは、これからだ。

平成22年2月13日追記

小沢氏は不起訴になったが、この小沢問題に限らず、あちらこちらで検察の尋問の仕方が問題になっている。証拠はないのに、嘘のことを言って、容疑者を嵌めることまでしている。これは明らかに異常だ。

検察官の評価システムに問題があるのだろう。検察庁の改革が急がれる。罪なき人々を冤罪にすれば、担当者及び責任者は責任をとる仕組みにする必要がある。何をやってもいいというのでは、ありうる姿ではない。検察が特高のような恐怖機関になってはまずい。

|

« 政治献金の完全なシステムはあるか | トップページ | こじつけ話 »

考え方」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 政治献金の完全なシステムはあるか | トップページ | こじつけ話 »