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2009年3月 7日 (土)

玉石混淆の解釈と組織運営の考え方

玉石混淆という言葉は、よく使われる。その意味は、良いものと悪いものが混じっていると理解してきた。広辞苑にも、「よいものとつまらないものとが入りまじること」とある。出典は、以前にも取り上げた『抱朴子』だ。

ところが、本文をよく読んでみる(と言っても、翻訳だが)と、抱朴子すなわち葛洪の伝えたいことは、どうも意味が違うようだ。彼のいいたいことは、よい書物とされる経書(五経)も、そうでない諸子百家の書も、人々を教化するという目的には、違いない。それを経書のみが全てというのは誤りである、と言いたいようなのだ(『抱朴子』尚博)。

もちろん、経書などを読むのは別に悪いことではないが、諸子百家の書を見下すのはおかしいと言っているのだ。経書を読んでいると言うと、それは外見はよさそうに見えるが、案外、諸子百家の書の方が実があったりする。できれば、両方に目を通した方がいいのだろう。

これは企業で言えば、ちょっと違う喩えになるが、商品の企画担当者が、「営業」が聞いてきたことを馬鹿にしたりするのと似ている。企画というのは、市場を調べ、マーケティング調査に基づき、あるべき製品像を明確にして、商品開発するのが常識と考えている。「企画」というのは、営業より上流の仕事と思っている企画担当者も多い。

しかしながら、「企画」というと上質の仕事のように見えるが、実際は、「営業」のどろどろした物事を知らないと成功しない。ところが、「営業」を見下げる感じが抜けない。そういうこともあって、「営業」は、企画担当者が現場を知らないと馬鹿にし、企画担当者の作った製品は、売れないとクレームをつけ、製販の反目が生じる。

こういうことは、企業ではよくあることだ。葛洪の指摘するように、それぞれの捉われの心が、企業目的を曇らせ、本来の活動を阻害し、組織効率を低下させる。そういうことのないように、経営者は配慮したいものだ。経営者にとっては、玉も石も大切だし、彼らを相互理解させる努力を惜しんではならない。

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