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2009年4月29日 (水)

『平家物語』の絵本

『平家物語』を読み直しているが、人間の世界は、どの時代も似たようなものだとつくづく感じる。たかだか百年の命なのに、いろんな私欲・権力欲から、争いを起こし、恨まれ、復讐し、それがずるずると繰り返し争っている。多くの原因は、トップの為政者の考え方に原因があることが多い。

ただ、『平家物語』は、単に争いごとだけを描いているのではない。間に挟まれる多くの人間的なエピソードが満載だから、ずっと庶民にも人気があった。そこには、義理や、男女間の情がある。それに、多くの人たちが共感したから人気がある。

しかし、それさえも、短い人間の生命からすれば、どうってことないというようにも感じられる。すなわち、作者は、無常観を伝えている。無常観を認識しつつ、生と死はつながっていることを知り、いかに生の中で死を感じつつ生きるか。作者は、そういうことを伝えたかったのかもしれない。生き方を示唆する文学と言えるだろう。

ところで、この『平家物語』は、清盛が、福原京を造ったので、神戸とも関わりが強いのだが、残念ながら、いろんな祭りも一部催されているが、それほどには目立たない。大学関係でも、公開講座で、一部講演されているが、限られたものだ。

神戸は、どうしても西欧と結び付けたいようで、清盛については、あまり関わりたくないような感じを受ける。清盛は神戸に港を開き、中国との交易で利益を得て、それが権力基盤になっているから、神戸とは、本来、関わりが強いにも、かかわらずだ。福原が現在、歓楽街になっていることが影響しているのかもしれない。

ところが、先日、兵庫県立歴史博物館で、『妖怪天国ニッポン』を鑑賞したところ、姫路文学館で、『安野光雅が描く絵本平家物語の世界』(*注1)を開催していることを知ったので、ついでに行ってきた。だが、姫路は、本来、『平家物語』には、登場しない、あまり関係のない土地柄だ(*注2)。『平家物語』で登場するのは、せいぜい加古川までぐらいだろう。その姫路で、この展覧会が開かれていたので、若干の違和感を感じた。

だが、比較的狭い空間での展示であるにもかかわらず、安野氏の描く絵本は、見ごたえがあり、状況がわかりやすい状態だった。『源氏物語』でも、フランスの方が、絵巻を挿入させながら、豪華本を作っていたが、日本では、過去にそういうものが作られなかった。日本の歴史文学は、その見せ方において、まだまだ工夫が足りないということだろう。

今回、同様に、物語とは関係のない土地での『平家物語』の絵の展示は、この文学館で、作られたものではなく、安野氏の作品は、津和野にある彼の美術館(津和野町立安野光雅美術館)からの借り物であるのだが、関係美術資産の掘り起こし企画という意味においては価値がある。そういう観点から見れは、こういう企画は、一応成功と言えるだろう。

安野氏の絵は、本を読んで文字を追うだけでは、なかなかイメージできない場面が、描かれていて、本当によかった。こういう企画をしたのが、神戸の美術館や博物館でないのが残念だ。更に、その図録を読むと、『平家物語』の神戸の舞台となった場所がたくさん紹介されており、ますますその念を強くした。このような催しは、神戸市立博物館で、定期的に開催してほしいものだ。

* 注1

    平成21年6月28日まで。姫路文学館 特別展示室(北館2階)

*  注2

         実際は、御津港も、旧姫路市に含めて考えると、無縁ではないとのこと。

    だが、全体的に関わりは薄い。

* 追記

図録では、展示品すべての掲載がなく、少し残念である。図録価格が高くなることへ配慮したのかもしれない。あるいは安野氏の図録が別途あるのかもしれないが、それは販売されていなかった。

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2009年4月28日 (火)

日米同盟後を、どのように考えるか

米国の、その存在価値が大きく揺らいでいる。金融恐慌は、米英の覇権を大きく傷つけている。最早いかなる対策を打っても、回復は不可能だろう。それは米国の資本家が既に逃避傾向にあることからもわかる。危険を感じ取れば、ネズミはいち早く逃げていく。それは本能的なものだ。投資家も、その点はシビアだ。

そういう状況下、政府与党は、未だに米国同盟などと言っている。過去のいろんなしがらみや、歴史がそう言わせるのだろうが、それは最早、幻想に過ぎないだろう。北朝鮮への対応でも、米国は、日本を守る気がないことがはっきりした。

日米同盟は、日本より、米国に金づるの確保と言う意味で価値があったが、自民党は、安保ということで、恐怖心を煽られて、「巨大な人参」と共に取り込まれていた。彼らのやり方は、軍事産業をバックに持つ米政権の恫喝と政治資金供与という「飴とムチ」による同盟の強要であったも言える。

もちろん、戦後の混乱期は、仕方ない選択であったが、最早、自立できる状態なのに、不平等同盟は、あまり意味がない。むしろ日本の主権を侵害するものだ。

更に、既に、米国は海外に軍隊を出す余裕はないだろう。それなのに、かなり無理している状態だ。そういうことで、米国も、日本に対して、独自外交を推進せよと、一部の政治家は言い始めている。国家状況の変化により、日本との同盟がお荷物になってきたようだ。

ただ、今、米国が欲しいのは、日本のお金であり、既に持っている米国債を売却しないでくれと、いうのが本音だろう。しかし、ドルの価値は、いつかわからないが、いずれ紙切れになる。急激には、処分はしないだろうが、徐々に持ち高を減らすしかない。

ましてや、新規の米国債など、今後、いかに日本がお人よしでも、買うことはできない。米国市場は、延命策を取りたいのだろうが、今までの無理な消費が災いして、市場規模は縮小していき、国力も落ちていく。

だから、基本的に、総合的観点から、まず、不平等日米同盟を発展的に解消して、日本独自の外交を推進すべきだ。日本が米国の落ち目に付き合う必要はない。いずれ米国との不平等関係は解消して、新たに準同盟ということに落ち着くだろう。

もちろん、いますぐに日本にそれをやれと言っても、日本の各種情報活動が十分でないし、現在、それをやることはかなり難しいのは確かだ。だが、いつか来る未来だ。それに対応できる準備は急がなくてはならない。特に、外交・防衛も含めて、体制を整えることは大切だ。その点では、国民にも、覚悟が必要だ。

結局、将来的に今後、同盟すべき国は明らかだ。それは、時間的差異はあるが、中国、インド、中東(他のイスラム諸国家含む)、ということになるだろう。つまり4大文化圏に回帰するのだ。アジア中心の「ニューシルクロード同盟」とでも言うべき、これらの国々との関係強化は、必然的に望まれるようになる。

その時、準同盟先としては、米国、ユーロ(ロシアはユーロに含める)ということになる。これらの国々が、日本を含めて、4大文化圏の国々を支援する方向に動かざるを得ない。それをどう考えるのか。政治、経済、文化、金融、軍事のあらゆる点での点検が必要になる。高度の総合的調整能力がこれからの課題になるだろう。

*平成25年7月6日追記

上記の記事を書いたのは、4年前だが、今は米国の状態はシェールガスにより少し雰囲気が変わりつつあるのも事実だ。よって4年前と全く同じ状況ではない。ただ米国は、世界を一つの市場にしたいようだが、これは大きな成果を生むというより、むしろ、うまく行かなくなる可能性の方が高い。むしろ、協調性のある多極化というのが、あるべき方向性だろう。

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2009年4月26日 (日)

妖怪の源流と『妖怪天国ニッポン』展

来春のNHKの朝ドラは、『ゲゲゲの女房』らしい。あの『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるの婦人の原作によるものらしい。彼の妖怪は、流風が学生当時、随分と奇妙に思えて、あまり好きではなかった。ところが、同級生には、結構ファンが多くて、不思議だった。

さて、日本に伝わる妖怪は、見方によっては、日本のサブカルチャーである漫画の源泉であるとのことだ。漫画風のものを描き始めたのは、禅僧あたりと思う。それがだんだん進化して、その周辺の人々が描くようになったものと思われる。

そもそも、古代には、現代のように科学が進歩していないから、多くの自然現象に慄き、自然への怖れと敬意が原点と考えられる。だから、妖怪は、古代に、巫女などの一種独特のカンの鋭い人々が見たことを、形にして、一種「神格化」させたとも考えられる。土偶なども、その一種と言えないこともない。あれは人のようで人でない。夢で見たような形なのだ。単に古代の人の表現能力が劣っていたとは考えられない。古代人の人々の中には、自然の中から多くの妖怪を見たに違いない。

やがて、これらの人々を利用して、地域の有力者が、自分と結び付けて、畏敬の念を持つ手段に使われていったと考えられる。私達人間にはわからない世界がある。それらが私たちを監視ししている。そういうことで、人々に恐怖や畏敬の念をもつようになる。人々は、一度恐れを持つと、それをなかなか克服できない。権力者は、それを利用したに違いない。

以後、時代が下るにつれて、巫女とは異なる、陰陽道のような特別な感性の持ち主の人たちが、普通の人には見えないものを形にしていたとも言える。禅僧にしても、修行を突き詰めれば、普通の精神状態ではいられないだろう。そうしないと、真理は獲得できないだろう。また、霊感の強い人は幽霊などという、そういう存在を示すことによって、人々の心を自制するように持って行ったとも考えられる。

やがて、それは仏教の哲学と相俟って、思想的に表現されたものもあったものが、一般民衆にも流れ、更に都市化により、そういうものが見える人達が減ったこともあって、民間人が、世間や権力者を皮肉る手段なっていったと思われる。

それは世間的事実は覆い隠し、支配からのストレスや嫉妬心の発散をしていたのだろう。それでも、見る者が見れば、真意はわかるというものを表現していった。ここでは、権力者や思想家と違って、楽しむ手段に移行していることがわかる。

つまり民衆が、かつて権力者の支配手段だったものを逆手にとって、権力者やお上に対する、密やかな抵抗の表現手段になっていった。それが、現代はキャラクター漫画として進化していると言えるのではないか。

以上のような流風の観点か正しいかどうかはわからないが、兵庫県立歴史博物館で、平成21年4月25日から、『妖怪天国ニッポン』展(平成21年6月14日まで)が開催されている。この展示会では、主として江戸時代の妖怪から展示している。江戸時代には、かつて恐怖の対象であった妖怪が、茶化して楽しまれる対象になっていた。そこに、現代の漫画精神の源流があるとする。

最初、見に行ったら疲れるだろうなと思っていたが、案外気楽に鑑賞できた。もちろんお化け屋敷のイメージでの展示ではない(笑)。確かに、慣れるまでは、変な絵ばかりと思うが、観ていくと抵抗感も薄れ、不思議な世界に連れて行かれる。深刻そうで、深刻でない。

裏読みすれば、それには深刻な事態があるのだろうが、そこまで踏み込んでは鑑賞できなかった。鑑賞するには、歴史を十分知っていないと、その皮肉も理解できない。流風の浅学な知識では、なかなかわからないのだ。そういうことで、今回も図録を入手し、理解を深めて、再訪しようと思う。

*参考

  公式図録『図説 妖怪画の系譜』

   兵庫県立歴史博物館・京都国際マンガミュージアム編

   但し、この図録は展示ごとに説明したものではなかった。

   どちらかというと、マンガを強く意識した展示全般に対する解説書だ。

   流風にとって、多くの図の説明の方が参考になった。

*参考

 兵庫県立歴史博物館 「ひょうご-妖怪・自然の世界」

 http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/legend3/index.html

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2009年4月24日 (金)

瀕死企業を救済する愚

瀕死企業を救済するのは、米国政府かと思っていたら、日本政府も、瀕死企業を公的資金を投入して、救済している。非常に馬鹿げたことだ。経営力のない企業は、大企業であろうと、整理ししなければならない。それが盛者必衰の理だ。

そんなところに公的資金を投じて、株価を底上げしようとしても、それは一瞬で終わる。仮に、それが金融機関の持ち株の時価評価を上げるためとしても、極めてリスキーな投入に変わりはない。公的資金は無駄に使われる可能性は高い。それは税金の無駄遣いと断言できる。

もちろん今回のような急激な環境変化でも、それは同じだ。国は、失業者を生まないためと言うが、それはおかしい。そんなことを言えば、すべての企業を国が救済しなければならなくなる。それは市場の法則を無視したものだ。

同様に中小企業に対してはどうかというと、多額の融資保証して、これまた救済している。中小企業の場合は、銀行の貸し渋りが原因で、運転資金が足りないためで、資金供給すれば立ち直れる企業の場合は、そのように支援していくことも大切と思うが、そうでない企業は整理しなければならない。

スクラップ・アンド・ビルドは、いかなる時にも、市場を発展させる大切な考え方だ。多くの失業者がでることを案じて、企業を生き残らせても、今後、その企業が立ち直れるかどうかは、極めて疑問である。さらに大企業のように、企業組織が大きいと、かえって現状のままでは、生き残るのは難しいところが大半ではないか。

裏読みすれば、政府与党の選挙対策ではないかという疑念も生じてくる。本来あるべき企業行動が、個別に求められるのであって、国に支援されるようになったら、その企業は終わりだろう。

本来、金融システムの秩序のためなら、やはり世界金融システムの見直しと会計制度の見直しに時間をかけても、早く取り組むべきなのだ。それらを無視したところで、事態は一向に改善されないことを知るべきだ。企業救済のための安易な公的資金の投入は、大きな資源と時間の無駄と断言できる。

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2009年4月23日 (木)

今はタレントに世の中は厳しいか

有名なタレントが、深夜酒を飲み、公園で裸で騒いで、公然猥褻罪だとして逮捕されている。まあ、何があったかしれないが、嫌なことがあったのだろう。誰でも、そんな時はある。うまく憂さを晴らさないと、こういうことを起こす。しかし、若い時は誰でも起こしかねないことでもある。

流風も、若い時、先輩とお酒を飲んで、ぐでんぐでんになり、千鳥足で、大声を出して帰ったらしい。先輩と別れて、電車に乗るまでのことは、まったく覚えていない。それでも、電車に乗ったことは不思議だ。電車の中でも、ぐじゃぐしゃになり、眼鏡は落とすは、鞄は放り出すはと、周囲の人もはらはらして見ていたらしい。

このことは、後で知ったのは、同じ電車に乗っていた近所の人の奥さんから教えられ、恥ずかしい思いをした覚えがある。それ以後、お酒には、十分注意するようになった。それにしても、よく捕まらなかったものだ。まあ、裸にならなかったのが幸いしたのだろうか。

だが、このタレントの場合、世間の制裁は厳しい。例の某元大臣同様、公に恥をさらしてしまったから、当然と言えば当然だが。有名なだけに、世間も厳しい。業績の悪化している有名企業も、テレビ広告を、ここぞとばかり契約破棄し、その他の出演番組も見合わせられるようだ。

従来、タレントの犯罪には、甘い傾向があった。しかしながら、今は、法の前には、誰も平等であるということで望んでいるのなら、それは好ましいことだ。人間だから、辛いことはいろいろあるだろう。有名なタレントであれば、息苦しいほど、その管理も厳しいだろう。息抜きしたつもりが、行き過ぎてしまったのかもしれない。それにしては、失ってしまったものが大きすぎる。だが、薬物犯罪でもなさそうだし、早く復帰してもらいたいものだ。流風は甘いだろうか。

*追記

流風は、このタレントに甘いのでは、と言われてしまった。確かに、厳しい拘束管理と引き換えに高額の報酬を得ているのだから、批判されても仕方ないと言える。自己管理が足りなかったのも事実だろう。結局、早く嫁さんをもらうことだな(笑)。タレントも人間だ。

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順境は、感謝と努力から

凡そ、順境と逆境は、互い違いにやってくると云われる。栄枯盛衰は、いつの時代もある。それは個人においてもだ。ただ、何が「栄」で、何が「衰」と考えると、一般には、全般的に気分がいい時は、それは「栄」であり、気分的に参っている時は「衰」と思っているかもしれない。

そう考えると、順境・逆境は、ある意味、自ら作り出しているかもしれない。すなわち、心のコントロールをすれば、ある程度、順境・逆境をコントロールできるということであろう。それには、いろんなことに感謝し、日々努力を地道に積み重ねることが大切ということだ。そうすれば、常に順境であり、常に逆境にいると平常心でいることが可能になる。まあ、なかなか難しいことだけれど(笑)、感謝の気持ちは持ち続けたいものだ。

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2009年4月22日 (水)

記憶に頼る過ち~メモの効用

会社員時代、ある新任の上司の指示をメモしなかったことで、厳しく叱られた。指示を記憶にとどめるというのは、傲慢なことだと。凡そ、人間の記憶など、そんなに当てになるものではなく、次の情報インプットがあれば、前の情報は忘れてしまいがちである。そのことを上司は指摘したのだ。

いつも、すぐにメモせずに、席に戻ってから、確認していたので、その上司の叱責には腹が立ったが、後で考えると、その上司の言われたことは正しいと気づいた。それ以後、それまでのやり方を改め、何でも得た情報はメモするようにした。

現在でも、ブログネタを思いついた時は、すぐメモするし、必要な買い物と思った時はメモしている。ラジオやテレビで流される情報も、感性に引っかかれば、メモしている。読書でも、メモ式読書だ。ブログでも、読んで参考になりそうなことがあればメモする。

人と会って、参考にできることがあれば、メモするし、あるいは会談後、即座にメモする(*注)。人間の記憶は、瞬間的な物なので、接する情報は刹那的である。それをメモしておけば、後で思い出すこともできる。記憶力の衰えた現在は、流風にとって、当然だが、若い人も、今のうちから、習慣づけた方がいいかもしれない。

*注

外部の人間と会話中に、メモすると、それを嫌がる人もいる。メモしていいですか、と確認を取るのがマナーである。

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2009年4月21日 (火)

料理は、やっぱり道具かな

弘法は筆を選ばず、なんて言うけれど、凡人の料理には、やはり適切な道具は必要だ。亡き母のように、道具ばかり、買っていても、料理は上手にならない人もいるにはいるが、道具で、その出来具合が違うということを度々経験させられた。

とは言っても、流風が買う調理器具は、スーパーなどで売っている安物が多い。その結果、今までフライパンや卵焼き器で、どれくらい失敗したことか。安物は、何年も使えない。結局、買い直して、安物買いの銭失い、ということになっていた。

しかし、高い物が優れているかと言うと、必ずしもそうでないことも事実だ。かつて高級輸入品の調理器具を頂いたことがあるが、使い勝手も悪いし、おいしい料理もできなかった。当時の料理の腕前を差し引いても、問題は多い。日本の料理には向いていないのだろう。

また高名なデザイナーによってデザインされた調理器具も、器具としては、イマイチな物が多い。確かに、一見便利そうにデザインされているのだが、使う側の立場に立っていないことが多い。また限られた予算の中で作るのか、デザインに重きが置かれて、器具として、しっかりしていないものも散見される。

流風が求めるフライパンの要件はは、少ない熱量で、油も少なくて済み、料理もおいしく仕上がるものがいい。ある意味、省エネが求められる。そして、どんな料理も、これさえあれば、一応何とかなる優れ物が欲しい。それに細かい手入れが不要で、さっと洗って、いきなり使えるのもいい。

結論的には、料理は、やはり、素材と道具だ。最近、料理する者の能力に合わせて、道具の選定は、つくづく大事だと感じている。料理人からすれば、当り前なのだろうが。

*平成25年9月30日追記

現在は、百貨店の売り場の人に勧められて、タイ製の商品を使っている。値ごろ感もあり、機能的にもいい。

*平成26年1月19日追記

最近は、普通のフライパンに加えて、小型の卵料理専用のフライパンを購入し、使っている。これは便利だ。

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2009年4月20日 (月)

指示の仕方

会社員時代の若い頃、上司から明確な指示がなくて、右往左往した記憶がある。その後、上司により、その指示の仕方が異なり、それぞれに対応していくことを覚えた。だが、曖昧な指示には、随分と困ったものである。それで確認すると、それがまた曖昧な上司もいた。

基本的には、指示の仕方としては、まず目的を明確にする必要がある。だから、目的のない指示はない。何らかの目的があるから、部下に指示するのは当然だ。

ここでの問題は、期限だ。その目的を達成させるために、いつまでやり終えないといけないのか。部下だって、他に仕事を抱えている。仕事の優先順序をどうするか調整しなければならない。

ところが、期限を切って指示されるとは限らない。大体、急ぐ場合が多いが、どれくらい急ぐかは、確認する必要がある。確認すると、「すぐだ」という上司もいる。それで、すぐにやって報告すると、ずっと、その書類は机の上で、それから何週間たってから、報告について、問い合わせがあったりする。

だから上司は、指示を的確にしないと、部下から疎んじられる結果になりかねない。それゆえ期限を切らない指示は、重要事項に関してだと、指示者も認識しておく必要がある。

次に期間を指定して、その範囲内で目的を達成せよという場合は、部下の状況により、無理な場合もある。結局、できる範囲内でやれという意味も含んでいるだろう。もちろん、完璧にできれば問題はないが、ポイントを押さえておけば、やっつけ仕事でもいいというニュアンスがある。

上司と部下も、付き合いが長いと、阿吽の呼吸で、指示を処理できるが、新任の上司や部下であれば、指示通り、目的が達成されないこともあろう。目的と期間について、考え方を詰めておくことが、ビジネスをスムースに進行させる。

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2009年4月17日 (金)

心をつなぐ『妙心寺』展に行く

先日、京都国立博物館で開催されている『妙心寺』展(*注1参照)に行ってきた。妙心寺と言えば、禅寺で、臨済宗妙心寺派大本山である。流風家も、妙心寺派の末寺の檀家である。そういうこともあって、若い時、ふと気になって、一度訪問したことがある。

総本山の妙心寺には随分と、たくさんのお寺があり、どれをどのように訪問すればいいのか、わからなかった記憶がある。理由を話して入れてもらい、天井の龍図などを見せてもらったのを覚えている。

ところで、宗教との関わりあいは、両親も、臨済宗の教義とか、禅の理解とか、祖先を祀るという意味では、熱心な信者であったが、お寺とは適切な距離を置くように言われたものだ。宗教と宗教施設は、その持つ意味が全く違うという判断からだ。

だから、毎日、先祖を敬う気持ちが大切とか、お墓は大きくしてはいけない、寄付は生活に支障のない範囲で適切にすること、先祖のお祀りと直接関係ないことには、参加しなくしてよいとか、いろいろ言われた。お寺にすれば、不良檀家の類かもしれない。

まあ、それはそれとして、やはり妙心寺に関する展覧会が催されるのだから、それはそうそう見られるものでもないだろうということで、今回京都まで行ってきたのだ。当日は、平日のためか、観覧者はそんなに多くなく、また年配者が当然多かった。若い人は、親子と思われる人々を除けば、ほとんど見られなかった。若い人に、辛気臭いかもしれない。

この妙心寺は、花園法皇によって開山された。初代の住持として迎えられたのが、諡号が無相大師の関山慧玄であり、今年が650年遠諱(おんき)にあたるため、開かれた特別展示会ということだ。

妙心寺は、すべての宗教がそうであるように、今まで順調に来たわけではない。とりわけ、権力とは距離を置き、時には権力と対峙したため(*注3)、迫害も受けている。絶対権力者にとっては、厄介な存在だったのだ。それでもめげず、独立独歩の道を歩み、理解者や強力な檀家の支持を受けて、現在に至っている。

しかし、この展示会の内容は、名僧の像や書が中心で、予備知識なくしては、なかなかその理解は難しい。まして古い作品が多く、修復されていないので、大変見づらい。近寄って見ようとするが、それでも画像は確実にわからないものも多かった。

もちろん眺めるだけだったら、それでも他の展示会同様、あっという間に終わるのだろうが、どうも今回の展示会は、それだけでは満足できない。事前にNHK等でいろいろ解説していたので参考にはしたものの、すべてを理解するのはあきらめた。

毎月、お寺から送られくる雑誌にも、あまり目を通していなかったが、これからは読むことにしましょう(笑)。やはり信徒としては、それなりの意味も理解したいという意欲が増したようだ。総本山の思惑通り(笑)。

結局、分厚い図録(*注2)を買い求めることにした。前期が4月19日までで、後期が4月21日から5月10日までなので、再度読みこなして、時間があれば、また行って再確認してみたい。果たして、いつか不良信徒が、口伝を超えた心伝という禅の真髄を多少なりとも理解できるようになるだろうか。

*注1 『妙心寺』展      http://www.myoshinji2009.jp/

*注2  もちろん、すべての時代を通して、そうであったわけではない。権力者とつながった時代もある。権力闘争に巻き込まれ、有力者の庇護が必要になったのだ。しかしながら、その法灯に関しては、妥協することがなかった。

*注3  図録『妙心寺』は、総439ページで、1.9キログラム。かさばって重いので、来館者が高齢の人が多いので、敬遠するかもしれない。檀家であれば、買い求めたいだろうが、どうだろう。注文だけ受けて、別途配送という販売手法も許されるのではないか。配送料を負担しても、展示会を観覧して入手したい人はいるだろう。このことは、その他の展示会にも同様のことが言える。

*追記

ちなみに流風も、多くの日本人同様、感覚的宗教心の持ち主だ。外国人のように、宗教教義を学習する姿勢は本来持ち合わせていない。学ぶとしても、それは趣味の範囲内であることをお断りしておく。もちろん、その教えを知らないということはない。それは、意識を超えて生活の中に溶け込んているのが、日本の仏教というものであろう。

 

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2009年4月15日 (水)

歯の健康診断の重要性

今更、健康診断が重要だ言っても、それは当り前と言われるかもしれない。ところが、案外軽視されているのが現状だと思う。確かに、会社勤めしておれば、会社側から執り行う定期的な健康診断がなされるので、一応、それで安心かなとも思えるかもしれない。

しかしながら、企業で受診する健康診断には限界があるだろう。大量診断、大量診察には、自ずと、病気の発見にも、たくさんの穴がある。やはり健康診断は、各個人が、それぞれに受診する必要があると思う。このことは以前にも述べた。

また健康診断と言えば、一般に内科での受診が多いと思うが、それだけでは足りないと思う。具体的には、

 一、一般的総合的診断として、内科医(あるいは、年齢によっては、循環器科)で受診

 二、歯の健康診断のための、歯科医

 三、各個人が問題を抱えている専門医

大体、上記の健康診断を定期的に受診することが望まれる。若い時は、健康だから、そういうことへの配慮が欠けがちだが、若い時から習慣づけてほしい。

そして、二、に挙げた歯科医での定期健診だが、これは本当に重要な意味を持つ。よく「医食同源」と言われるが、すべての食は、健康と関連している。そして、食べ物を入れるのは口からだ。よって、口内の健康管理は大変重要な意味を持つ。

ところが、案外、健康管理面において、歯の管理は見過ごされている。虫歯などになれば、止む無く、医者に通うが、治療が終われば、それで終わりという人も多い。もちろん、治療に時間がかかるということもある。仕事中に抜け出すのも、他の医療と違い、なかなか難しい。

そういうこともあって、軽視されるのだろう。だが、歯の健康管理は大切だ。母は、医者嫌いで、歯の健康診断を怠り、それで命を落とした。虫歯も、いったん痛みが取れれば、それで終わりということはない。定期検診しないと、隠れ虫歯を発見できないし、歯槽膿漏の防止もできない。それに歯の健康だけでなく、すべての病理は、歯に潜んでいると言えないこともない。

若い時は、年に一回、40歳を超えれば、年二回、50歳を超えれば、年四回以上、歯の健康診断を受診したいものだ。そうすれば、健康的な長生きも可能と言われる。大体、長寿の人たちは、自分の歯を維持していることからも確かだ。歯の健康診断を習慣づけたいものだ。

*注

よく日常的な歯磨きを十分すれば、いいではないかという人がいるが、歯磨きだけでは限界がある。専門家による診断によるのが望ましい。

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2009年4月14日 (火)

ある眼鏡店への苦情

長年使っていた眼鏡が、レンズは傷だらけ、フレームはボロボロのため、ついに買い換えることにした。誤魔化し、誤魔化し、使っていたが、さすがに限界。そういうことを考えながら、街を歩いていると、ある有名な眼鏡店が目についた。

いつもは、スーパーにテナントで出店している店で、作ることが多いのだが、以前作った時、接客が少し引っかかっていた。そういうこともあって、その有名な眼鏡店が目に入ったのであろう。ただし、この店はファッショナブルだが、高い店として有名だ。懐と相談すると、多分、厳しいだろう。

そうすると、店員がするすると寄ってきて、見事な接客術で接してきた。フレームの紹介や検眼(*注)などを通じて、その時、買うつもりはなかったのだが、ついつい買わされてしまった。予算ははるかにオーバーだ。その他の出費を抑えるしかない(苦笑)。

確かにフレームは、以前使っていたものより、ファッション性はあるし、いい感じ。だが、家に帰ってみると、その眼鏡には違和感があった。どうも文字も読みにくいし、遠くもなんとなく見にくい。これはおかしいと思って、店にもう一度訪問し、苦情を言うと、再度検眼してくれたが、「間違っていません。お客様がお馴れになっていないからだと思います」と、困惑顔で言うので、仕方なく帰った。

ところがである。一週間しても、その眼鏡は見にくく、使用に耐えないから、以前の眼鏡を使う羽目に陥った。そこで、再々度、店を訪問すると、担当の店員は不在で、違う店員が見てくれたが、「やはり間違いはありません」と不機嫌そうに、返してきた。

担当の店員にも連絡してくれと言ったが、なしのつぶてだ。一体、これが一流の眼鏡店なのか。お金をどぶに捨てたようなものだ。まさに詐欺師の手法に乗せられた。ここの社長は、マスコミなどで、顧客対応は一番ですなどと言うが、もう一度、全社を点検した方がいいだろう。もう二度と、この店では買わない。

*注

眼科での検眼通り作って、眼鏡が必ずしも合うとは限らないことを、たくさん経験しているので、最近は眼科での視力検査はやったことがない。

*追記

結局、別の眼鏡店で作りなおしたが、品質も価格も妥当で、全く問題がなく、現在は、それを使っている。上記の高級店との違いとして、一つ言えるのは、作りなおした店では、実に検眼が丁寧で、時間がたっぷりかけられていた。近視、乱視、老眼が混じっていると、そういう丁寧な検眼が必要なのだろう。

また現在は、安売りの眼鏡店がはやっているが、そういうところでは確かに検眼はいい加減だ。価格的には、安いから、そんなに不満は言えないかもしれない。だが上記に示した高級店で、いい加減な検眼をしているようだったら、この店はいずれ左前になるだろう。

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2009年4月13日 (月)

買いたいものがない

政府は、消費刺激にやっきだが、流風は、歳のせいか、特に買いたい物がない。お金がないからと言ってしまえば、それまでだが、世間一般からすると、持ち物が少ない割に、使いたいと思うような物がない。壊れたパソコンは、買い換えたので、当面、その他に消費に回すことはない。

最近、よく使うのは、従来通り、書籍代やガーデニング関係ぐらいだ。後は、ほとんどが食事代と交通費だ。国は、流風みたいな消費者ばかりでは、困るのだろうが、倹しい生活を送っていれば、これは当然だろう。国民に贅沢消費を望めば、米国みたいになってしまう。

日本の財政だって、出入をきちんと管理していないから、今のような財政状況になる。そして、国民が消費してくれないと、消費税の上りが少なくなると嘆く。でもねえ、社会保障の不安定さは、将来に不安を感じる。それは熟年者だけでなく、若い人もそうだろう。

いや若い人の方が深刻かもしれない。国が本当に消費を拡大させたいのなら、まず社会保障の安定の仕組みをつくることだろう。そうしないと、日本の消費は、いつまでも低迷し、成長率も上がらないだろう。

*注

上記の「買いたいものがない」というのは、一応、日用品以外の話です。

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2009年4月12日 (日)

現政権が続く限り、消費税は20%を避けられないのか

麻生政権の財政ばら撒きは、後世に多くの負担を課すことになるかもしれない。それは小渕政権の二の舞になる可能性が高い。米国に追随する政策は、将来、国民を苦しめることになるだろう。つまり消費税等の税率アップが待ち構えていると言うべきだろう。あるいは、それを見込んで政策を打っている感がある。

しかしながら、消費税を5%上げるだけで、国民の抵抗は大きい。本来、逆進税である消費税は、単に税金を集めるというだけでは、低所得者は納得しないだろう。やはり、その使い道をはっきり宣言して、それを約束することが大切だ。

例えば、応益課税であるべき社会保障の充実には、この税は適正と言える。もちろん、高齢による健康の個人差はあるが、最終的には、医療や介護の世話になる。相互扶助的な税として捉えれば、当局が正しく運用する限りにおいては問題が少ない。

ところが、今回発表された追加経済対策は、偏った政策であり、国民が平等に恩恵を受けるわけでもない。社会保障の充実に、5%の消費税アップは、その使い道が明確であれば、国民は了承するかもしれないが、今回の追加経済対策は、ほとんど関係ないことだ。

そうでなくても、歳入をはるかに超える歳出予算を組んでおり、財政赤字は膨らむばかりである。そして、それはいつかどこかで賄わなければならなくなる。そうなると、仮に低成長が続けば、消費税20%もありうる話だ。

残念ながら、麻生政権は、わいわい騒ぐ業界の要望に応えることに必死(もちろん選挙対策)で、本当の経済金融政策課題を理解していないのかもしれない。

*追記

日本の経済が本当に不況なのか再考しなければならない。金融破綻の一時的なショックが、不況と混同されている。根本の問題は、金融問題であり、経済対策でないはずだ。景気は、「現状のこれが普通」と考えるべきだろう。

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2009年4月10日 (金)

子供は、“君子危うきに近寄らず”

最近は、小学生から大学生まで、繁華街を深夜遅くまで、街中をうろついている子供をよく見かける。塾帰りや、クラブ活動の帰りか、カラオケ・マンガ喫茶などのレジャー施設への行き帰りだろうか。あるいはアルバイトの行き帰りだろうか。

そういう姿を見ると、危なっかしい。親は、そのことを知っているのだろうか。塾通いも、ほどほどにしないと、無意味になりかねない。単に受験テクニックを身につけるだけなら、自分ペースで繰り返しできるネットの通信教育の方が安全で、効率が高いだろう。子供たちは、友達を作るためとか言うが、その発想がおかしい。

また中学生くらいから、カラオケに行ったりするそうだが、カラオケにしろ、マンガ喫茶にしろ、不潔な施設が多いことは明らかで、最近、若い人に多い結核も、こういう施設で空気感染していると伝えられている。子供のころから、不健全な施設に出入りするのは、親の配慮が足りないだからだろう。

流風が子供のころは、母親から、昼間でも、繁華街に行くことは、危険な場所として、随分脅されたものである。病気をうつされるとか、人さらいに誘拐されるとか。どの程度の事実に基づいて言っていたのかは不明だが、門限同様、厳しかった。今の親は、大体、子供の行動をきちんと把握しているのだろうか。

それに子供のアルバイトは、早くから金銭感覚がついていいという人もいるが、あまり、若いうちから、お金に汚れる必要もあるまい。家庭の事情で、子供にもアルバイトさせねばならないケースを除けば、子供を早くから物欲に傾倒させない注意が必要ではなかろうか。

これらのことは、大半の家庭では、きちんと把握されていると思うが、繁華街をうろうろしている子供たちを見ると不安になってくる。君子、危うきに近寄らずは、彼らにも当てはまることだろう。

親たちは、自分のことに一所懸命になりすぎて、子供への関心が薄いのではないかと思う。もう一度、自分の子供は大丈夫と思わずに、親は、その行動範囲を把握することに精力を上げるべきだろう。

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2009年4月 9日 (木)

えっ、エゴカー・エゴ家電?

自動車業界や家電業界が、政府にねじこんで、消費を活性化させる目的として、税金を投入し、エコポイントを付加させるようにしたようだ。確かに業界は苦しいのかもしれないが、わざわざ税金を使って、消費を増やさせようとするのは、あまりいただけない。これは、「エコカー・エコ家電」と言うより、「エゴカー・エゴ家電」と言うべきものであろう。

民間の企業が、国に大体、助成の圧力をかけること自体、おかしい。彼らは産業人の使命を忘れているのではないか。急激な環境変化であろうと、それに対応していくのが企業経営者の役割だ。次世代の技術的な開発のための支援を求めるのなら、まだ理解できるが、販売は、各企業の努力によって、なされるものだ。

今、彼らは大きな勘違いをしていると言えるだろう。国に販売支援を求めるなど、企業経営力が劣化していると言わざるを得ない。各企業は、それぞれの努力をして売り上げを増やす努力をしてもらいたいものだ。

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2009年4月 8日 (水)

店舗の小型化

昔は、八百屋、魚屋、金物屋などが、別に商店街のようなものではなく、家の近くに、別々に存在していた。御用聞きが、それぞれにやってきたり、その他には、豆腐屋や野菜の行商等が、家の近くまで販売に来ていた。だから、小さな子供を抱えていたり、高齢者でも、買い物に困るようなことはなかった。

ところが、最近は、小売店も大型化し、家から遠い所にあったりして、車でないといけない場所にあったりする。確かに品揃えは豊富だし、物の入手に困ることはない。だが、ちょっと必要な物を買いたい時や緊急な時には、間に合わない。だから、大型店舗は便利なようで便利でない時もある。それに遊びに行くつもりならいいが、店舗が大き過ぎると、物を探すのに歩き疲れてしまうこともある。

最近は、コンビニがあるので、ちょっと買いの場合には、便利であるが、そうかと言って、すべて揃っているわけでもない。基本的には食品の購買がほとんどだろう。そういうこともあって、スーパーの中には、コンビニ型スーパーを展開するところも現れてきた。

こういうものが現れると確かに便利かもしれない。なんだか、昔返りしているような気もする。変わったのは、資本系列のあるチェーン店になっただけのような。であれば、もっとこういう業態を開発してもらいたいものだ。

例えば、コンビニ型ホームセンターが欲しい。特に園芸用材料などの入手には便利だと思う。わざわざ遠くまで、買いに行くのもうっとうしいものだ。その他に、昔、金物屋が扱っていた物を置けば、それなりに需要があるだろう。

店舗の小型化で、近所で、“ちょっと買い”できるような店が増えることを望みたいものだ。

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2009年4月 7日 (火)

生活のプラニングということ

よく人生計画の重要性は、よく説かれる。もちろん計画通りにならないのが、世の常だが、無目的に時を過ごすより有意義だということだろう。人生の軸がしっかりしておれば、多くの困難にも耐えられるかもしれない。

ただ、そのためには、日々の生活のプラニングも立てておいた方がいい。そのことは、昔の東大教授でありながら、巨万の富を築いた本田静六博士も、述べられている。それを紹介しておこう。一応、流風の解説もね(笑)。

一、仕事の順序を誤らず、しっかりした計画の下に、生活しなければならぬ。

気ばかり焦って、やるべき手順を踏まずに、飛び越えて仕事をしても、うまくいかない。きちんと一歩ずつ確実に歩むのが、一番速くて効率的だ。また、あれもこれもと、追わないことだ。二兎を追う者、一兎をも得ず。

一、無駄なく、無理なく、またムラなく、仕事の出来高を増やし、その内容、実質を高めるようにする。

よく言われる、「ムダ・ムリ・ムラ」の撲滅は、何も企業だけのことではない。生活においても、「ムダ・ムリ・ムラ」を無くすことを基本軸にして、多少の遊びを認めるのが適切だ。

一、仕事の進行と結果をあらかじめ予測し、あせらず、怠らず、現在に安堵して、最善を尽くすことで、時間と精力が著しく節約される。

結果の予測は確かに難しいが、いろいろシミュレーションすることで、本人は、ある程度、覚悟できる。そうしておけば、最悪の事態に陥っても、切り抜けることができる。

一、常に前途に希望を持ち、人に対して明るい態度を保て、よく自らも苦悩と疲労とから逃れることができる。

辛い、辛いと思えば、本当に辛くなる。それなら、少しの光でも、前途に希望を見出し、周囲に明るい態度を示していけば、やがて希望は現実になる。

一、可及的速やかに成功し、健康長寿、福徳円満、一生を通じて幸福な毎日が送られる。

以上のようにすれば、速く成功し、一生を豊かにする。まあ、流風は確認していないけれど(笑)。イワシの頭も信心からと言うから、若い人は騙されたと思って、やってみて。

この本田博士は、生活のプラニングとして、収入の四分の一を貯蓄(*注)に回しなさいと言っている。計画的な貯蓄が、後々の生活を豊かにすると考えていたようだ。お金ばかりで、生活が豊かになるとも思えないが、なければ豊かになれないのも事実だ。相談できる親友と、よい医師を友人に持っていれば、それは更にいいかもしれない。

*注 「収入の四分の一を貯蓄」について

実は、若い時、わずかな給料の中で、これを試みたが撃沈した(笑)。これはムリな貯蓄になり、結局、食事代も削らなくてはならなくなる。食べ過ぎはいけないが、栄養不足によって健康を害せば、元も子もなくなる。貯蓄が大事としても、食事代を削るようなことをしてはいけない。貯蓄も、ほどほどがいいと思う。

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2009年4月 6日 (月)

レジ決済時のお婆さん

スーパーのレジに並んでいると、前の高齢のお婆さんが、お金を払う段になって、やっと袋から、大きな蝦蟇口を取り出し、おもむろにお金を取り出そうとする。しかし、その動作が極めてゆっくりだ。レジのおばさんも、若干いらつきながら、流風の品物をレジ打ちし始めた。

結構、品数が多いのだが、お婆さんは、まだ、お金を取り出せない。小銭を取り出しては、また蝦蟇口に戻し、それを繰り返して、最終的に、お札を渡していた。こういうことは、このお婆さんに限らず、よくあることだ。

大体、こういうことは女性に多い。若い女性も、蝦蟇口ではないが、大きな財布を持っているのをよく見かける。大きな財布で、きちんと金種が分けられていれば問題はないが、それがばらばらだから手間取るのだろう。

男は、小銭をいちいち出すのが邪魔くさいから、お札を渡してしまう。その結果、財布の中は、小銭だらけということもよくある(苦笑)。流風は、一円玉と五円玉は、財布の中で分けているが、他の小銭は一緒くただ。

でも、並んでいて、余裕のある時は、他の小銭の量を事前に確認しておく。そうすると、支払う時、手間取ることはない。要は段取りなのだ。でも、おばあさんくらいの年齢になると、周囲のことへの配慮はまったくない。周囲が見えないのだろう。流風も、おじいさんになると、そうなるのだろうか。

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2009年4月 5日 (日)

パンダ見たけりゃ、王子動物園に行こう

上野動物園の2008年の入場者数が激減したらしい。理由は、本当かどうかわからないが、パンダがいないこととされる。パンダは確かに、その仕草は、大人の男から見てもかわいい。子供だったら、もっと見たいかもしれない。

都知事は、中国から借りる料金が高すぎるとして、補充をしていない。確かに、年間、1億円というのは、高いかもしれない。ただ費用対効果がどのようなのか、十分に検討されて、話されていたのかは不明だ。

ただ、パンダだけに集客を頼るとしたら、それは確かに動物園の運営としては能がないと言う事もできる。旭山動物園のように、発想を変えた展示方法や、いろんな催しは必要だろう。旭山の真似をする必要はないが、それぞれの立地を活かした運営方法は考えられて当然だろう。

どうしてもパンダ見たけりゃ、神戸市立王子動物園に行こう。東京からだと、飛行機に乗って、神戸空港から、そんなに遠くない。ついでに、神戸観光も楽しんでもらいたいものだ(笑)。

* 王子動物園 http://ojizoo.jp/

*平成22年3月18日追記

上野動物園が、パンダがいないことで、観客が激減し、あの都知事も、パンダを借り受けることを決断したようだ。馬鹿知事も、やっと気づいたか。それにしても、客寄せパンダの力、恐るべし。

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2009年4月 3日 (金)

財政出動による景気対策は有効か

G20では、財政政策の有効性について、二派に分かれて、喧々諤々とやっているようだ。船頭多くして、船山に登るの感じだ。その中で、麻生首相は、米国同様、財政政策を有効として、消極的なドイツやフランスを批判している。

しかしながら、ドイツやフランスの気持ちもわからぬでもない。米国の尻拭いのため、なぜ追加の財政支出拡大をしなければならないのか、彼らは納得できないだろう。

また現在、日本政府がやろうとしている財政出動が有効かと問われれば、その評価は難しい。政府は恐慌時の経済政策としては財政政策が有効と考えているのだろうが、財政政策が万能なわけでもない。

ただ、低金利すぎて金融政策が機能していない現在、何らかの刺激が必要と考えるのは、政策担当者の常であろう。

だが、もう少し、市場の見極めが必要ではなかろうか。米国市場の悪化から、輸出企業が急速に業績を悪化させているのは事実だが、それは方向転換させるのに時間がかかるだけのことだ。

そのつなぎとしての財政支出は、下請け業者や失業者対策としての財政出動は必要なものかもしれない。だが、輸出企業のために、過剰な税軽減策をやってきたことを忘れてはならない。偏った産業政策が今の危機を迎えているのだ。

この政策の失敗を無闇に批判するつもりはないが、輸出企業は、その下請け企業も従業員も、景気の良い時、その恩恵を受けているのだから、悪くなったからと言って、それで国に泣きつくのはおかしいと考えられる。そう考えれば、財政出動は、極めて不公平と言える。

これらの企業に対する過剰な支援は、その他の国内企業への支援とのバランスが悪い。まず、それを是正するべきだろう。それを隠蔽するために、付け焼刃的に、一時的に国内雇用を増やす政策を打ち出しても、その効果は長期的には、あまり意味がない。

ましてや米国との関係で財政出動を増やすというのは、馬鹿げている。安易に国民負担を拡大させる発想での景気回復の発想はやめるべきだろう。輸出企業に従事していない、その他の国内産業にいる者には、極めて納得が行かないだろう。

むしろ、そういう政策ではなくて、金利を上げうる経済状況にするためには、米国が時価会計の基準を緩和したように、会計制度の見直しが、企業の財務状況の改善につながり、それが株価を上昇させて、景気回復の雰囲気を作り出すことを忘れてはならない。以前にも記したが、時価会計の見直しが、財政出動より優先されるべきだろう。

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2009年4月 2日 (木)

一所懸命ということ

現代は、なかなか一つのことに集中するのが難しい。いろんな誘惑や興味があるからだ。そういうことに関心を持ちだすと、本来のやるべきことに集中できない。それは勉学でも仕事でも同じだ。もちろん、集中できる時間は、限界があるので、気の分散はある程度、やむを得ない。

しかし、過度の気の分散は、集中力を損なう。これは現代人だけだと思っていたら、昔の人も、そういうことを言っている。それは世阿弥の『花伝書』(*注)だ。いわゆる能楽理論だが、その内容は、一般人にとっても、大切なことを示している。

その中で、彼は、次のように語って嘆いている。

「当今の申楽者たちを見ると、自分の芸の稽古は、よい加減にして、専門外のことばかりやっている。たまに申楽をやっている者があるかと思うと、その連中は、目先を追って、ぱっと人の目に着くことばかりやり、一時的な名声にとらわれて、根本を忘れ、目標を見失っている有様なので、こんなことでは、もう申楽も駄目になってしまうのではないかと残念でならない」(『花伝書』、現代語訳川瀬一馬より)

このように見ていくと、昔も、そのようだったのかと思うと、少し笑えてくる。今も昔も、いろんな誘惑には弱いということだろう。誘惑のネタは、金銭であったり、名誉欲であったり、その他の誘惑であっただろう。

現代は、さらに、時間を無駄に使わせる誘惑にあふれている。余程しっかりしないと、そういうものに押し流されて、本来やるべきことをなすことができないままになってしまう。それには、明確な目的意識と、使命感のようなものがなければならない。それに基づき、時間管理を適切に行うことが、求められている。一所懸命には、「捨てる」発想が必要なようだ。

*注

世阿弥の『花伝書』の正式名は、『風姿花伝』。実は父親の観阿弥の理論を整理して著したと云われる。題名の意味は、伝統を風のように受け取り、花のように自らの発想を加えるということのようだ。守・破・離の考え方に近い。

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