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2009年4月 2日 (木)

一所懸命ということ

現代は、なかなか一つのことに集中するのが難しい。いろんな誘惑や興味があるからだ。そういうことに関心を持ちだすと、本来のやるべきことに集中できない。それは勉学でも仕事でも同じだ。もちろん、集中できる時間は、限界があるので、気の分散はある程度、やむを得ない。

しかし、過度の気の分散は、集中力を損なう。これは現代人だけだと思っていたら、昔の人も、そういうことを言っている。それは世阿弥の『花伝書』(*注)だ。いわゆる能楽理論だが、その内容は、一般人にとっても、大切なことを示している。

その中で、彼は、次のように語って嘆いている。

「当今の申楽者たちを見ると、自分の芸の稽古は、よい加減にして、専門外のことばかりやっている。たまに申楽をやっている者があるかと思うと、その連中は、目先を追って、ぱっと人の目に着くことばかりやり、一時的な名声にとらわれて、根本を忘れ、目標を見失っている有様なので、こんなことでは、もう申楽も駄目になってしまうのではないかと残念でならない」(『花伝書』、現代語訳川瀬一馬より)

このように見ていくと、昔も、そのようだったのかと思うと、少し笑えてくる。今も昔も、いろんな誘惑には弱いということだろう。誘惑のネタは、金銭であったり、名誉欲であったり、その他の誘惑であっただろう。

現代は、さらに、時間を無駄に使わせる誘惑にあふれている。余程しっかりしないと、そういうものに押し流されて、本来やるべきことをなすことができないままになってしまう。それには、明確な目的意識と、使命感のようなものがなければならない。それに基づき、時間管理を適切に行うことが、求められている。一所懸命には、「捨てる」発想が必要なようだ。

*注

世阿弥の『花伝書』の正式名は、『風姿花伝』。実は父親の観阿弥の理論を整理して著したと云われる。題名の意味は、伝統を風のように受け取り、花のように自らの発想を加えるということのようだ。守・破・離の考え方に近い。

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