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2009年4月17日 (金)

心をつなぐ『妙心寺』展に行く

先日、京都国立博物館で開催されている『妙心寺』展(*注1参照)に行ってきた。妙心寺と言えば、禅寺で、臨済宗妙心寺派大本山である。流風家も、妙心寺派の末寺の檀家である。そういうこともあって、若い時、ふと気になって、一度訪問したことがある。

総本山の妙心寺には随分と、たくさんのお寺があり、どれをどのように訪問すればいいのか、わからなかった記憶がある。理由を話して入れてもらい、天井の龍図などを見せてもらったのを覚えている。

ところで、宗教との関わりあいは、両親も、臨済宗の教義とか、禅の理解とか、祖先を祀るという意味では、熱心な信者であったが、お寺とは適切な距離を置くように言われたものだ。宗教と宗教施設は、その持つ意味が全く違うという判断からだ。

だから、毎日、先祖を敬う気持ちが大切とか、お墓は大きくしてはいけない、寄付は生活に支障のない範囲で適切にすること、先祖のお祀りと直接関係ないことには、参加しなくしてよいとか、いろいろ言われた。お寺にすれば、不良檀家の類かもしれない。

まあ、それはそれとして、やはり妙心寺に関する展覧会が催されるのだから、それはそうそう見られるものでもないだろうということで、今回京都まで行ってきたのだ。当日は、平日のためか、観覧者はそんなに多くなく、また年配者が当然多かった。若い人は、親子と思われる人々を除けば、ほとんど見られなかった。若い人に、辛気臭いかもしれない。

この妙心寺は、花園法皇によって開山された。初代の住持として迎えられたのが、諡号が無相大師の関山慧玄であり、今年が650年遠諱(おんき)にあたるため、開かれた特別展示会ということだ。

妙心寺は、すべての宗教がそうであるように、今まで順調に来たわけではない。とりわけ、権力とは距離を置き、時には権力と対峙したため(*注3)、迫害も受けている。絶対権力者にとっては、厄介な存在だったのだ。それでもめげず、独立独歩の道を歩み、理解者や強力な檀家の支持を受けて、現在に至っている。

しかし、この展示会の内容は、名僧の像や書が中心で、予備知識なくしては、なかなかその理解は難しい。まして古い作品が多く、修復されていないので、大変見づらい。近寄って見ようとするが、それでも画像は確実にわからないものも多かった。

もちろん眺めるだけだったら、それでも他の展示会同様、あっという間に終わるのだろうが、どうも今回の展示会は、それだけでは満足できない。事前にNHK等でいろいろ解説していたので参考にはしたものの、すべてを理解するのはあきらめた。

毎月、お寺から送られくる雑誌にも、あまり目を通していなかったが、これからは読むことにしましょう(笑)。やはり信徒としては、それなりの意味も理解したいという意欲が増したようだ。総本山の思惑通り(笑)。

結局、分厚い図録(*注2)を買い求めることにした。前期が4月19日までで、後期が4月21日から5月10日までなので、再度読みこなして、時間があれば、また行って再確認してみたい。果たして、いつか不良信徒が、口伝を超えた心伝という禅の真髄を多少なりとも理解できるようになるだろうか。

*注1 『妙心寺』展      http://www.myoshinji2009.jp/

*注2  もちろん、すべての時代を通して、そうであったわけではない。権力者とつながった時代もある。権力闘争に巻き込まれ、有力者の庇護が必要になったのだ。しかしながら、その法灯に関しては、妥協することがなかった。

*注3  図録『妙心寺』は、総439ページで、1.9キログラム。かさばって重いので、来館者が高齢の人が多いので、敬遠するかもしれない。檀家であれば、買い求めたいだろうが、どうだろう。注文だけ受けて、別途配送という販売手法も許されるのではないか。配送料を負担しても、展示会を観覧して入手したい人はいるだろう。このことは、その他の展示会にも同様のことが言える。

*追記

ちなみに流風も、多くの日本人同様、感覚的宗教心の持ち主だ。外国人のように、宗教教義を学習する姿勢は本来持ち合わせていない。学ぶとしても、それは趣味の範囲内であることをお断りしておく。もちろん、その教えを知らないということはない。それは、意識を超えて生活の中に溶け込んているのが、日本の仏教というものであろう。

 

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