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2009年5月25日 (月)

安田善次郎の寄付

このブログで、安田善次郎を取り上げるのは、三回目。どうしても気になる存在だ。多分、当時、どぎつい個性だったと思うのだが、人間として面白い。今回は別の切り口から記してみる。人間には、多くの面があるので、一義的には、捉えきれないからだ。

前にも記したが、彼は84歳の時に、朝日平吾という者に暗殺されている。寄付を依頼しに行って、断られたからという理由だ。しかし、彼は断られることはわかっていたので、初めから殺しに行ったというのだ。それほどケチが徹底していたのだろう。

確かに、安田は寄付嫌いだった。寄付をするぐらいなら、事業に精進して利益を上げることが社会に貢献すると考えていた。だから、慈善事業にも寄付していないし、故郷にも錦を飾るとして寄付もしていない。その点は、彼の哲学に迷いはない(*注)。

更に慈善で売名行為をすることは、父親からも禁じられていたのが、強く影響しているという。むしろ事業を通じて、人々を豊かにできると考えたようだ。だから、世間からケチと言われても、あまり気にしなかった。だが、その行為は、一般人には理解されない。そこで、恨みを買うことになる。

だが、ケチと言われた安田善次郎は、実は莫大な寄付をしている。但し、死後に。彼も晩年、お金は持って、あの世に行くことはできないと悟ったのか、当時の東京市長だった後藤新平の東京再生のプロジェクトの、俗に言う、大風呂敷演説を聞いて、感ずるところがあったらしく、資金の提供を申し出ている。それも、いろんな資金が入れば、ややこしくなるので、単独で、すべての資金を賄うとしているのだ。

ところが、翌年に暗殺されてしまった。この話は、飛んでしまったのかと思ったら、遺産整理する中で、東京市への寄付が記された書類が発見され、子息が代わりに寄付しているそうだ。お金の他に、本宅や土地もだ。

その額、現在の金額にして、百数十億円を超える(但し、その評価金額は、もっと多いという人もいる)という。戦災で焼けたとはいえ、東京の原型があるのは、後藤や安田のお陰ということだろう。安田らしい寄付が、後世の者に寄与している。そして、これは、ケチのあり方と、寄付の仕方の一つの方法として、示唆していると言えるだろう。

*注

ただし、彼は、晩年、匿名で寄付している。つまり寄付に名を残すことはやっていない。

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