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2009年5月19日 (火)

額縁の役割

若い時、割と美術館に行って、絵画を鑑賞した。しかし、正確に言えば、当時は、絵画をよく“見た”ということだろう。残念ながら、“観た”とは言えない。絵画については、何も予備知識もなく、暇つぶしに、“眺めた”というべきか。時々、ちょっと面白そうな絵画については、わかったようなふりをして、見ていた(笑)。

こういうのは、若い時に、内容など、ほとんど理解できないのに、ちょっと背伸びをして、哲学書を読むようなものである。まあ、少し優越感を持ちたいという、自己満足的な行動だ。もちろん、今となっては、それも無駄ではなかったと思っている。お陰で、長い間、図録だけは残っており、後日、ちらちら見ていたから、全く、役に立たなかったということもない。それなりの知識も得た。

さて、そのことはさておき、本題に入ろう。昔、先輩で絵を描くのが好きな人がいた。その人がいいだろう、いいだろうと言って、一枚絵をくれたことがある。画用紙に描いた水彩画のようなものだったと思う。ペラペラで、こんなものをと思ったが、一応、お礼を言って、持ち帰った。

さすがに、すぐに捨てることもできないし、押し入れの奥に入れておけば、先輩が来た時に都合が悪い。止む無く、画材屋に行って、安物の額縁を入手し、それに入れてみた。

ところが、額縁に入れると、貧相な絵が、ぱっと活きてくる。これが同じものかと言うほどだ。この時ほど、びっくりしたことはない。これは一体、絵が主体なのか、額縁が主体なのか。結局、お互いが補いながら、一つの絵画の世界を構成しているのだろう。

そこで、初めて、額縁の果たす役割を知ったわけだ。額縁は、一つの世界を作るのだ。これは人間社会でも同じような気がする。絵の役割をする人と、額縁の役割をする人。どちらも必要で、どちらが欠けても、十分な成果は得られない。

本来、何もない空間に、ある特定の場所を切り取って、新空間を作る。産業人の役割もそうであろう。この世界は、もっと複雑で、モザイクのように組み合わさって、一つの空間を作る。絵画の世界は、それの最も小さい単位と言うことだろう。

誰にも、与えられた役割がある。どのように他の人と組み合わさって、新しい空間を作るかが、皆に問われているのだろう。

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