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2009年6月23日 (火)

岐路に立つということ

人間、生きていると、岐路に立つことがある。人生は選択の連続だ。お昼に何を食べるかという、小さい選択とは別に、仕事の選択やパートナーの選択のような人生の節目の重要な選択がある。一体、右行けばいいのか、それとも左に行けばいいのか。そういう時、人々はどんな判断で決めているのだろう。

そして、その選択が、人生を決めてしまうことも多い。それは極端に、天国か地獄となる場合もある。判断基準は、たくさんの情報を集めつつも、おそらく瞬間的なものが多いかもしれない。それは、だから、“かつて見た風景(記憶)”で脳が判断するのかもしれない。それでは、天国と地獄の分かれ道は何なのか。

それは結局のところ、正しい心を持ち続けるということではないか。正しい心は正しい行動を選択する。いくら貧乏でも、心は正しくということが、天国への切符を手に入れることのようだ。つまり、歌の文句じゃないけれど、「ぼろは着てても、心は錦」の精神で、芯のある生活を送っていると、見えない物が見えるということかもしれない。

若い人は、これから何回も岐路に立たせられることだろう。その中で、正しい選択をし、運をつかむには、正しい心を持つことだと思ってもらいたい。そして、いつもそれが発揮できるように常に平常心で臨んでもらいたいものだ。

すなわち、岐路に立っても、特別な判断をしないということかもしれない。日常的な行いが、いざという場合も、冷静さを失わずにいれば、正しい判断はできるということだ。

もちろん、それは多くの修羅場を踏んで、真に理解できることかもしれない。つまり失敗の選択と思ったことも、長期的に見れば成功のこともある。選択の結果は、すぐにわかることもあるが、時間が経たないと正確に評価できない時もある。時々、選択と結果を俯瞰して、客観視することも大切だ。

*追記

ここでは岐路での選択について記したが、もちろん、選択後の心構えや行動も同様である。

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