« 料理の選択に迷う | トップページ | 鶏肉とほうれん草炒め »

2009年6月21日 (日)

茄子と和尚

家庭菜園で、今、夏の野菜の定番、キュウリと茄子と、トマトの苗を買ってきて植えている。それを日経流通によると、「自産自消」というらしいが、まあ、流風が作るのは、どれも、所詮、趣味の範囲内だ。それほど、たくさん作るわけでもない。

それでも、一応順調に育ち、キュウリは先日、1本収穫し、そのあとに2本収穫した。1本は、収穫が一日遅れたため、少し巨大化(笑)。後、4~5本はできるだろう。茄子は花が咲いている。実はなりかけているが、収穫は少し先のようだ。トマトは、何個か青い実をつけて、少しずつ大きくなっている。これも、しばらくすれば収穫できるかもしれない。

さて、今回は、落語の話だが、茄子関係のものを一応取り上げておく。公演はあまりされない。ちょっとシモネタでもあるからだろうか。

嫁に茄子を食わすなとは言うけれど、ある和尚さんが茄子好きだった。女性は、イモ、たこ、南京が好きと言うけれど、流風も、どれも好きだ。別に男が食ってもいいでしょ。この和尚さんは、嫁ではないが、茄子がお気に入り。

茄子は炒めものにしても美味しいし、漬物、あるいは焼き茄子なども堪らない。生姜醤油につけて食べると、天下一品だ。先日は、茄子の煮物を作ってみた。出汁は、二つの方法を取る。一つは、エビを甘辛く焚いて、その出汁で、茄子を煮る。もう一つは、出汁雑魚(煮干しのこと)で出汁を取り、砂糖、醤油、みりんで味付けし、煮る。油を少し落とした方がいいかもしれない。ちなみに流風はゴマ油を少し、風味づけに入れる。どちらも美味しい。

この和尚さんも、どのような料理をしていたかは不明だが、寺の後ろの空きスペースとなる庭に、毎年、茄子を作っていた。手入れを十分するものだから、実もたくさん成る。それを食べるのを楽しみとしていた。

ある年に、お盆の施餓鬼を終えて、ホッとして、夜は湯浴みをした。施餓鬼は、仏教徒なら、みな御存じなように、たくさんのお坊さんによるお経が延々と続く。だから、施餓鬼は長い時間、お経を唱えるので、聞く方もお経を上げる方も大変だ。終われば、ホッとするのは、お坊さんだけでなく、檀家の皆もそうであろう。暑い季節だから、湯浴みすれば、多少疲れも取れるかもしれない。

後は、庫裏でくつろぎ、寺男も盆踊りとかで出かけたので、夜食に酒を飲みながら、くつろいでいた。どうも、生臭(なまくさ)坊主のようだ。僧侶としての規範を守らず、呼び名を変えて(般若湯など)、肉や魚や酒を食らう。まあ、僧侶を聖人扱いするのは、洋の東西を問わず間違っているは思うが、節度は必要だ。

そうすると、眠くなって、うとうとしていた。そこへ、若い娘登場。こりゃ、危ないぞ(笑)。酒とくれば、女、相場は決まっている。坊さんの恋は、はりまや橋だけに限らない。そして、その娘が言うには、「私は、日頃可愛がってもらっている畑の茄子でございます。いつものお礼に、肩でも揉んでみせましょう」と言う。きたきた、何か魂胆があるぞ。

ところが、その和尚は、無防備にも、酒のお酌をさせる。そして、後は、よくある、男と女の仲、契りを結んでしまった。据え膳食わぬは、男の恥だなんて、いうけれど、あんたは、一応僧侶でしょ。困ったもんだ。でも、今の宗教界でも、あるんでしょうね。

事を終えて、これは厄介なことをしてしまったと思ったら、目が覚め、夢だったと気付いた。ああ、よかったと一安心(笑)。それでも、この和尚は、「これは、愚僧が、まだ修行が足りなくて、煩悩に迷わされている証拠だ」と気付き、そのまま寺を出で、諸国行脚の旅に出かけてしまった。

何年かして、寺の近くまで戻ると、畑を歩いていた小さい娘が、「おとうちゃん」と走り寄ってきて、足にすがりつく。以前、流風も、祭りで、小さな子供さんに、間違われて足にまとわりつかれて、同じことを言われた(笑)。和尚は、「これはこれは、何かの勘違い。私のような世捨て人に子供はいない。どこの子供さんかな」と言う。

しかし、娘は、「いや、確かに、おとうちゃんだ。今から7年前、施餓鬼の晩に、茄子のお腹に宿った子供です」と言う。まさかと思ったが、「もしや、誰かと。親はナスとも、子は育つか」とオチ。

この落語は、馬鹿げていると言えば、馬鹿げている。しかし、若い女性に迫られたら、どうするか、という問題は残る。それが誰かの差し金なのか、本当に好意を持ったからなのか。そういうことも、男の修行と言えば、一般人にも、同じことが言えるかもしれない。

一時的な歓喜のために、子供ができて、養えるのか。子供を責任を以て養育できるのか。単に親はなくても子は育つともいうが、それでいいだろうか。やはり無責任な男女関係は避けるのが望ましいと言うことだろう。やはり、家庭菜園の、茄子、キュウリ、トマトの収穫で満足する方がいいようですな。これらだったら、いくらできても、食べるだけ。できすぎるのも困るのだけれど。

*追記

もちろん、この落語はフィクションであり、事実ではありません(笑)。でもね、・・・。

|

« 料理の選択に迷う | トップページ | 鶏肉とほうれん草炒め »

古典文学・演芸」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 料理の選択に迷う | トップページ | 鶏肉とほうれん草炒め »