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2009年7月31日 (金)

母の読書

母の読書法は、自身が語っていたように、斜め読みの速読だった。その点、精読の父とは、全く対照的に逆だった。以前のブログにも記したが、母は家事があまり好きでないらしく、まあ、それでも、今の若い人と比べれば、結構やっていたが、暇があれば、本を読んでいた。

読書傾向としては、いろんなジャンルのノンフィクションや小説とともに、『婦人画報』とか『婦人公論』なども、読んでいたと思う。流風が学校に上がると、学校図書室からの貸しだしは、ほとんど母の要望によるものだった。

借りた本を数冊持ち帰ると、嬉しそうに、すぐさま家事の手を止めて、無心に本を読み始める。その間、家事は完全ストップ(笑)。そんな時、夕食は、子供から見ても、明らかに手抜きだった。父も諦め顔だった。それらの本好きの理由は、はっきりとは分からないが、戦前・戦中と、読書がままならなかったのかもしれない。それゆえ、本に飢えていたのかもしれない。

翌朝、起きると、母が目を真っ赤にしている。本を深夜まで読み続け、あまりにも感動して泣いてしまったという。そういうことが毎回だった。まあ、涙もろい母だから、そうなったのだろう。でも、子供向けの本を読んで、感動するのだから、いつまでも少女の気持ちだったのかもしれない。

ただ、有難いことは、母が、読んで本のあらすじをわかりやすく説明してくれるので、読書感想文は楽だった(笑)。かなりの速読なのに、あらすじはいつも正確だった。感想文は、流風が書くものの、結構、母の感想が入っていたと思う。そのようにして、図書室から借りた本は多いと思う。先生は、よく読書する生徒と勘違いされたかもしれない。

流風が学校を卒業してからは、気になる本の書評を見つけては、あれを買ってこい、これを買ってこいと依頼があった。そして、また貪るように読んでいた。しかし、一回読むと、父のように再読はなく、もったいないが、全て処分を流風に任された。それが唯一の贅沢だった。流風が関心のあるような本なら、読むのだが、関心のないものがほとんどで、図書館に寄贈したり、ゴミとして捨てた。年に30冊~50冊ほどで、数十年、ずっと続いた。

それらのほとんどが、半日ないし1日で読んでいた。本当は、もっと読みたかったに違いない。その母も、晩年は、眼が悪くなり、あまり読めないことを辛そうに語っていた。読書好きの母にとっては、眼がよく見えなくなったことは辛かったことだろう。もう少し、長く、読める状態だったら、よかったのにと時々思う。

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