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2009年8月15日 (土)

見えないものは怖い~謡曲『羅生門』

最近、テレビで昔の映画『羅生門』が放送されていた。白黒だが、なかなかの出来だった。この映画は、記憶は定かではないが、子供の時にテレビで観たような気がする。

この映画の原作は、芥川龍之介の『藪の中』を主体に扱っているのだが、映画の題名は、『羅生門』になっている。確かに、羅生門は舞台の一つだが、少し違和感がある。小説の題名通り『藪の中』で、よかったように感じるが、制作者の意図はわからない。

芥川の『藪の中』は、確か読書好きの叔母から、芥川龍之介の本を小学生の時にプレゼントされ、その中にも収録されていた。小学生の理解では、大人の世界は、理解しようもないが、子供なりに、人の通らないところに行くのは危険だとか、旅行の時には、知らない人に気を許してはならないとか、そういう感想を持った記憶がある。本当の理解は、ずっと大人になってから(笑)。

ところで、謡曲にも、同じ題名で、『羅生門』がある。但し、内容は全く別のものだ。以前にも取りあげた源頼光の四天王の一人の渡邊綱の勇名を轟かした話である。あらすじは、彼らと、平井保昌と酒宴を催していた中で、保昌がちょっとした噂話を切りだす。

凡そ、酒宴となると、噂話や、自慢話。そしてシモネタ(笑)。それは男女、あまり変わらないのではないか。ここでは、噂話から、話が膨らんでいく。火のない所に、煙の立たないといわれるように、噂話も元がなければ、出てこないから、皆、聞きたがる。

さて、この噂話は、九条の南門である羅生門に鬼神が棲んでいて、日が暮れると人が恐れて通らないという。それを渡邊綱が聞き咎めて、そんなことあるはずがないと、保昌と言い合う。

それならと、確かめてこい、ということになって、言い出しっぺの渡邊綱は、証拠の札を頼光から授けてもらい、それを、羅生門に、その札を立てに行く。まあ、どの世界でも、言い出しっぺというのは、辛い目に遭う(笑)。本人は、そういう気がなくても、引っ込みがつかないことがある。

結局、渡邊綱は、皆が止めるのも聞かず、勇んで出かけ、門にその札を立てかけようとすると、鬼神が兜のしころをつかんで引き留めたので、太刀で鬼神の腕を切り落とすと、鬼は逃げて虚空に去る。一体、虚空て、どこなんだ。単に逃げただけかも。それを「虚空に去る」と表現すると、面白いものになる。

これで、渡邊綱は名声を上げたというものである。結果、良ければ、全てよし、の典型ですな。まあ、渡邊綱が、剛毅なものであったことは事実らしい。でも、ここでも、鬼神は何だったのかということになる。現実的に見れば、盗賊の一味だったことが考えられる。彼らは人々から奪ったものの隠し場所にしていたのだろう。

こんなことを書くと、流風は、また文学作品を貶めていると非難を受けそうだが、当時の人々にとって、見えないものは、全て鬼神であったのではと思う。だから、こういう解釈も許されるのでは。

凡そ、人は恐ろしいものは見たくない。お化け屋敷のように、楽しむのものもあるが、あれは人が作ったものであるとわかっているから、楽しめるのだ。当時は、治安は乱れていたし、安心して、住める状態ではなかっただろう。そこで、いろんな噂が流布する。それに尾ひれがつく。そんな状態だったのだろう。

そういうことをネタに、この謡曲では、渡邊綱の手柄話にして、盗賊を鬼神に代えて、制作しているのは、作者は、盗賊に配慮したというより、その方が面白くなるからだろう。受け手には、鬼神という見えないものが、いかにも存在しているように見せたかったのかもしれない。

作者は、観世小次郎信光と云われるが、実際は世阿弥であったかもしれない。いずれにせよ、彼の着想がこの作品になっているように思う。ますます深まる世阿弥に対する関心。彼はどんな人物だったのだろう。今後の関心項目の一つである。

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