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2009年8月 8日 (土)

“ノーモア・ヒバクシャ”を考える

米軍による広島・長崎への初めての原爆投下は、約20万人の悲惨な死を招いた(その他に、空爆で、一般人が40万人亡くなっている)。それは、多くの一般国民の生命の殲滅だった。これは、ナチによるホロコーストを超えるものだろう。

日本への投下は、米国の人種差別もあると言われる。未だに、米国は、これを正当化を主張し、反省していない。父は、米国とロシアは、決して信用してはならないと、生前よく言っていた。人間に対する大した哲学もなく、ご都合主義の三流国と断言していた。

そのことはともかく、日本は唯一の被爆国である。ただ報復主義では何も解決しない。それでは、世界は破滅するだけだ。今後、このような悲しみは、世界のいかなる国においても、招いてはならない。昨日、NHKでは、特集の「ノーモア・ヒバクシャ」が放送されていた。

日本は被爆国として、世界にもっと日常的にアピールしなければならないのに、政治面では、為政者は、従来、米国への配慮かもしれないが、遠慮気味だった。やっとオバマ大統領の発言に伴い、日本も核兵器に対する考え方を明確にすることが可能と認識しているようだが、その意識の低さに愕然とする。日本が被爆国であると、本当に理解しているのか。

そして、核兵器は使える武器ではない。未だに、核兵器に対して、一部妄想を持つ指導者が世界にいるが、その妄想を早く捨てさせる必要がある。それは使えば、もはや地球を破壊させてしまう。自国だけ助かるということはありえない。

また日本の軍事専門家・政治家等の一部は、日本も核兵器を持つべきだとなど、議論する輩がいるが、彼らは、日本が唯一の被爆国だと言う認識が薄いのは非常に残念だ。核兵器の所有が防衛と考えるのは、世界の一部の妄想指導者同様、むしろ危険な存在でもある。

国を守るものは、何も武器だけではない。被爆国家として、“ノーモア・ヒバクシャ”の国際世論を作ることに意義がある。被爆者の苦しみを、最早、いかなる国の人々も味わうべきではない。“ノーモア・ヒバクシャ”でなくてはならない。これは、日本の国是にしても、いいくらいだ。そして、それを全世界に根付かせる必要がある。

確かに、これからも、正義と正義のぶつかりあいで、世界の争いは無くならないかもしれない。しかし、いかなる場合も、核兵器は使わないという共通の理解は、意思疎通しておかなければならない。

あらゆる国は、相手国の存在があって、はじめて自国も存在できる。相手国民を殲滅させても、いずれ、その死の灰は、自らに、あらゆる意味において、自国民に降りかかってくるという認識を深めるべきだろう。

このような状況下、むしろ、一般の国民が一人ひとり強く意識して、政治家等をリードしなければならないのかもしれない。世界から核兵器をなくすことを、多くの困難を伴うかもしれないが、日本がリーダーシップを発揮して、世界の人々の共通の認識にするようにしなければならない。

それが被爆国の使命だろう。そして、それは一人ひとりの意識の仕方で大きく変わる。さあ、世界の人々を巻き込んで、これからも、“ノーモア・ヒバクシャ”を、一人ずつ推進しよう。そして、同じ意識の仲間をもっと増やしていこう。

*参考

  http://www.nhk.or.jp/no-more-hibakusha/link/

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