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2009年8月16日 (日)

映画 『the Visitor』を鑑賞

基本的に、他人の推奨では、本を買ったり、映画を鑑賞したりしない。他人の感性による評価は、異なることが多いからだ。ただ、今回は、気まぐれで、他の予定を変更し、特別に、映画を観に行った。それは、時々、コメントをくれるSACHIさんが強く推奨したからだ。

その映画は、『the Visitor』で、邦題は、なぜか『扉をたたく人』だ。内容は、舞台は米国で、大学で教えている老教授が主人公。彼は妻を亡くし、教員生活も惰性に流されている。

20年間、教える内容は同じで、昔のことはわからないが、最近は一コマしか受け持っていない。それでいて、各所からの要望も拒否し、論文もろくに仕上げていない。今までに、書いた本は4冊ほどだが、それは共著が多く、それも名前を貸しているだけだ。

でも、このような大学の先生は、日本でも多いだろうな。せいぜい通学する学生向けに書いた教科書を押し付け、新たな論文は、発表せず、のうのうとしている。ただ在籍が長いだけで、教授の看板も、下されることもない。なんて楽な職業。一般教員同様、教授免許の更新が必要だろう。

あらら、また本題からずれてしまった(笑)。まあ、彼は、このように惰性で、無駄な時間を過ごしている。その彼が、ひょんなことからシリア出身の青年と交流を持つようになり、彼が、不法滞在者であることから捕まり、それを解決すべく奔走する。何か見えない力に押され、新たな生きがいを感じたのかもしれない。

だが、米国は、それまでいい加減な処置だったのに、9.11以後は、取り締まりが厳しくなり、彼は、米国を追放され、シリアに送還される。それまでの彼の周辺の人々(彼の母親や恋人)の交流や、アフリカの楽器(ジャンベ)に惹かれたことを織り交ぜながら、世知辛く、余裕のなくなった米国社会を見つめた映画と言えるかもしれない。

米国は、かつて、アメリカン・ドリームともてはやされ、誰でも成功するチャンスがあるとされた。しかし、今では、新しい人々を受け入れる可能性も薄れ、徐々に活力を失ないつつあるのかもしれない。制作者の意図はわからないが、それを感傷的に描いているのは、多くの米国の人々が何か限界を感じているのかもしれない。

この映画を、どのように評価するかは、観る角度で違うだろう。いわゆるインテリが、表面的な観察で、感傷的になっただけとも捉えられる。不法入国者の扱いについては、深くは表現していないのは物足りない。いわゆる上っ面の映画と評することもできる。

また、法治国家では、法の下に、個人は無力感を感じて、何もできないと諦めざるを得ないのが、限界とも言える。法治国家の秩序は守られなければならないが、ルールを変える努力を怠れば、社会を行き詰まらせてしまう。

ルールは人間の作ったもの。時代に合わせて、それを変える努力をしなければ、社会は進歩しないという見方を、この映画が示唆しているとも捉えられる。それでは、私達は何を変える努力をしなければならないのか。

これは、多くの人にとっての命題となるかもしれない。そして日本の命題とも重なってくる。考え、主張し、行動することが、今、改めて、多くの人々に求められている。惰性に流されないためにも。

*追記

映画としての評価は、敢えてしない。SACHIさんほどの感動はなかったものの、入場料金1500円を回収するべく、鑑賞したので、それなりの解釈はできたと思う(笑)。大人の感傷映画と観れば、少々安っぽいが、それは見方の問題。いろんな面から鑑賞のできる映画と言えよう。

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