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2009年9月10日 (木)

和熟一致ということ

倹約に励んでいた当時、何かと批判された尾張の徳川宗春は、最終的には、幕府から、隠居、蟄居の身となる。幕府は、倹約に励めと言っているのに、宗春は、反対の贅沢を繰り返した。幕府としては示しがつかないから、彼を罰として引退させたのだ。

この問題は、現代の日本のように財政状況が厳しい状況下で、為政者がどういう方策を取るべきなのか、示してくれる。倹約はしなければならないが、その一方で経済を活性化しなければ、国民経済は窒息してしまう。そこまでは行かなくても、息苦しい世の中にしてしまう。

人々の倹約生活の連続には限界があるということだろう。宗春は、やたらと締め付ける幕府のやり方に反抗したものと言える。それは庶民の気持ちを代弁していたのかもしれない。だが、国としての統制は乱れる。結局、彼は隅に追いやられる。彼のやり方も、極端に偏った手法だった。

この宗春が、その実際はともかく、割といい言葉を遺している。それは、「和熟一致」というものだ。国が何か課題を抱え、改革していくには、立場を超えて、全ての人の納得、信頼がなければならないというものである。よい政治と思っても、立場が違えば、それはよくないと映る。当然、そこには批判がある。

それを乗り越えるには、お互いの信頼なくして、前には進まない。仮にごり押ししても、将来に禍根を残すのみとなる。それなら、多少時間がかかっても、お互い理解しあえるまで、話し合わなければならない。そして、多くの人々は、自分の立場を捨て、過去のしがらみを捨てることが大切だ。その意識転換が大事なのだ。意識転換させる努力が為政者には求められる。結局、信頼に基づく改革は、はやくなる。

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